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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


Drunk on Speech



日本は急速に高齢化が進み、2010年には平均年齢が50歳を悠に超えることが予想されている。


マネックス証券の松本大社長と元産業再生機構CEOの冨山和彦氏は、「日本の未来」と称する対談の中で、「50歳を越えた人間は将来のための改革には呼応せず、ひたすら自己保身のために走る」と述べている。


つまり、50歳を越えると改革というものに抵抗し、自分のことしか考えなくなるということだ。


既にそういう気質の人が半数を超えてしまった日本で、今後の改革を実現していくのは難しいだろう。


事実、近年頓挫する様々な改革案の結末を見れば、50歳限界論の有意性も否定しがたいものがあると思う。


つまり日本の将来は暗いということだ。


さて、翻って代表的なSpeech大会にいらっしゃる重鎮ジャッジの年齢はどうだろう。


半ば恒例の行事になっているが、重鎮ジャッジの方々は顔をあわせると、「まだやってるの?」と笑いあう。


毎年笑い合っているわりに、ひたすら大会に呼んでくれ呼んでくれと連呼し、それに応じないと報復活動に出るという恥ずかしい老人外国人ジャッジもいると聞くから呆れてしまう。


それにしても本当に重鎮ジャッジ様の顔ぶれは変わらない。


もう何年もほとんど大会に足を運ばなくなった私ですら、大会のパンフレットを見ると見覚えのあるジャッジの顔ばかりを目にする。


そして、彼らは押しなべて50歳以上であることが多い。


私の学生時代には、もう聴力が弱くなってSpeakerが何を言っているか聞こえないからジャッジは引き受けないといっていた人までまだジャッジをやっている。


あれから10年経ったが、普通に考えれば聴力は回復するどころか益々弱くなっているのではないか。


さらに、前にも述べたが彼らの多くは世間の荒波とは無関係の浮世離れした世界に住む方々ばかりだ


つまり、こういう方々ばかりを呼んでいると、老齢世代の痛みを伴うような革新的な内容を提唱するSpeechは低く評価される可能性が大きくなるということだ。


しかし、Speech大会の目標は、「近い将来グローバルな舞台で世界の人々と対等に渡り合い、新しい何かを築いていく人材を輩出する」ということではないか。


そして、近い将来新しい何かを築くためには、何らかの形で老齢世代と若年世代の世代間抗争を起こしていかなくてはならない。


そういう摩擦を恐れずに、未来の世代のために勇ましくSpeechを行っている若者を、50歳以上の人間の塊がジャッジして正しく評価できるのか。


何も考えずに毎年同じジャッジをただただ呼んでしまっている大会実行委員会はこういう弊害を考えたことがあるのか。


ジャッジを誰にするかということは一番大事なことのはずだ。


その一番大事なところを、「例年と同じく」と何も考えずに素通りしている大会が日本一の大会と言えるのか?


もうそろそろ、過去の因習とおさらばする新しい世代のための大会が出てきても良いはずだ。


そうしない限り、Speech界の未来も日本の未来と同様にどんよりと薄暗いものになるのは間違いないだろう。


Drunk on Speech


何度も何度も書いてきたが、審査と教育の分離の意義がわからない連中の頭の中身がどうなっているのか全く理解できない。


きっとそういう連中は以下の3パターンに分類されるのだろう。


1.自分もかつて審査と教育の分離に抵触する行為を行っていた。それ故に審査と教育の分離の必要性は感じつつも、それを推進することは自己否定につながると思っている。


2.とにかく手っ取り早く審査員を集めて大会を開きたい。だから、審査と教育の分離に反対する不正審査員の逆鱗に触れるのが面倒くさい。


3.大会で優勝を目指そうと本気で思っていないため、他人が事前に審査員とつるんでいてもその不公平さが全然気にならない。どうせ自分は成績は残せいが、不正審査員の傘に入ることで、後輩の前ではでかい顔が出来るので好都合と思っている。


いずれも、審査と教育の分離は出場者への審査の公平性のために必要なことということには見向きもしない。


出場者のためにという意識の前に、自分の過去が否定されないようにと躍起になる。


出場者のためにという意識の前に、とにかく楽して審査員を集めたいという怠惰な気持ちが勝ってしまう。


出場者のためにという意識の前に、そんなのどうでも良いし、むしろ不正審査員を自分のために利用できたらと思っている。


だから、審査と教育の分離を骨抜きにして闇に葬りたいと思っている連中は、「出場者のために」という一番大事なことを前面に出して自分達の言い分を語らない。


いや、「出場者のために」ということを前面に出したら自分達の言い分が語れないことに気付いている。


だから、とにかく「ジャッジさんに失礼だった」、「ジャッジさんにご迷惑をかけました」という、公平な審査の確保という点からは本質的にはどうでも良いことをまくし立てて自分の意見を正当化しようとする。


