「私」と生死 | やわらかこころ塾 since2007

「私」と生死

感じたのか、考えたのか、想像したのか、はたまた
ひらめいたのか…?

たしかドラマか何かで、ある人が息をひきとる直前に
大切な人との別れを惜しんでいるシーンを目にした時
ふと頭に浮かんだこと。

大切な人々(場所やモノ、思い出etc…)との別れどころか
当の「自分」との別れなんだよなぁ…
そっちも名残惜しいだろうに。

死はまた、自分として統合している有形無形が織り成す
「私」との別れ。

気がついてみると、ずいぶん幼い頃から知っていたような。

あれ?

そうなると死後の世界や、生まれ変わり、お盆やお彼岸
あの世にもついて回る人格、霊や魂の存在は?

生きてる人にとってはアル。
そうでない人(←もはや「人」でもない?)に
とってはナイ。

生まれてしばらくは「私」を認識できないように
死んでしばらくは「私の消滅」が起こらないのかな? 
(個の意識が存在する?)

うーん…^^;

ずいぶん後になってからのことですが

釈迦が永遠のアートマンの存在を否定したという
話を知り、ずいぶんとホッと(!?)したものです。

この点については、エライ学者さんも数多論じている
ようですが、そもそも理屈で解る類いのものだろうか?
と素朴に思ったりもします。

じつはさっぱり読解できないだけなのですが(笑)

アートマンを全体の一つの相だととらえてみると
それは全体の姿でもあり、(他の相からみれば)
異なるものに見受けられるということのような。

主客によって世界が変わります。

…まぁ、いいや。

というワケで、スピリチュアリティに興味があっても
スピリチュアリズムには実感がわかないのです。

死ぬって生まれることと同じように自然なこと。

そしてやっぱり「私」はそれを漠然と恐れています。