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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。

改めて言うのも本当に馬鹿馬鹿しいのですが、他人の力ばかりに頼って優勝しても全く意味がありません。本選審査員に本来は自分が考えなくてはならないことを丸投げして、そのおかげで優勝カップを手にしても、肝心な本人の脳みそには今後の人生において役に立つようなことは何も蓄積されません。それでもいいからどうしても優勝カップが欲しいと言うのでしょうか。そういう浅ましい人間が、神聖な壇上の上に立って嘘物のSpeechをいけしゃあしゃあと発表しているかと思うと虫唾が走ります。

これまで私は本選審査員によるゴーストライト行為をずっと非難し続けてきました。しかし驚いたことに、
ゴーストライトのみならず、Q&Aセッションでの想定問答集作りまで本選審査員に頼っている現役生がいるらしいのです。もし本当なら、現役生の脳死状態もここまで来たかと返す言葉がありません。

あなたは気づいていないのかもしれませんが、周囲の人間は、あなたが本選審査員の実名がボコボコ入った想定問答集を陰でこっそり開いていることを知っているのですよ。
あなたは、周りのライバルたちから、「あいつはフェアじゃない。汚い奴だ」と陰口を叩かれても、それでも嘘で塗り込められた優勝カップを手にしたいのでしょうか。そのモラルの無さにあきれ返ってしまいます。

想定問答集を作るということは、自分のSpeechの本当に伝えたいことを確認するプロセスでもあります。自分のSpeechの核となる考えが何かを理解し、想定される質問をその考えと矛盾しないように答弁するにはどうしたらよいかを考えなくてはならないのです。自分のSpeechのテーマから脱線するような質問は短く返し、核心を突くような質問には丁寧に答え、原稿の中で触れることができなかった部分までカバーして答弁してあげるなどといった工夫が必要です。ですから、想定問答集を作るというプロセスには多くの知力が要求され、それを自力で乗り切った者こそ、本当に自分がSpeechで伝えたいことは何なのかということがわかるのです。

そういう作業を、「面倒くさいから」と本選審査員にお願いしてしまうという厚かましさ、公平に対する正義の欠如はどこから来るのでしょうか。ベースとなる想定問答集は自分で作って、本選審査に関わらない人間に何か自分が見落としていないかどうかアドバイスを求めるならまだ許せます。しかし、それを卑しくも本選で審査を行う審査員に丸投げしてしまうという発想はどういう脳みそから生まれるのか、私には理解できません。

また、繰り返し言うのもいい加減飽きてきたのですが、本選で審査する立場の人間が、そういうお願いをホイホイと引き受けてしまうという現状にはあきれ返ってものが言えません。そして、そういう本選審査員を、「有名ジャッジだから」という表面的な理由だけで採用し続ける大会実行委員会には絶望してしまいます。
口ではご大層なことを言いながら、「公平性」という大会には必要不可欠な大原則が侵害されている現状をあえて黙認し、公平性を害している本選審査員を罷免するという大ナタを振るえないようでは、どこかの政党の腰抜け代議士と同じです。公平でない大会が本当に素晴らしい大会であると言えるのでしょうか。

ここまで現役生と本選審査員との間のモラルハザードが進行すると、それを食い止めることができるのは大会実行委員会以外ありません。大会実行委員会の人達は、まずは自分たちの大会に出場してくれる出場者に対して、どのような環境を提供することが自分たちの使命なのかをよく理解すべきです。その上で、本当に素晴らしい大会を開催するためには、勇気ある行動を自分達がとることが絶対必要不可欠だということを、心に刻んでもらいたいと思います。




最近、一部の本選ジャッジ達が多くの大会の審査を務めるにもかかわらず、事前にその大会に参加する可能性がある学生に対して個別にコメントやアドバイスを送ったり、ひどい場合はゴーストライトをしたりしていることに対する懸念がESS界全体で渦巻いているようです。大会で審査を担当する者が、事前にその大会に参加する可能性がある学生に対してアドバイスを送ることは、公平性を鑑みれば絶対にやってはいけないことですから、学生側からの不満・悲鳴も至極当然のものだと思います。