そこには、「出場者のために」なら、過去を否定し、新しい未来を切り開いていくという発想は無い。


一見すると自分達は不正審査員への礼儀を重んじているように取り繕って、実は自分達の利害のことしか考えていない。


卑怯な連中だ。




想像してみて欲しい。


自分がどうしても優勝したいと思って全力を傾けてきた大会の出場者控え室に自分がいる。


必死でDelivery練習をしているときに、他の出場者がこんなことを言い出すのだ。


「僕はもう大丈夫。今日の審査員の●●さんにばっちりSpeechを見てもらっているから」


「私も優勝する自信があるわ。今日のジャッジの●●さんに原稿を色々とリライトしてもらったから」


「僕なんかクエスチョナーの●●さんに想定問答集も作ってもらっているから他の奴には負けない」


「俺たちラッキーだよな。2008年末のKUELのガイドラインでは自分達の出場が正式に決まる前ならいくらでもジャッジから個別コメントがもらえるんだからな。あれが骨抜きの案で本当に助かったよ」


私が出場者でこんな話を聞いたらそれを許すことは到底出来ない。


君達はそれを許容できるのか?


許容できるとしたら異常だ。


きっと本気でSpeech作りに取り組んだことが無いんだろう。


だから腹も立たないのだろう。


今時ありがちな無関心な若者がSpeech界にも跋扈しているのだとしたら、もうこんな世界に未来は無い。


正義から目をそむけ、自分のことしか考えない者がはびこる世界は、急速に腐敗し、堕落していくだろう。

Drunk on Speech


良くも悪くも前年度のチーフというのは新しい年度のSpeech Sectionに影響を与えてしまう。


それが連戦連勝で、最高峰の大会でも優勝しているような人だったら問題ない。


しかし、最高峰の大会どころか、自分のESSの大会で優勝できなかったような人だったら警戒しよう。


間違いなく言えることだが、優勝を取り逃がした人には後輩を優勝に導くことはほとんどできない。


そして、優勝できなかった人がやっていたのと同じことをESSに持ち込んでも低迷が続くだけだ。


それでは、「やばいチーフ」とはどんな人か。


以下で簡単なチェックポイントを紹介しよう。



1. 自分の代でESSの勢いを止めた人


これが最もわかりやすいケースだ。


それを敢えて今流行の見える化してみよう。


ある人のレベルを、【大会係数】×【トロフィー係数】の総和で決めるとする。


大会係数は、福澤杯と大隈杯が10、天野杯とJUELが5それ以外全て1とする。


トロフィー係数は、優勝が10、2位が3、3位が1とする。


大会係数に関しては、4大大会+JUEL以外の大会は、その大会の優勝者ですら4大大会で入賞すらできないことが多いので、1にしても問題ない。


よく、地方の中堅大会だけで優勝した経歴を堂々とひけらかしているジャッジがいるが、彼らも福澤や大隈では入賞すらできなかったことばかり。所詮こんなものだ。


さて、あるESSのチーフがその年にどれほどのレベルポイントを稼いだかをグラフにしてみよう。


こうしてみると、自分達のESSの成長と衰退が目に見えてわかる。


もしも彼らが、前年よりも大幅にマイナスにしたチーフ、底這った状況から抜け出せなかったチーフだったら要注意だ。




2. 自分のESSの中で最強になれなかった駄目チーフ


チーフは教育の最高責任者であるとともに、各ESSのエーススピーカーでなくてはならない。


そのチーフが自分のESSの中で最強を誇っていなかったら最悪だ。


例えば、福澤や大隈の出場権すら確保できていない。


何とか確保したが、自分は予選落ちして、同じESSの仲間が本選に出てしまった。


これほどチーフとして恥ずかしいことはない。


そういう場合は大抵、甘いESSではお目こぼしが入る。


チーフには自分達のESSが主催する大会の出場権が自動的に与えられるのだ。


だって、自分達が主催する大会なら予選審査がないもんね。


そして、その出来の悪いチーフは、目標を下げたことをいつの間にか忘れて、「何とかして自分が優勝カップを守る」といきり立つようになる。


でも、結局優勝できない。


そういうチーフはSpeech作りの序盤で必ず妥協を繰り返しているため、9月の時点でもう勝負あったからだ。


そんな人が後輩の教育係として度々ESSに登場されるようになったら大変だ。



3. 自分が何故負けたのかがわかっていない人


優勝できなくても自己満足の弁を述べるのがこの最後のパターンだ。


これほど最悪なチーフはいない。


レベルを落とした大会で優勝できなかったのに満足だと述べてしまう。


とても充実していると平気で喧伝する。


自分は成長したと涙ぐむ。


負けたのに充実ですか?


成長したのに何で優勝できないの?


