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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


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私が小学生の時にどうしても人参が食べられない友人がいました。給食の時間が終わっても、ずっと人参とにらめっこをしているのです。私のクラスの先生は、彼を見ては「貧しい国の子供のことを考えなさい。食べ物が無くて、おなかをすかせて泣いている子供が世界のどこかにいるのよ」と叱っていました。しかし、当の本人は「そんなの知らないよ」と一向に人参を食べようとはしなかったのです。

「そんなの知らないよ」というのは、人間の本心をついています。いくつになっても、自分と関係ないことには興味をもてない人が多いのです。きっとその割合はSpeech大会に来る聴衆の間でも高いと思います。ですから、聴衆に関心を持ってもらいたいのであれば、Speechの中の登場人物と聴衆を近づけるような考え方を披露することが重要です。

例えばこのようなSpeechはどうでしょうか。「日本に来ている留学生は大変な苦労を強いられている。仕送りが厳しい人が多いのに、物価は高いし賃料も高い。アルバイトの制限もある。こんなことでは彼らが可哀想だ。政府は奨学金を充実して、外国人留学生専用の低賃料住居を提供すべきである。私たち大学生も、彼らに親切にしてあげるべきだ。」

確かに外国人留学生の人たちの生活は楽なものではないでしょう。しかし、聴衆の多くは外国人留学生とほとんど接点を持っていない人たちです。ですからこのままでは、「そんなの僕達には関係ないよ」とそっぽを向かれてしまいます

もっと聴衆と登場人物の距離を縮めてあげましょう。外国人留学生が日本に不快感を抱くということは私たちに決して関係のないことではありません。現に、東南アジア諸国の学生の間では留学先としての日本は大変人気が低いのだそうです。日本に留学した学生は、日本で様々な不都合に出くわし、少なからず日本に反感を抱いて帰っていきます。逆にアメリカ留学の希望者は倍率が高く、留学をサポートしてくれる環境が整っているので、卒業後に故郷で有力な政治家や官僚になる人たちは自然と親米派となっていきます。外国人留学生が日本で苦しい生活を送っているのは、将来的に他人事ではなくなってくるのです。

まずは自分とSpeechの登場人物との関係を考え直しましょう。あなたが自分の関心と彼らの境遇を結び付けられれば、聴衆もあなたのSpeechに親近感を抱くようになるのです。

『勝利のために30』
他人事ではないと実感させる


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「何であんなに悪い奴が厳しく断罪されないのだ」という憤りを感じたことはありませんか。薬害エイズ裁判や政治癒着のニュースが流れるたびに、皆さんにもそのような怒りが込み上げてきたことがあるのではないかと思います。

このような問題を引き起こしているのが、観察可能性と立証可能性の違いです。「あいつは悪い奴だ」ということがうわべでは観察できたとしても、「本当にあいつは悪い奴なのか」ということを立証するのは非常に難しいのです。逆に立証することが可能であれば、第3者(代表的なものとしては裁判所)から罰則を与えることができるので、悪人の行動を是正することができます。しかし、実際には立証可能性にまで踏み込んだ分析をしているSpeechにはあまりお目にかかることがありません。

例として、一昔前に流行った「ストーカー」に関するSpeechを上げてみましょう。

「ストーカーの被害者はひどい目に遭っているのに、裁判になると無罪になることが多い。有罪でも軽い量刑ばかりだ。こんなことは許せない。もっと罰則を厳しくすべきだ」

このような意見が多く見られました。もちろん、量刑が軽いのか重いのかは議論の余地がありますが、基本的にこのSpeechは観察可能性に基づいた意見であり、立証可能性についてはほとんど忘れ去られています。つまり、「被害者はひどい目に遭っている」、「ストーカーは卑劣な輩だ」ということは観察できる事ではあるけれども、それを立証することができなければ、裁判で勝つことはできないということです。Speakerが言っているとおり、裁判で無罪になるケースが多いのは、実は立証するための証拠を丹念に集めている被害者が少ないからなのではないでしょうか。そして、重要なのは「観察だけで立証できなければ、刑罰を重くしたとしてもストーカー行為を是正することはできない」ということです。

立証可能性を固めていくという内容のSpeechがもう少しあっても良いのではないかと思います。ストーカー事件の場合だったら、犯罪内容の録音・録画・書面での証拠作成、被害による後遺症の証明方法、警察・医師・探偵などの専門家との相談方法などをテーマの中心に据えるのです。そして、この考え方は、他にも、いじめ問題や医療過誤の問題など、様々な場面で色々と応用することができます。ぜひとも一度考えてみてください。

『勝利のために29』
観察だけでは罰は与えられない


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毎年言えることなのですが、「弱者を保護しよう」というSpeechは非常に数多く見られます。もちろん弱者は守られるべきなのですが、それがあまりにも当たり前なことなので、単純に保護ということだけを声高に叫んでも、概してあまり高い評価はもらえません

弱者のタイプは、農民や漁民、商店街、老人、子供、重病の患者、地方の村など多岐に渡っており、どのSpeechでも必ず、「政府は彼らを保護する法律を作るべきだ」とか、「政府は彼らを援助しなくてはならない」ということ「だけ」が強調されています

しかし、「弱者を保護しなくてはならない」というお題目は、議員の先生方や役人たちに様々な既得権益を与えているのです。「○○先生に頼めばきっと助けて下さる」という台詞が横行し、経済的に様々な非効率を生んでいることはみなさんも御存知でしょう。知っているのに、自分のSpeechの中ではそうしたことには一切目をつぶって、弱者保護だけを訴えているのです。これじゃあ無責任ではありませんか。