これに対して、色々な反論が出たようです。ここで逐一私の考えを述べているときりが無いのでやめますが、
本選ジャッジを務める人間は大会前に学生との接点を絶つことによって自らの公平性を主張すべきだと私は思います。

有能な本選ジャッジの方はSpeechのみならずDebateも強いと思いますので、「不公平だ」という意見に対して、色々な言葉尻を捕まえて論破を試みてくるかもしれません。しかし、そうした努力によって自らの身の潔白を認めさせようとしたところで、一度持たれた不公平に対する疑念が学生の間で晴れることはないでしょう。
むしろ、反論を試みれば試みるほど、憎悪にも似た念が沸き起こるのではないかと思って心配しています。

さらに問題なのは、こうしたことに手を染めている本選ジャッジは決して表では反論を行わず、自らは裏でこうした行為を続け、表で正当に自分の主張を述べている潔白な本選ジャッジのみが(その人は決して悪くないのに)ネット上で叩かれるという本末転倒な構図が引き起こされるということです。学生の諸君は、本当に不公平な活動を行っているのは誰なのかを厳しい目で見なくてはなりません。

この件に対して、地域を問わず多くの学生から私のところにメールが届きました。彼らからのメールにほぼ共通しているのは、

① 前から特定の本選ジャッジが大会前に学生を助けるのは不公平だと思っていた。

② 本選ジャッジによるゴーストライトは隠れて行われているようで、必ず白日の下に曝される。自分たちのライバルが本選ジャッジの手助けを受けて優勝したということがあからさまになるたびにやりきれない思いがする。

③ 本選ジャッジにゴーストライトしてもらった人間が誰だかはすぐわかる。ある日突然Speechの内容も英語も劇的に変化していて、何食わぬ顔で自分で書き直したかのように振舞っている。見ていてこちらが恥ずかしくなる。

④ ここ数年、とある特定の本選ジャッジが、「Speechを見てあげる」と大々的に営業活動を続けていて、その本選ジャッジのお気に入りにならないと優勝できないのではないかというプレッシャーがかけられている。どこの大会に行ってもその本選ジャッジの顔ばかり見るので、ますます不安が増大する。彼らにはもういい加減にして欲しい。

⑤ 本選ジャッジにゴーストライトしてもらった人間が上級生にうようよいる。しかし、自分たちの代はそういう行為に手を染めることは不公平なのではないかと疑問に思って、その本選ジャッジに原稿を送ることをためらっていると、「そんなことだから優勝できないんだ。だからお前達は駄目なんだ」と不安をあおってくる。

といったものでした。まったく、こうした不公平な行為を続ける本選ジャッジは、自らの虚栄心を満たしたいためなのか、単なるおせっかいなのか、それとももっと別の思惑があってそうしたことをしているのか、私には到底わかりかねます。
しかし、そうした本選ジャッジの行動によって、主役になるべき学生諸君がいい迷惑を被っていることを知り、いつからESS界はこのように堕落した世界になってしまったのかと、悲しくなってしまいました。

これまでの事の顛末を見ていると、いくら警告を発しても、そして学生の間からいくら疑念が上がっても、こうした本選ジャッジは自らの行動を反省し、改善することは無いのではないかと思っています。それどころか、「俺は悪くない。間違っているのは不公平ということを指摘している人間の方だ」と逆切れしてくるのがおちだと思います。そうなると、
彼らの自浄作用には期待することはできず、ESS界に公平性を取り戻すことができるのは、不公平な活動を行っているのではないかと疑われる本選ジャッジを大会から締め出すことができる大会実行委員会のみだということがわかります。

