昨年3月29日に転移性肺癌でなくなった、シヅ先生の治療は
郡山にある南東北病院で行っていた

シヅ先生は
東北の人たちの飾り気のない気質を愛していた

さらに
この病院の理念に感動したとかで

僕をお供に
東海道新幹線、東北新幹線を乗り継いで名古屋から通院していた


治療方針を決めてくれた
南東北病院陽子線センターの不破部長は
陽子線の世界的権威で
旧知の仲だった

不破先生の部下の若手医師に
僕の東海高校時代のクラスメイトの
中村くんの息子がいた

中村医師は三男の幹弥の後輩で
好青年で
シヅ先生のお気に入りだった

ホテル連泊を伴う通院なので
東北地方では
二人で楽しい毎日をすごしたものだ

過去のブログを読み返してみると
涙がこぼれる

大勢の方々にお世話になりました。

みんなにお世話になるたびに
「わたしがいなくなっても、ご恩返しするのよ」って
いつも言ってましたね

「あなたがいなくなったら、ついて行くから、さみしがらないで」

言う僕に

「バカ言うんじゃない!お世話になった方たちに義理をはたすのは、あなたの仕事よ」

後を追うことも
リタイアも許されず

粛々とシヅ先生の遺言を実行しつつある
忠実な夫だよね

昨日の報告では
被災者の患者様から
三件の問い合わせかあったそうだ

今朝は早めに赤坂高須クリニックに出勤する

僕たち夫婦は

あの
懐かしい東北の風土が大好きです

被災者の皆さんのことばかり
考えています

お会いできる日を
心待ちしています
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