今日は、少し個人的な話を書こうと思います。
二ヶ月弱前のある夜、私は書きかけのメルマガを閉じました。
時間は夜11時過ぎ。
テーマは「子どもの才能を潰す親の言葉」。
半分まで書いていたのに、なぜかその先に進めなかったんです。
「今日はもう遅いし、明日書こう」
そう前向きに閉じたわけではありませんでした。
ただ、閉じた。
そんな感覚でした。
最初の一週間は、「そのうち書ける」と思っていました。
でも二週目になると、「もうタイミングを逃したな」と感じ始め、
三週目には、ファイルを開こうとするだけで手が止まるようになりました。
怠けていたわけではありません。
書くことがなくなったわけでもない。
でも、進もうとするとどこかが固まる。
私はそれをずっと「自分の弱さ」だと思っていました。
だけど、今は違うと分かります。
脳には、「分かっているのに動けない」ときに起きる仕組みがあります。
前頭前野は「やるべきだ」と言う。
扁桃体は「待て、何か違う」と反応する。
つまり脳の中で、前に進めという力と、止まれという力がぶつかっていたんですね。
このとき感じる「動けなさ」は、怠惰じゃありません。
ブレーキです。
しかも、そのブレーキは故障ではなく、警告なんです。
では、私は何にブレーキをかけていたのか。
それは、「未完了」の扱い方でした。
この二ヶ月弱で分かったのは、未完了には2種類あるということです。
ひとつは、本当に終えたい未完了。
大切だからこそ、まだ諦めきれないもの。
これは整えることで、もう一度前に進む力になります。
もうひとつは、もう役目を終えた未完了。
本当はもう終わっていいのに、罪悪感や惰性で握りしめているもの。
こちらは持ち続けるほど、神経をすり減らします。
私の場合、後者は
「今の自分にはもう合わなくなった仕事の形」でした。
前は必要だった。
でも今は、もう違う。
それなのに「ここまでやってきたんだから」と手放せなかったんです。
あの夜、私の脳はそれを私より先に察知して、
「このまま進むな」とブレーキをかけていたんだと思います。
道に迷ったときって、つい焦りますよね。
早く進まなきゃ、遅れを取り戻さなきゃって。
でも、コンパスがずれていたら、速く進むほど遠回りになります。
だから必要なのは、がんばることより、
いったん立ち止まってコンパスを合わせ直すことなんですよね。
この二ヶ月弱、私がしていたのはまさにそれでした。
違和感を無視せず、自分の中で何が衝突しているのかを見ること。
そして、もう役目を終えたものを少しずつ手放すこと。
それができたとき、本当にスッと何かがほどけました。
だから今、あなたへ。
もし今、やりたいのに動けない。
分かっているのに、なぜか止まってしまう。
そんな状態にいる方がいたら、どうか知っていてください。
あなたは壊れていません。
今は、コンパスを合わせ直している途中かもしれません。
ひとつだけ、問いかけてみてください。
「今、自分が握りしめている未完了は、本当に終えるべきものだろうか?」
それとも
「責任感の名を借りた、もう要らない荷物だろうか?」
こ
の問いは、一回では答えが出ないかもしれません。
でも、眠る前に、朝起きたときに、何度でも静かに聞いてみてください。
答えが見つかったとき、
そのブレーキは邪魔なものではなく、
進む方向を教えてくれる「道標」に変わります。
止まっていた時間は、失われた時間じゃない。
私はこの二ヶ月弱で、それを身体で知りました。
また書きます。
— Dr. Yoshi
次回は、「なぜ人は、分かっているのに動けなくなるのか」を、
脳と行動の仕組みから、もっと分かりやすく解いていきます。
少しでも心に引っかかった方は、次回も読みにきてくださいね。
そして、必要そうな誰かの顔が浮かんだら、
この文章をそっと届けてもらえたら嬉しいです。