しかし、こういう断固たる処置は、「大会の公平性を保つことは、応募してくれたスピーカー、来場してくれた観客に対する我々の義務だ」という強い信念を持った大会実行委員会でなくては実行することができません。
ところがどうでしょう。誤解を恐れずにあえて言えば、現在のESS界で「大きな大会」とか「有名な大会」と言われる大会を運営しているESSのほとんどすべてが、ここ数年は真面目にSpeech活動に取り組んでいるとはとても言えないくらいお粗末な成績しかOpen大会で残していません。そもそもOpen大会には応募すらしないESSも多くあるようです。そういう、情熱を持っているとはとても言えない人達が、既存の本選ジャッジを解雇し、新しい本選ジャッジの選定を一からやり直すような面倒くさいことに着手することに期待するのは、ほとんど無理なのではないかと悲観しています。

しかし、真剣に考えてみてください。なぜ不公平な活動を行っている本選ジャッジは、自らの行為に向けられた非難などお構いなしに、決して反省することなく、不公平を助長するような行為を継続するのでしょうか。
それは、大会実行委員会自体が脳死状態になっていることを彼ら自身も十分承知していて、どうせ何をやっても自分が本選ジャッジから下ろされることは無いと高をくくっているからだと思われます。

大会を運営する人間にとって、審査の公平性を保つ環境を整えるということは絶対的に必要な事項であって、相対的に必要な事項ではありません。「不公平だけど英語力がある」とか、「不公平だけど他にも素晴らしい教育を行っているから」とかいって、そういう人物を本選ジャッジとして残すという言い訳は通用しないのです。そういうつまらない逃げ口上を打つ実行委員会は、審査の公平性がいかに神聖なものなのかという基本中の基本がわかっていないのでしょう。そして、せっかく自分が主催する大会に一生懸命努力して出てくれた出場者が、不公平に扱われて悔し涙を飲むかもしれない状況を放置してよいと思っているのでしょう。そんな名ばかりの大会が、「日本一の大会」とか「日本有数の大会」などと自ら謳っているのを見ると、非常に滑稽に映ってしまいます。

大会実行委員会の皆さんには、今一度真剣に公平性について考えてもらいたいと思います。このままこうした状況を放置すれば、確実にESS界は堕落に向かうと思います。そして、不公平な本選ジャッジを招待し続ければ、自分たちが運営する大会が冷めた目で見られるかもしれないということを認識しなくてはなりません。


このままいかがわしい本選ジャッジを招待し続ければ、「あの大会は、19世紀の偉人たちの名前を借りただけの過去の遺物のような大会だ」と陰口を叩かれても文句を言えなくなると思います。
せっかく自分たちが努力して作り上げた大会が、本選ジャッジの不公平な行為によってその名を汚されてしまうことほど馬鹿馬鹿しいことは他には無いと思いませんか。

不公平の連鎖を絶つことができるのは大会を運営する学生諸君のみです。学生諸君の正義感に今後は期待したいと思います。




大学でも会社でも、いつの時代でも年長者というものは年下の人間がやっていることに口を出したくなるものです。いつまでも一つのポジションに居座って、若い世代にチャンスを与えず、とにかく若い世代がやっていることが気に食わなくて、ああせいこうせいとおせっかいを焼いてくるのです。しかし、それが若い世代のためになるかと言えばはなはだ疑問です。

大会運営についても同様のことが言えます。大会を運営する主体は学生であるにもかかわらず、「ジャッジをやらせろ」、「あのジャッジは外せ」、「今度は俺の知り合いをジャッジにしろ」、「あいつの言うことは信用するな」、「レクチャーをやらせろ」と次々と要求してくる人がいるのに閉口したことがある人は少なくないでしょう。
仕舞いには、「俺が大会運営を企画してやる」とまで学生たちに執拗に迫り、何から何まで自分の偏見を押し着せようとする人までいるそうです。

言うまでもないことですが、大会運営は自分の頭で考えて、いかにして聴衆を楽しませるか、参加者に最高の舞台を整えてあげるかを企画しなければ、その後の人生に役立つ経験を積むことはできません。何でもかんでも年長者の言いなりになり、押し付けられる一方では大会運営のやる気も無くなり、運営のレベルも年を追うごとにどんどん下がっていくのです。