視点を変えてみましょう。はたして、日本でよく行われている弱者保護政策によって、本当に弱者は救われているのでしょうか。これまで農業や漁業に対して莫大な額の補助金がばら撒かれてきましたが、そういう産業の生産性が上昇したなどという話は聞いたことがありません。改正大店法などによって、未だに大規模店舗は出店できにくくなっているようですが、商店街が活気を取り戻している地域はほとんど無いようです。

見方によっては、弱者は強者によって保護政策というぬるい毒の中に浸からされていると考えることができます。いきなり死ぬということは無いが、活力を取り戻すことも無い。競争によって強者に挑むチャンスややる気を奪われ、徐々に生殺しにされていきます。そして、できるだけ延命期間は長くされ、長くなった期間の分だけ強者が既得権益の蜜をすすっているのです。弱者保護政策で得しているのは実は強者なのかもしれません。

弱者保護政策をTopicにしようと思ったら、弱者のことなんか全く考えていない強者が、裏で自分達だけおいしい思いをしていないか調べる必要があります。そして、弱者が再び活力を取り戻すにはどうしたらよいのか熟考してください。それは保護だけでしょうか。保護だけ叫ぶのは、どこかの政党の御老体だけにしてもらいたいものです。

『勝利のために28』
保護だけでは復活できない


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大会の応援に行くことの重要性の一つに、出場しているSpeakerのSpeechから良いところを盗むだけでなく、それぞれのSpeechに一つ一つ批評を加えていって、そこから全く違った展開のSpeechを練り上げるということがあります。「あまり面白くないな」ということを体感した上で、「なぜ面白くないか」を考えます。その理由を積み上げていくと、「逆にこうすると面白くなるかもしれない」というアイデアが湧いてくるのです。その論旨を素早くメモにとってしまえば、自分のTopicを一つ探したことになります。

ここで重要なのは、子供の喧嘩のように単純に反対のことを言い出してもあまり意味がないということです。具体例として差別の問題を扱ったSpeechを取り上げてみましょう。

よくSpeechの題材にされるのが、韓国人の方々に対する差別や偏見です。在日の方に対する差別行為、韓国人学校に対する差別、教科書問題など、Topicの種類は多岐にわたります。しかし、もちろん、差別そのもの自体は決して許されるものではありませんが、これもニュースや新聞で言われていることをそのままSpeechにしているものが少なくなく、それだけでは高い評価を得ることはできません。

このように一般論だけを展開しているSpeechを聞いて、「韓国人にだって日本人に対する差別や偏見があるではないか。教科書にしたって、日本人を必要以上に極悪人扱いしていてけしからん」と批評してしまうのはどうでしょう。これでは、ムキになって単純に反論しているだけで、そこからプラスの何かを生み出すことはできません。ここでは、どうしたら日本人に対する差別を解消することができるのかを考えるべきではないでしょうか。

私はこのSpeechを聞いているときに、友人の韓国人留学生が、九州に始めて来た時に日本人がとても親切なので驚いたと言っているのを思い出しました。韓国内では、日本人は野蛮人とだけ叩き込まれていたが、ちょっと九州に足を運べばたいていの誤解は解けてしまうと言っていたのです。すると、例えば博多と釜山を海底トンネルで結び、九州の観光地を韓国旅行者向けにさらに整備すれば、偏見も解消するだけでなく、九州の経済にとってもかなりのプラスになるのではないかという新たなTopicが出来上がったのです。

もうおわかりでしょう。批評は喧嘩ではありません。プラスを生み出す方法論なのです

『勝利のために27』
批評して喧嘩しない


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就職活動の面接をしていると、やたらと業界の知識を持っている「物知り君」に出くわすことがあります。もちろん自分が志望している業界を研究することは大切ですが、知識だけひけらかして終わってしまうのであれば、評価を高くすることができません。中には、些細なことを知っているのをひけらかして、面接官に「あっ、御存知ありませんでしたか」などと失礼なことを言う人もいます。面接官には知恵で勝負すべきところを、たまたま自分が知っていた知識だけで勝負しようとして失敗するのです。

このことはSpeechにおいても同じです。Speechというのは次の4つに分類することができます。

①一般的なTopicを一般的な意見で述べる
②マニアックなTopicを一般的な意見で述べる

③マニアックなTopicを斬新な意見で述べる
④一般的なTopicを斬新な意見で述べる


Speechとしての評価は概して④に近付くにつれて高くなっていきます。しかし、Speakerの中には、OriginalityとはTopicのマニアックさであると勘違いしている人が多くいます。皆が知らない知識を披露すれば、それがすなわちOriginalityを高めて評価が上がると思っているのです。そういう人に限って②で止まってしまいます。目指すべきは2段階上の④であるのに、そこで満足してしまうのです。

このような状況が顕著に見て取れるのが医療系のTopicです。普通は聞いたこともないような病気について前半で延々と述べて、ほとんど行数がなくなった後半の提案部分では、「早期発見、早期治療」という誰もがやるお決まりの手だけ見せて終わるのです。これでは芸がありません。

聴衆が知らない知識を見せた時点で勝負が終わるのではないのです。知識を与えてから勝負が始まるのです。聴衆はあなたがその知識を使ってどのように主張を展開するのかを見ています。ですから、知識だけではせいぜい感心くらいしか呼べないのです。聴衆の感動を巻き起こすのは知識の上に立つ知恵なのです。

『勝利のために26』
感動を呼ぶには知恵を駆使する