我が家のおせち料理は、毎年質素なものですが、筑前煮は必ず正月メニューに出てきます。

 

筑前煮は、亡き父の故郷福岡県の郷土料理で、地元では「がめ煮」と呼ばれています。

 

なぜ「がめ煮」という名がつけられたのかについては諸説ありますが、そのうちのひとつに、博多弁で「よせ集める」ことを「がめくりこむ」といい、鶏肉を根菜類と一緒にひとつの鍋で煮たてたところから「がめ煮」と呼ばれるようになった話が伝わっています。

 

ちなみに「筑前煮」という名前は、明治時代初期までは福岡県を「筑前国」と呼んでいたことに由来しています。

 

人参(おめでたい)や里芋(子孫繁栄)、蓮根(先を見通す)、ゴボウ(安泰な暮らし)など、縁起の良い根菜類を入れるので、福岡県ではお祝いの席では欠かせない料理となっています。

 

今年は私が、父が残したレシピ(人参・里芋・蓮根・ゴボウ・椎茸・コンニャク、鶏肉・ブロッコリー)を思い出し、母に味付けを教えてもらいました。

 

※本来なら筍の水煮も入れますが、値段が高かったので断念しました。


皆さん、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて今年の年賀状も「筆ぐるめ」ソフトを使って作成しました。(仕事でも、受講生に「筆ぐるめ(入門編・応用編)」を教えています。)

 

最新版の「筆ぐるめ(Ver29)」には、俳句作成機能が追加されていますので、今年は自分で考えた俳句を年賀状の中に加えてみました。

12月に入り、朝夕と冷えてきました。l今日も朝から晩まで仕事だったので、17時の休憩時間に日清食品のカップヌードル(レギュラー)を食べました。

 

 

カップヌードルは種類も豊富ですが、ミニサイズやビックサイズもあります。

 

さて、このカップヌードルを開発した実業家 安藤百福について、お話ししたいと思います。

 

安藤百福は1958年に日本初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発・販売しました。その8年後の1966年、アメリカの企業にチキンラーメンを売り込んだとき、社員が紙コップを使ってヌードルを食べる光景に衝撃を受けました。

 

帰国後、カップヌードルの開発に取りかかり、1971年に販売にこぎつけますが、値段が高かったことと、歩きながら物を食べることは下品な行為だとして、人々から相手にされませんでした。しかし百福は「われわれはラーメンを売るのではなく、食文化を売るんだ」と社員や取引先を説得し続けました。

 

1972年に起きた「あさま山荘事件」のニュースがテレビで放送されると、それまで見向きもされなかったカップヌードルの人気に火が付き、一時期、生産が追い付かなくなるほど爆発的に売れるようになりました。さらに1995年に発生した阪神大震災では、自らキッチンカーを出して、被災地に温かいカップヌードルを無料で提供したエピソードがあり、2007年に百福が亡くなった後も、各地で起こった災害の救援物資としてカップヌードルの提供が現在でも行われています。

 

百福が残した名言「食足世平」。食べ物が足りてこそ、人々は安らかになり、世の中が平和になる。この言葉はSDGSにも活かされ、特に「2 飢餓をゼロに」に大きく関係しているのではないかと思います。

 

SDGs 始まった食品事業者の取り組み:日清食品ホールディングス(農林水産省HP)

今日の早朝から家族と紅葉を見に、石川県の那谷寺と滋賀県の教林坊へ行ってきました。

 


まず最初に訪れたのは、石川県の那谷寺。那谷寺の見どころは、自然にできた岩山の洞窟内に安置されている石碑や社が見られる奇岩遊仙境と稲荷社。安全と景観保護のため立ち入り禁止になっていますが、展望台から眺めても、長い年月をかけて創られた景観美には圧倒されました。

 




北陸自動車道を降りた場所に、羽二重餅の専門店を偶然見つけたので、教林坊へ行く途中に立ち寄りました。羽二重餅は福井県の銘菓子ですが、今ではプレーンだけでなく、抹茶味や黄粉味もあり、さらにはいちごを羽二重餅で包んだものや、生羽二重餅なども販売されていました。

 



滋賀県の教林坊へ着いたのは16:00頃。ライトアップされた紅葉は、普段見る紅葉の美しさとはまた違った趣があって、とても綺麗でしたが、ライトの灯りがiPadでは白く映ってしまうため、写真撮影は難しかったです。


夕食は大津SA(下り)で大津ちゃんぽんを食べました。


大津SAにはストリートピアノが置かれていましたが、到着したのが19:00だったので、弾くのを断念しました。