逆に、何も考えずにとにかく年長者の好きなようにやらせておけば気楽でいいや、というやる気のないESSもあると聞きます。
そういう大会では、学生らしさがどんどんなくなり、その大会で一番印象に残るものと言えば、その大会を牛耳っている年長者だと陰口をたたかれる危険性があるということを、真摯に受け止めるべきだと思います。

必要なことは、とにかく多くのことを要求してくる人達に対して、あるラインを超えたら断りを入れることです。
そこから先は大会運営の本質に関わることだから、頼りないかもしれないが私たち学生に任せてくれということをきっぱりと主張すればよいのです。それでへそを曲げるような年長者がいれば、その人との関係を見直せばよいのです。

社会人たるもの、頼られれば援助は惜しまないが、押し付けは決してしないという大きな心を持たなくてはなりません。
「ああしろ、こうしろ」という前に、学生が頼ってくるのを待つか、「もし良ければ手伝うから、必要なら後で気軽に相談してください」とやんわり支援を申し出るくらいにしなくてはなりません。そうでないと、自分では学生のためを思ってと信じているが、学生からは鬱陶しがられているという、周りから見たらとても滑稽なワンシーンを演じる羽目になるのです。




前の原稿でも述べたが、少数の有名Judgeが大きな大会を席巻している状況は問題があると思う。審査する人間が同じならば大会の独自性は失われかねず、前の大会の結果を見れば大体誰が優勝するかも見えてしまう。そこに昨今のESS界で蔓延している、本選Judgeによる「過剰コメント」や「ゴーストライト」が加われば、もはや今のESS界の大会の多くが公平に審査されなくなる可能性があるのだ。

このように述べると、
「とは言っても有名Judgeを呼ばないと自分の大会の格が下がってしまうのではないか」という頓珍漢な事を言ってくる人がいる。改めて言うまでも無いが、大会の格を決めるのは出場者のSpeechの質の高さ、大会運営の質の高さであって、有名Judgeを呼んでいるかどうかなんて関係ない。むしろ、前述したとおり、他の大会でもお馴染みの有名Judgeを呼ぶことで、下馬評どおりに審査が行われるのだから、自分の大会独自のJudgeを擁立する方が、むしろ大会の格を上げるのではないだろうか。そうした努力をせずに、自分の大会の格を有名Judgeの名前で上げてもらおうと思うのほどこっけいなことは無い。

自分の大会の趣旨を理解し、社会的経験・知識も豊富で、英語力にも問題の無いJudgeを自分達で掘り起こすことは非常に重要だ。そして、そのJudgeがどのような判断基準を持っていて、実際に自分達の大会で何を根拠にそのランキングを出したのかをつぶさに観察しなくてはならない。
そのJudgeが有能で公平なJudgeかどうか判断しなくてはならないのは、まぎれもなくその大会の主催者である学生達だからだ。

ところが、有名Judgeの中には、「君達が呼んでいるあのJudgeは全然駄目だ。来年は私がJudgeをやってあげよう」とか「私が紹介するJudgeを呼びなさい」とかいうお節介な営業活動をしている人達がいるという話を聞く。まったく、何を考えているのだろう。自分達が呼んだJudgeが有能で公平であるかを判断するのは学生達でなくてはならず、それが判断できないほど学生が馬鹿だとも思えない。
大会にとって一番重要な要素の一つであるJudge選定にまで口を出す大人がいるかと思うと辟易としてしまう。

そもそも、「私が紹介してあげる」と言われたJudgeを招待するリスクは他にもある。たいてい新たに紹介される人達というのは、紹介してきたJudgeの大学の後輩であったり、プライベートで付き合いのある人達であることが多い。当然、その人達の審査経験は紹介したJudgeより少ないだろう。そういう人達とそのJudgeが同じ審査ルームに入るとどのようなことになるか。仮に意見が割れたとき、新米Judgeには有形無形のプレッシャーがかかる可能性があると考えてよいだろう。
実際にそういうことが行われているという事を言っているのではない。全く独立にJudgeを選んだときに比べて、紹介者と紹介された人が同室にいるときは、そういうことが起きてもおかしくない可能性が高いという事を言っているのだ。大会関係者はそういう潜在的なリスクもコントロールしなくてはならない。そうしないと、結局何人Judgeを呼ぼうとも、最終的な意思決定は一人のJudgeに牛耳られてしまう可能性が高いからだ。

