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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


Drunk on Speech


春休みや夏休みの時点では、福澤杯や大隈杯で優勝することを目標に掲げる人が多い。


これは結構なことだ。目指すならレベルが高い大会に越したことは無い。


ただ、それが8月→9月→と進んでいくに連れて、自分のSpeechがしょぼいことに気付きだす。


すると、こういう人達は途端に自分の目標を下げるのだ。


「何としても自分達の●●杯を勝ち取る!」


でもさ、初めはもっと高いレベルの大会を目指していたんじゃなかったっけ?


自分達の優勝カップを守るというのは一見カッコ良いけどね。


でもそれって実は逃げでしょ。


大会直前までSpeechを改善して福澤や大隈で優勝する自信が既に無いわけだ。


そりゃそうだよ。


TOPIC選びやオリジナリティの創出という最も頭を使って考えていかなくてはならないことを、序盤で放棄したんだから。


だから、勝負ではもう勝てないことは目に見えている。


でもね、そういう人は自分ESSの大会にレベルを落としても優勝できないよ。


オリジナリティの無いSpeechが勝てるはずが無い。


序盤に必死で脳みそで汗をかいてTOPICも良くてオリジナリティもあるSpeechができた人がいるとしよう。


そういう人は、君達のESSの大会を練習台にして福澤や大隈杯で優勝する。


結局、ほとんど総なめにされちゃう場合が多いのだ。




序盤をサボった人間に限って、後半の頭を使わなくても時間は潰せる活動に時間を割く。


ちょこまかしたリライトを30回繰り返したけど優勝できなかった人とかいるでしょ。


あと、デリバリー練習とかさ、内容がダメならやっても無意味なことが多い。


ただ、頭を使わなくて良いから、そこだけは必死にやる。


それで、レベルを落とした大会ですら優勝できなかったのに、リライトを30回もやった、デリバリー練習を10時間もやったとか、自己満足の弁を述べだしてしまう。


リライトを30回もやったのに優勝できなかったSpeech!


デリバリー練習を10時間もやったのに優勝できなかったSpeaker!


こういう人達は、少なくともSpeech活動においてはお手本にしないほうが良いだろう。


目標レベルを落とした大会で優勝できたならまだしも、それさえも優勝できなかった人は、後輩の指導からは外れるべきだ。


優勝したことが無い人間が後輩を指導できるわけないでしょう。


君達は後輩のモデルにはなれない。


その代わり、今度こそ優勝すると、4年生になっても大会に出場することをお勧めする。


(4年生が大会に出ることの意義は「このページ」 に書いてある)


4年生になった君が見事に復活し、Speech大会で優勝する。


それこそが最も後輩を勇気付け、後輩に対する最良の教育活動になることを、今一度認識すべきだ。


Drunk on Speech


前回、「単なるおしゃべりである頭の使わないブレストを延々と繰り返しても、それは努力したことにはならない。それどころか虚構の自己満足を与えるという意味では無駄どころか害悪である」という話をした。


今回も同種の話をしよう。


僕が以前から全くの無駄であると感じているのは、出場者のジャッジコメントを、同じ学校の同級生や下級生がジャッジを取り囲んで熱心にメモしているという行動である。


お前らさ、メモを取るのは自由だよ。


だけど他人のSpeechに対するコメントをメモして何の意味があるの?


そもそも、メモは後で読み返して何らかの行動につなげることに価値があるはずだよね。


でも、そのメモを後で読み返したことある?


もしも無いならそのメモは全くの無駄だぜ。


いや、メモを取ったことで自己満足しているなら無駄どころか害悪だ。




以前、50waysでメモを取ることの重要性を書いたことがある。


http://ameblo.jp/drunkonspeech/entry-10102877026.html


そこではあまりに当たり前すぎて書かなかったのだが、メモは後で読み返して自分のSpeechを改良するヒントつながるからから取る。


つまり、後で読み返して、それを何らかの行動に移してSpeechの改良につなげなければ意味が無い。


もちろん、その後の行動につながるものもあればつながらないものもある。


はなから無駄だと決め付けてメモを取らないのは論外だ。


ただ、メモを取ったにもかかわらず後で一回もそれを振り返らなければこれほど無駄なことは無い。


メモを取ることは猿でもできる。


取ったメモを読み返し、何らかの行動を起こして、自分をもう一段高みに持っていくためには頭を使わなくてはならない。


頭を使わなくてはならないということは、それは難しいということ。


難しいことは避けて、猿でもできる簡単なメモ取りだけは必死で行う。


そういう人は努力をしているようで、実は本当にしなくてはならないことから逃げているだけ。


だから当然優勝できない。


メモだけ取って後は何もしない人は優勝できなくて当たり前。




ジャッジコメントの時に他人のSpeechに対する批評をメモして、それが自分のSpeechの改良につながる可能性は限りなく小さい。


もしそうであるならば、コメントセッションのときはもっと別のことをするべきではないか。


例えば、気になった出場者に対して自分がそのSpeechを聞いて感じたことをぶつけてみる。


あなたのSpeechには、ここが足りないと思った。何故それをSpeechに込めなかったのか?それとも敢えて外したのか?


