あってこそ超えられる。
自己愛が「自分だけを大切にする」ことだと勘違いされている。
本当は「自己の存在を肯定できる」こと。
問題はそのために他者目線による自分の価値を高めることが重要だと信じ込み、それを強迫的に追い求めてしまうこと。
我執のないことが「他者や集団、教えなどに帰属する」ことだと勘違いされている。
それが何かしらカテゴリーを成立させる限り(たとえ存在全てとしても)、たんにその枠へと自己を同化させるだけなのに。
自分を捨てるというのは
~でなければ、~しなければ、~した方がいい、とか
~なら好きとか、嫌いとか
~をクリアしたらOKとか条件をつける。
そういった頭で考えたコントロールを一切捨てること。
自分を愛するというのは、そのままの自分でいることを自分に許せること。
だからあってこそ、じゃないのかな?
自分の存在や変化への無条件の肯定に立ってこそ
その先が見えるんじゃないかと。
超える壁の高さや厚さを現実に見せてくれているガイドなのかも知れないよ。