それにしても、Judgeの寡占状態を見ていると、呼ぶほうも呼ぶほうだが、毎週呼ばれて行く方も呼ばれて行く方だと思ってしまう。
Judgeの寡占状態が、多様な意見を評価する下地を損なう可能性があるということを、もっと両者が理解する必要があるのではないか。

私のような無能な人間は、週末も仕事をしなくてはならなかったり、仕事が無くても未熟なキャリアを補足すべくOJT以外の勉強をしなくてはならない。当然家族と共に過ごす時間も大切だ。だから、多くて1シーズンに2つ程度の大会でしかJudgeなどできない。毎週Judgeをこなしているような人は、仕事は能率的で平日に全て終わらせてしまい、勉強などしなくても確固としたキャリアを築いているのだろう。きっと家族も理解があるのだと思う。そういう自由な生活を謳歌できるほど有り余る能力・環境があるというのは羨ましい限りだが、その能力・環境をフルに発揮しすぎるのではなく、もう少しJudgeの裾野を広げるために、ここは一旦しばし休息を頂くことも必要なのではないかと思う今日この頃である。




一体いつからSpeech界はこんなにもおかしな人が幅を利かせる世界になってしまったのでしょう。こともあろうに、知性の代表として大会に呼ばれているJudgeが、「なぜ自分をJudgeに呼ばないのか」と激怒し、「呼ばないのであればそのESSを他の大会で不利に扱う」ということをほのめかしているというのです。少なくとも私が現役の時はこんな頭の悪い下品なJudgeはいませんでした。誰がこういう輩をSpeech界にはびこらせてしまったのでしょうか。

大会運営者の人たちは肝に銘じておいてください。
「俺にJudgeをやらせろ」という奴にはろくな奴がいません。Judgeとは、選ばれてなるものであって、強引に売り込むものではないのです。そういう奴に限って、呼んでくれて、おだててくれたESSには有利な扱いをして、呼ばなかったESSには不利な扱いをするようになるのです。まさに害虫以外の何物でもないのです。

中には、呼ばないことで不利に扱われるのではないかという恐怖心から、泣く泣くそういうJudgeを呼んでしまうESSもあるでしょう。しかし、そういうJudgeは自分に良い事ばかり言う人間のみを上位にランクインさせるのですから、大会に自ら不正をはびこらせることになるのです。
自分達が不利になるからといって、せっかく自分の大会に出場してくれた関係のない出場者達が、不当に評価されうる環境を作ってよいのでしょうか。それもまた不正行為だと思います。

もっと酷い例では、そういうJudgeを確信犯的に自分の大会に招待し、何とかして有利な結果を引き出そうというパターンもあります。でも、そんなことは他のESSの現役生はみんな知っていますから、おべっかを使って、有利な取り計らいをしてもらって優勝した人間には、本人も知らないところで侮蔑の嵐が沸き起こっているものです。
優勝したのに軽蔑されるのは悲しすぎませんか?しかし、自ら選んで不正手段を利用したのですから当然の報いです。

大事なことは、こういうとんでもないJudgeは全国のESSが一斉に駆逐してしまうということです。
一つのESSの問題ではなくて、Speech界全体の問題としてこういう人間をJudgeに選んではいけないのです。大会運営者の皆さんは招待するJudgeの情報をもっとこまめに取るべきです。おかしな発言を行っているJudgeを招待してしまうと、せっかく作り上げた大会のみならず、あなたのESSの評判自体も汚してしまうことになってしまいます。頭の悪いJudgeに大会を滅茶苦茶にされることほど馬鹿馬鹿しい事は他にはないと思いませんか?