あなたのSpeechのこの発想は面白いと思った。どうしてそういう発想が浮かんだのか?どういう行動を起こしてそれをSpeechに込めたのか?




出場者でもない女子大生達がジャッジの周りを囲んで、満面の笑みで水差し鳥のようにただ頷いて他人のSpeechのコメントに対するメモを取っている。


端から見たら異様な光景だ。


まるで将軍様を囲む喜び組のよう。


ただひたすら頷くだけで将軍様の話には疑問も呈さない。


満面の笑みで将軍様に愛想を振りまく。




少なくとも僕が現役生の頃はこうしたおかしなことは行われなかった。


こういう異常なシーンを目の当たりにするようになったのは、少数の本選ジャッジを中心に、不正な審査が行われているのではないかという話が出るようになった頃だ。


審査と教育の分離をないがしろにする活動の一端が、こういうところにも知らず知らずのうちに現れているのだろう。


そういう疑いの目を持っている人は、僕だけではなく、他にも意外と多いようだ。


Drunk on Speech

前回は「とにかく大会を楽しみたい」という逃げ口上を打つ人の成績の大半がろくでもないものになるということを紹介した。


これに似たパターンがもう一つある。


それは大会が始まる前から悦に入ってしまうナルシスト型の出場者だ。


このパターンは一番悲惨だ。


とにかくそのナルシスト君は自分が優勝できると確信している。


そしてネットなどで、


「俺が優勝カップを持って母校に希望の光を取り戻してくる」と喧伝したり、


誰も聞いていないのに自分のSpeechがどのような内容で、どんな風に勇ましくDeliveryするかなどを書き込んだりする。



そのくせ、文末では、


「大会のレベルは高い。一番Speakerの●●さんは、どこどこの大会で優勝。二番Speakerの●●さんは●●・・・」など、自信の欠如を覗かせるような一面も見せることもある。



この手のナルシストは多くの場合周りから白い目で見られているのだが、自分では全く気づいていない。


とにかく色んなところに出没して情報を発信するから、受信してしまった人は仕方なくおだてた返事を書く。そして、それがナルシストの虚構の自信をさらに増長させる。


さらに、あまり物事の本質をつかむのが得意でない女子大生の一部などが、そのナルシスト君の毒に魅了されて、「自称ファン」を気取っていたりするから、さらに問題が複雑化していく。


しかし、歴史的に言って、そういうナルシストも大抵は撃沈して終わる。


優勝はおろか入賞すらできない。


まわりから変な奴だと思われるような書き込みを連発していたのだから仕方が無い。そういう風あたりというものは、色々なところに姿を現し、最終的には審査に悪影響を与えるものなのだ。


そして、大会前は色々なところに情報を発信していたのに、大会後はそれがぷつりと止む。


さらに悪質なケースでは、もう誰からも相手にされなくなったナルシスト君は、翌年に「自称反逆児」を気取って、裏でESS関係者の多くを標的とした諜報活動を行ったりする。


また、結果を残せなかったにもかかわらず、「●●による独自レクチャー」などを裏で開催することもある。


自信がないためなのか、公開レクチャーではなく、一部の自分の信奉者だけを集めて秘密裏に行うところなんかがいじましい。


でも、参加者の数はナルシスト君の本意に反してとても少ないことが多い。


結構具体的に色々書いたが、まさにこの軌跡を辿る人が何年かに数人は必ずいる。周りをよーく観察してみることをお勧めする。


こうならないためにはどうしたらよいだろう。それはとにかく前回のエッセイでも書いたとおり、優勝が決まるその瞬間までは静かにしていろということだ。


黙々とDelivery練習とQ&Aに打ち込む。そして優勝が決まったときに初めて静かにガッツ・ポーズすればよい。


事前に色々と騒ぎ立てる奴よりも、黙々とホームランを打って静かにガッツ・ポーズする。巨人の小笠原選手のような人のほうが、みんなの尊敬を集めるのだ。


Drunk on Speech

数年前、日本シリーズが始まる前の事前予想を、元ヤクルトスワローズの古田選手がスポーツニュースで行っていた。


周知の通り、彼は野村監督のID野球の元で幾多の日本シリーズを制してきた男だ。

そんな彼が言っていた日本シリーズでスランプにはまる選手の共通点の一つが、


「とにかく日本シリーズを楽しみたい」と事前にコメントしている選手


ということだった。


そしてその年、古田選手は事前のVTRで選手の様子を見ながら、「この選手が危ないと思う」という予想をした。


するとその予想は見事的中し、シーズン中は絶好調だったその選手が、日本シリーズでは無安打という絶不調を極めた。


古田選手曰く、


「これから勝負が始まるときに、楽しめればよいという逃げの気持ちを口に出す選手は本番でほとんど失敗する」


とのこと。


驚くことに、


「楽しみたい」という逃げ口上を口にする選手の数は、年々増えてきている


ということだ。



これはSpeech大会にも当てはまる。


大会前の出場者の様子をつぶさに見ていると面白いほど当たる。

例えばネット上の掲示板などで、


「とにかく大舞台を楽しみたい気持ちで一杯です」などと逃げている人ほど優勝できない。


優勝どころか入賞もできない。

入賞すらできずに大会を楽しめるといえるのだろうか?

