これまでのブログ内容を言い方を変えながら繰り返し書いて来ましたが、「神はいないけど、ある。」について、再書き込みしていませんでした。
(同じ事をくどくど書くだけで、すみません🙇♂️)
神について"いる"と表現すると、生き物として考えているようで、それこそヒトの姿形をイメージしてしまいます。そうではなくて、実体などない絶対的存在であると思っています。だから、"ヒト"が書き記したような、戒律やら何やらは全く信じる気は起きませんが、神の見えざる手は信じます。例えば、リンゴが木の枝から離れたら、見えざる手によって地面に落とされます。なんだ自然法則のことか、と思われるかもしれませんが、自然法則は絶対です。特に理系世界では、信じる信じないを超えて、ほとんど"事実"として捉えられるほど、強烈な信仰が確立しています。究極的にはどうしてそのようになるのか説明できない現象も、法則に従って起きているのだと自分を納得させざるを得ない場合もあったりします。(前にフレミングの左手の法則に触れましたが、電流と磁力の両方に対して垂直方向に推進力が生じるという不思議な法則の存在は、宇宙空間でUFOの自在な航行を可能とさせるかも知れません。)
そんな絶対的な存在を軽んじる訳では決してありませんが、人間を産み出した神は、人間がどんな行動をするかまでは把握、あるいはコントロールできないと思っています。神に創造された我々は、神の束縛は受けず、自らの行動は自分で決められる。神はヒトが何を仕出かすかは関知していない。
プロ棋士に勝てるAI将棋ソフトの開発者は、どんな指手であればプロ棋士に勝てるかは知らない。AI生物のことをこれまで書いて来たが、人間はその創造主になれても、AI生物の行動を全てコントロール下に置く事はできないだろうと考える。