「喜ぶこと」を選べますか?
ワタシはずっと自分に対して「分裂している」「去勢されている」
という感覚を持っていました。
それは理由や具体的な気持ちを説明しづらい漠然とした感覚。
ある時、自分には願望やしたいことがまったくない
(浮かばない)
ことに気づき愕然としたのですが、そこにヒントがありました。
次々と浮かんでは行動に移すものは
すべき/しなくてはいけないことばかり。
さらにショック
だったのは、
「本当はしたい」ことをすべきでない/してはいけないと
すぐさま打ち消している自分に気づいた時です。
それらは願望などといった大層なことではなく、日々口にする食べ物を
選ぶその時々、健康やダイエット、値段などなど…さまざまな要素が
あれこれアタマを駆け巡り、その時点で物理的には可能なのに
その時、自分を規制して欲する物を選ばない。
おいおい、自分さんよぉ~~~!!勘弁してくれ。
それは食べ物どころか、得るもの、着る服、時間やお金の使い方、
人付き合いの作法といった物事にまで及んでいました。
なんと暗黙のうちに良いこと、正しいことと必然化していたのです。
本望をその都度否定しているのですから、そりゃ、どこかにモヤモヤ
が残るはず。
そうやって引き裂かれた自分を「分裂している」、そう仕組まれた
自分を「虚勢された」とワタシの内面が強いメッセージを発し続けて
いたのだと思います。
アタマにきて、少しづつ反逆を開始した(敢えて欲しい物を選んでみる)
ものの、長年の条件づけは恐れや罪悪感のような抵抗を生み続け
喜びを打ち消すに十分以上。
…疲れてくじけそうになるばかり。
どん詰まったワタシは、とうとう
なんの脈絡もなく喜んでみたのです。
最初は実感のないアクションでたんにバカみたい
でしたが
なんだか、ちょっとウレシイ?!
それから少しづつ、だんだんと日々の些細な物事から
「ちょっとウレシイ」方を選べるようになりました。
ちなみに、正直に欲するものをじっくりと直視し始めると
「欲するものを得る=ウレシイ」とは限らないことに気づきます。
そこに自分のありのままの内面が映し出されていると知ることによって
「気の済むように選ぶこと」との心持ちの違いを実感する頃には
喜びを得ることへの罪悪感といった抵抗が和らいできます。
まずは些細なことから喜びへと自分の背中の後押しをしてみませんか?
という感覚を持っていました。
それは理由や具体的な気持ちを説明しづらい漠然とした感覚。
ある時、自分には願望やしたいことがまったくない
(浮かばない)ことに気づき愕然としたのですが、そこにヒントがありました。
次々と浮かんでは行動に移すものは
すべき/しなくてはいけないことばかり。
さらにショック
だったのは、「本当はしたい」ことをすべきでない/してはいけないと
すぐさま打ち消している自分に気づいた時です。
それらは願望などといった大層なことではなく、日々口にする食べ物を
選ぶその時々、健康やダイエット、値段などなど…さまざまな要素が
あれこれアタマを駆け巡り、その時点で物理的には可能なのに
その時、自分を規制して欲する物を選ばない。
おいおい、自分さんよぉ~~~!!勘弁してくれ。それは食べ物どころか、得るもの、着る服、時間やお金の使い方、
人付き合いの作法といった物事にまで及んでいました。
なんと暗黙のうちに良いこと、正しいことと必然化していたのです。
本望をその都度否定しているのですから、そりゃ、どこかにモヤモヤ
が残るはず。
そうやって引き裂かれた自分を「分裂している」、そう仕組まれた
自分を「虚勢された」とワタシの内面が強いメッセージを発し続けて
いたのだと思います。
アタマにきて、少しづつ反逆を開始した(敢えて欲しい物を選んでみる)
ものの、長年の条件づけは恐れや罪悪感のような抵抗を生み続け
喜びを打ち消すに十分以上。
…疲れてくじけそうになるばかり。
どん詰まったワタシは、とうとう
なんの脈絡もなく喜んでみたのです。
最初は実感のないアクションでたんにバカみたい
でしたがなんだか、ちょっとウレシイ?!
それから少しづつ、だんだんと日々の些細な物事から
「ちょっとウレシイ」方を選べるようになりました。
ちなみに、正直に欲するものをじっくりと直視し始めると
「欲するものを得る=ウレシイ」とは限らないことに気づきます。
そこに自分のありのままの内面が映し出されていると知ることによって
「気の済むように選ぶこと」との心持ちの違いを実感する頃には
喜びを得ることへの罪悪感といった抵抗が和らいできます。
まずは些細なことから喜びへと自分の背中の後押しをしてみませんか?