高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba-SBSH0162.JPG
現代のアメリカでは

忙しい経営者が
自家用のビジネスジエットで移動するのは
普通だ

僕が
一番忙しい時代は
日本中に
高須クリニックがあり

全部
僕が手術してたから

クリニックから
クリニックへの
移動時間がもったいなくて
イライラしたもんだ

札幌、仙台、東京(赤坂、銀座、渋谷)横浜、名古屋(栄、名駅)、大阪(難波、梅田)、広島、福岡、おまけにホノルルにも高須クリニックがあったんだから
当時
世界一の
クリニックチェーンだったんだ

遠くから来る患者様が
「近くに高須クリニックがあったらいいのに・・・」と言われるたび
リップサービスで
「そのうち作りますから来てね」って
言ってるうちに

リップサービスを実現しなければならないはめに

おばあちゃんの時代から高須医院は分院を持って出張診療が伝統

昔から
高須家では
「医者は患者に奉仕するもの」というのが
コモンセンス

母も祖母も
「子供がひきつけた」「じいさんが倒れた」と
呼びだされ
深夜に往診に出かけるのを
普通のこととしていた

僕も
一色で高須病院を開設し、救急車と入院患者に対処するために、白衣着て靴はいたまま、病院の当直室で寝泊まりしてた

母もシヅ先生も
産婦人科の専門医で、お産のために病院で交代に寝泊まり

僕もシヅ先生も
病院に寝泊まりするのは
ちっとも
苦痛じゃない

医者に成り立てのころの
生活の糧は
病院当直のアルバイト

話しは
突然とぶが
実は
僕は
昭和医大の伝説の雀士なんだ
大岡山にあった昭和医大の柱には
「麻雀の鬼 高須克弥」って彫刻してあったし、旗の台の麻雀荘・リーベには、僕の達成した偉業の数々が額に入れて飾ってあった。
旗の台で、サイドビジネスに喫茶店と麻雀荘を経営してた、元相撲取り、高砂親方は、僕の最高級の鴨だった。
もと「とかちいわ」っていう四股名で
力技で鳴らした高砂親方は、麻雀でも力技しか知らないので、面白いほど転がせた
いっぱい負けた親方の支払いは親方の経営する喫茶店「三好」の珈琲チケット
三好の向かいにある寿司屋「鯉寿司」のオヤジも親方に負けないくらい美味しい鴨だった

だから
僕の大学時代は
コーヒーと寿司は全部ただだった

医者になってからも
麻雀はやめられない

僕と同じく
麻雀中毒の医者は
たくさん存在し
高いレートで
勝負してた

問題は
負けた時だ

金持ち開業医は
払えるが

貧乏な無給医局員は
体で払うのだ

払いかたをこれから
解説する


ヘリコプターの話は
その後でね