前項で「Judgeの寡占化を防ぐために」という話をしましたが、Judgeの寡占化が招く潜在的な危険性は他にも色々とあります。先日、Speech界の大先輩と、つい最近まで大会の運営の中枢に関わっていた若手社会人と、それぞれ別の機会に色々と話をしたのですが、両者ともJudgeの寡占化が引き起こす最大の問題点は、「情による審査のぶれ」と評していました。これは私が普段から思っていたことでもあり、他の人の関心事も同じだったのだなと改めて思いました。
Judgeも人間ですので、長く一人のSpeakerと関わってくると多かれ少なかれ情が入ります。特に、頑張っているのに成績が上がらなくて苦労しているSpeakerを見れば、何とかしてやりたいと思うのが人情でしょう。
例えば、そのSpeakerが自分が現役時代に苦労していたのと同じ原因で悩んでいたり、下級生や同級生が破竹の勢いで勝ち進んでいるのにその人だけの成績が伸び悩んでいたりするのを目の当たりにすると、ついついそちらに情が移ってしまうこともあるでしょう。また、自分が前の大会でコメントした事をしっかり原稿に活かして一生懸命Deliveryをしているのを見て、その努力を認めてあげたいという気持ちになっても不思議ではありません。もっと泥臭い話、自分のコメントを活かしてもらったのに優勝できなかったら、自分の教育能力に疑問をもたれてしまうという余計な不安を持つJudgeもいるかもしれません。さらに酷い例だと、大会関係者が自校からの出場者の苦労話をたくさんして、Judgeの同情を得ようと仕向ける例もあるかもしれません。
これは公平な審査という観点から見て健全とは程遠い状態です。「そろそろ勝たせてやらないと」とか「応援してあげたい」という気持ちが少しでも審査に入ってしまったら、大会の正当性に大きな傷がついてしまいます。
例えばこんな例があります。これまでずっと優勝できなかったSpeakerに、いくつもの大会で審査をしてきたあるJudgeが、「最後に優勝できてよかったね。ずっと応援していたんだよ」などという不用意なねぎらいの言葉をかけたのです。運悪く、その横で準優勝の辛酸を舐めた人が険しい顔をしてその発言を聞いていて、やりきれない怒りを胸に会場を後にしてしまいました。その時私は、自らの審査の正当性に疑念を抱かれるような事を平気で口にするJudgeもいるのだなとあきれ返ってしまったのですが、そういう発言はこれまで何回もそのJudgeとSpeakerが大会で顔をあわせていたからこそ出てきてしまったのだと思います。仮に、そういう状況を放置してしまったために、聴衆の誰もが予想だにしない人が優勝に選抜してしまったりしたら、大会の評判は一気に崩れ去ってしまうのです。
重要なのは、少数のJudgeが一人のSpeakerのシーズンに長く関わりすぎるような状況を作り出すのは危険だということです。当然のことながら、全てのJudgeは正当な審査を心がけるでしょう。しかし、人間、苦労している人を長く見れば、「無意識のうち」に情が入ってしまう可能性は小さくありません。だったら大会の公平性を期すために、過去の経緯に関わっておらず、まっさらな気持ちで審査に望めるような人をJudgeとして確保しておくことは大切なことだと思います。ちょうど、官僚がある役職に一定以上留まると癒着を生む可能性があるので配置換えをするのと同じことです。癒着があった、無いに関わらず、そうした可能性を排除するということが重要なのです。
