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吉良義直央公は
なみの殿様じゃなかった

馬に乗り、
たずなを引く一人の共を連れただけで
領地の視察をするのが常であった

この馬というのが
三河産の
ただの駄馬

脚が短く、寸胴の、驢馬みたいな、みすぼらしい茶色の馬

高家筆頭の偉い殿様なんだから
普通なら
輿に乗るか
悪くても籠と共揃いはバッチリ決めるのが
しきたり


作法の権威なんだから
そんなこと
百も承知の吉良義央公
だが

そんなことに金を使わない
領民を幸せにするときは
惜し気もなく散財するが
自分の生活は
極めて質素

誰言うとなく

吉良義央公は「アカウマ様」と呼ばれ

領民に慕われた

アカウマの轡を引いた共の従者は
吉良邸が襲われた際
赤穂の浪人達によるテロから主人を守ろうと
抵抗したが
寝間着のまま
主人もろとも惨殺された

ぐっすり眠っているところへ
深夜、完全武装の金鉢に鎖帷子着込んで
武器を持たない老人や使用人を惨殺するのは
テロそのものだよ

朝になっても鎮圧できない徳川幕府は
この時点で
警察力を失っていたに違いない


赤穂の浪人達に
武士としての誇りがあるなら

真珠湾攻撃のような
汚いまねをせず

吉良庄まで来て、白昼堂々と吉良邸に攻撃をかけたら
武士道に背かないが

吉良義央公を慕う領民に
殲滅されたに違いない

一度
吉良義央公の実物を見てごらん

吉良町にある
吉良家の菩提寺である
華蔵寺に木像がある

ふくよかな丸顔で
誰でも包み込んでくれそうな
優しそうな人だよ



祖母が子供の頃は
旅役者の一座が
知らずに忠臣蔵をやったはかりに
焼き打ちに
あったそうな

今でも
アカウマ様
吉良様

呼ばれて
愛されている
吉良義央公


さぞかし無念でありましょう

「語れ!克弥よ真実を」って
吉良義央公が
泣いておられる


画伯

真説忠臣蔵
書いてよ

売れなかったら
買うから