高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba-SBSH1014.JPG
今日は寒いので
母と力弥を
早めに帰し

僕は
一人で
吉良家断絶のバックグラウンドを
いろいろ推理してみた

三浦和義さんや飯島愛さんのバックグラウンド調査って
あまり尊敬されないが

元禄時代の調査って
ちょっと
学問的な匂いがして
信憑性がありそうで
一般人が
信じてくれる率が高い

格調高く書くぜ

吉良町史編纂委員長で花岳寺の鈴木悦道住職によれば
「吉良家は鎌倉時代から元禄時代の絶家にいたるまで、五百年の間、吉良庄を一貫して治めた」んだそうだ
これは日本の歴史上、他に例を見ないことである」と住職は語る

吉良氏は源氏の本流である

後の徳川氏となる松平一族が野伏りをしていた時代
吉良氏の先祖は三河守護だった

両家を比較すれば
警視庁と地廻りヤクザほどの
格の違いがあった

戦国時代の末になり、
吉良氏は、下剋上で出来星大名となった松平氏と同盟関係になった

関ヶ原合戦で勝利し、家康は征夷大将軍の職を望んだ

征夷大将軍は源氏の統領に授けられる職であり

平清盛や豊臣秀吉のような実力者が望んでも
源氏でないので征夷大将軍職を手に入れることは不可能であった

家康は吉良家の系図を借りて、いろんな工作をし、策を講じ、ようやく将軍職を手に入れた。

以上の見解は
吉良町史編纂委員長の資料から孫引きしたものであり
史実であると
僕は
信じている

ここからは

僕の
オリジナル新説

徳川一族は
吉良家の家系図捏造事件を闇に葬るチャンスを狙っていたのだと
僕は思う

徳川綱吉の時代
下剋上の世は
遥か昔となり
身分や家格が固定化されようとしていた

先人の怪しげな流言は権威に傷がつくので
消さねばならない

隣国の「北の将軍様」の先祖の出自を知っている人達の子孫の運命と
吉良家の運命は
非常によく似ている

学問好きで徳川家の歴史に詳しく
徳川家絶対の太平の世を夢見た

徳川綱吉の陰謀が
名君吉良上野介義央公謀殺の真相だと
思うが
どうだろうか?



唐沢さん
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