そういう人に限って、かつて50waysで述べたように、


「私はロジックだけ重視のSpeakerではないんで」とか、「あのジャッジは褒めてくれた」とか、言い訳を繰り返す。


【参考】

http://ameblo.jp/drunkonspeech/entry-10103926794.html

http://ameblo.jp/drunkonspeech/entry-10104140969.html



繰り返すうちに自己陶酔して泣き出す。


本当にこんな人がチーフでその時の後輩はかわいそうだ。




とまあ、やばいチーフを判断する基準は実にクリアだ。


皆さんの周りにもこうした先輩チーフがたくさんいるのだと思う。


肝心なのは、


①彼らはやばいチーフだったということを認識すること。

②彼らを目標になんかしたらいけないということ。

③彼らを後輩の教育には出来る限りタッチさせないこと。

④当然モデルスピーカーにも呼ばないこと。

⑤彼らがやっていたことを変えないと今年も去年と同じになるということ。

⑥だから、自分が新しいことを実行しなくてはならないこと。

⑦迷ったときは少なくとも実績のある人にアドバイスを請うこと。


ということだ。


チーフはESSの屋台骨だ。


チーフが優勝できるかどうかでその年の後輩達のやる気も違ってくる。


だから、新しくチーフに就任する人は、決して前年の悪しき例を参考にせず、新たに何かを構想し、それを着実に実行していくことが必要なのだ。



また、前年に優勝できなかったチーフはもう教育活動は金輪際できないかと言えばそうではない。


もしも前年に悔し涙を流したのなら、4年生になった今年も大会に出ればよいではないか。


4年生になって作るSpeechは3年生のときに作ったSpeechとは一味も二味も違ったものになるはずだ。


(その理由は「このページ」 に書いてある)


そこであなたが見事に復活し、優勝する。


それこそが後輩達を最も感激させ、最良の教育になることを認識すべきだ。


そして、仮にあなたが優勝できたなら、その時に初めて後輩に伝えるべき何かを掴みつることができるはずだ。


なるべく前期で復活を果たそう。


そうすれば夏休みのキャンプなどでその体験から得た貴重な財産を後輩達にシェアすることができるだろう。


そのためにも、もう一度去年果たせなかった夢に挑戦すべきだ。


その意欲さえないのであれば、やはりあなたに後輩を指導する資格はないと言わざるを得ない。


Drunk on Speech


この時期になるとそろそろKUELやKESSAなどのインストラクターをどうしようかとあたりに撒き散らし始める人たちが現れる。


まあ、毎年のことだから皆さんも知っていると思うが、典型的なパターンはこうだ。


「優勝経験もない自分なんかにはインストをやる資格なんて無いよ。


それに、就活や資格試験も忙しいし、多分インストはやらない」


こんな風に言っていたのに、2月くらいになると、


「みんなもやるみたいだし、私もやってみようかな。


みんなと一緒にまた色々集まりたいしね。


Speech界に恩返しがしたいと思うようになったよ」



おいおい・・・。


みんなもやるから私もやる。


みんなと集まりたいからインストをやる。


これって自主性の無い典型的な馬鹿日本人的発想じゃねぇ?



本来インストを引き受ける理由は、


「自分は他の人たちよりも秀でた教育指導ができるから」


というのが本筋だろう。


そして、それができるのは、少なくとも4大大会・JUEL・安田講堂杯くらいのどれかで優勝したことのある人だろう。


そこで優勝すらできなかった人が、後輩を教育して正しく優勝に導くことができるのだろうか。


そんな人にSpeech界への恩返しなどできるのか?


みんながやるから、みんなと集まりたいからという発言には、対象となる後輩のためでなく、あくまで自分が楽しいからやるという卑しい発想が垣間見える。




現役生ももう少しシビアに考えるべきだ。


レベルの高くない大会の優勝を取りこぼしたインストのレクチャーなんか聴いて意味あるのか?


意味が無いどころか、間違った概念や逃げの発想を叩き込まれてしまうかもしれない。


時間の無駄どころか害悪の可能性が高い。




過去10年分くらいのKUELのSpeechセミナーのテキストを並べてみると良い。


誰一人として新たに有益な内容を追加していない。


10年間変わらないテキスト。


10年間テキストを変えられなかったインスト。


変わったところといえば、イントロやエンディングの文例を、自分達の代のSpeechにすり替えたものだけ。


でも、文例として載っているのは、優勝できなかったり、しょぼい大会の優勝Speechでしかない。


こういう組織だから僕は敢えてインストとして参加せず、自分のESSの後輩指導に専念して、50waysを書き始めた。




前年に優勝できなかった人はインストなどやっている場合なのか?


インストをやる資格があるのか?


インストなどやって、嘘物の知識や経験を伝授して後輩達に悪いと思わないのか?


そうではなくて、昨年失敗した分、4年生でも大会に出るべきではないか。


聞けば最近はOpen大会の出場枠が有り余っているという。


だったら後輩に遠慮する理由は無いではないか。


後輩にはインストとしてのあなたよりも、優勝カップを勝ち取るあなたの姿の方が、100倍も1000倍も良い教育になる。


そのことは当のあなたもよくわかっているはずだ。


ただ、4年生になっても優勝できなかったら恥ずかしいと考えているようなら、もう後輩の教育からは一切手を引くべきである。


4年になって優勝できないことよりも、自分の意向だけを優先させ、後輩に害悪を与えかねない嘘物のレクチャーをしている方が、よほど恥ずかしいことだからだ。