そういう人はビリでも楽しめるということか??


とにかく、大会前は何も言わずに黙々とDeliveryとQ&A対策を超直前まで行うべきだ。

そして、そういう姿は他人にはなるべく見せない。余計なことは一切言わない。


逃げ口上を皆に見える形で表明したらもう優勝できない。


逃げることばかり考えている人間には講堂も味方してくれず、


メモライズを飛ばすか制限時間オーバーになって撃沈する運命を辿る可能性が極めて高くなる


のだ。


Drunk on Speech-Win

実際はアウトプットを全く生まない雑用をむやみやたらとこなすことに陶酔してしまって、本当は頭を使ってクオリティの高い成果を生み出す辛い仕事からは逃げているくせに、「自分は仕事をしている」と勘違いしてしまう人がよくいる。


この手のタイプの人が厄介なのは、「自分はこれだけ頑張っている。他のみんなよりもよほど仕事に打ち込んでいる」と思い込んでいるので、成果が出なくてそのことを指摘されても素直にそのアドバイスを受けとることができないということだ。


これは何も仕事だけの話ではない。実際はアウトプットを全く生まないにもかかわらず、「自分は頑張っている」と思わせてしまう麻薬がSpeechにもある。その代表的なものがブレインストーミング(以下、「ブレスト」)だ。


皆さんはあえて気づかないふりをしているのだと思うが、自分のSpeechの改良につながらないブレストは全くの無駄だという現実を直視しなくてはならない。いや、時間を浪費し、自分はSpeech活動に真剣に取り組んでいると誤解させてしまうという副作用まであること考えると、意味のないブレストは無駄どころか害悪だと言ってしまった方がいい。


それでは意味のないブレストとは具体的にどんなものだろう。私の学生時代の経験から言うと、それは学生同士でただ単にのんびりと世間話をしているだけのブレストだ。この種のブレストの99%が無駄だといって良い。なぜだろうか。


まず学生同士のブレストでは、自分が扱おうとしているテーマの下調べもしないままでテーブルが始まることが多い。参加している人間の前提知識はゼロ。題目を出す人は自分がこれまで調べたマテリアルの要約や、自分の意見と一般的な意見の違いなどを表にした資料を出すことなどはほとんど無い。


そして、「私はこんなテーマでやろうと思っています」と、悪名高いPHCSフォーマットに数行の文章を並べただけのロジックチャートを配り始める。そこには根拠となるデータや論説、自分が考えているそのTopicのOriginalityなどは一切書かれていない。だから、参加しているメンバーは当たり障りの無い感想を述べるだけに留まってしまう。


何を根拠としてそのような話をしているのか。そして、その根拠に基づく意見はSpeechにすべき価値があるのか。そういう大事な論点は全く議論されない。ベースとなる資料がないから、テーブルにいる参加者はそのSpeechの怪しさであれ良さであれ、その場で何を発言すれば良いのかほとんどわからないのだ。


終了後にはその日のフィードバックも当然行われない。


自分はそのブレストに参加して、


①自分のSpeechの何が強みで何が弱みだとわかったのか
今まで気づかなかったような発展可能性があることを発見できたか
③ それらを受けて、今後、いつまでに、何を行い、どのようにして自分のSpeechを改良していく計画を立てることができたのか


という一番大事なことを誰も振り返ることなく、「今日はしっかりSpeech活動に打ち込んだ」と勘違いして終わってしまうのだ。


最後にあえて残るものといえば、どこどこ大学の誰々さんと知り合いになれたとか、誰々がブレスト会に持ってきてくれた手製のクッキーが最高だったとか、その後のお疲れ会で誰々の飲みっぷりと壊れっぷりが凄かったとかいう、Speechの改良とは無縁の下らないことだけだ。


こうした活動は、青春時代を謳歌するという目的では良いのかもしれない。しかし、それではSpeechを改良するきっかけを集中的につかむことはできないのだ。もしそうであれば、「本来の目的を達成できなかったそのブレスト会は、全くの時間の無駄だった」ということを真摯に受け止めなくてはならない。


「自分はSpeech活動など行っていなく、単に遊んでいただけだった」ということを認識すべきだ。頭を使わないブレストだけを何時間も一生懸命やって、それで優勝できなかったら自業自得だ。


そういう人の多くは、「自分は頑張っていたのに負けてしまった」と、最後に後輩達の前で大見得を切って自己満足し、挙句の果てには自己陶酔から涙を流すことも多々ある。しかし、騙されてはいけない。その人は長時間Speech活動らしきことを繰り返していただけなのだ。そんなことで優勝できるはずが無い。


その先輩は負けるべくして負けたのだ。


次期を担う後輩達は、しっかりと現実を見つめて考えるべきだ。このまま頭を使わないブレストを続けていて良いのだろうか。無駄なブレストを強化するくらいなら、いっそのことブレストなどやめてしまうべきではないか。今期と同じことをやっている限り、結果も今期と同じようにぱっとしないものにきっとなるのだから。