高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba-SBSH0574.JPG
なにをかくそう

高須夫妻は
暴走族あがりなのだ

学生時代の
僕の通り名は
「ベレGのかっちやん」

シヅ先生は
「ロータリーのシーちゃん」

他にも
「スカGのイッ公」とか「トライアンフのターちゃん」とか
仲間が
いっぱいいたな

開通したばかりの
首都高でレースをするのが
僕らのデート

今では
渋滞する首都高も

東京オリンピック当時は
ガラガラで
本当に
高速で走行できた


深夜に
首都高の出口からバックで入り
ただで
カーレースをするのが
わしら
メディカル暴走族の
スリルあふれる
おあそびだった


僕らの
たまり場は
上野毛にある
僕のアパート

大家さんは お百姓さんで広い庭が
無料の駐車場として
使えた
のどかな時代

上野毛から横浜から
第三京浜でレースするのが
大好きだった僕たち

当時
第三京浜の覆面パトカーは
日産シルビア
僕は
こいつとカーレースをして勝った

料金所でお釣り貰ってるところに
追い付かれ
切符切られた


呼び出しのハガキは何度もきたが
忙しいので
無視してたら

「次回逮捕」って
赤いスタンプ押したハガキがきた

呼び出されたさきは
渋谷の検察庁

僕以外は
手錠とこしなわつき

スピード違反のおしらべにしては様子が変

聞けば
悪質な暴走は
特別なんだって

制限時速60キロのところを
180キロで暴走したのが
僕の罪

生意気なシルビアが
挑戦してきたのを
振り切っただけだい!

振り切られたシルビアが
時速180キロで
追い掛けたんだろう

もっと出てたんとちゃうか?

覚えてないが

免停は90日なんてもんじゃなかったと
思う

罰金もいっぱい取られた

金を払わないと
交通刑務所で働いて払わなければならないんだって

母には
内緒で
西小山の中神医院に金策に行った

中神先生は東京農大の教授で
安サラリーマンだが

奥さんの中神雅江先生は金持ち開業医

「御恩は一生忘れません」って
念書入れて
金貸して貰った

結局
金は全額返済したが
念書は
まだ
回収していない

将来
お宝鑑定団に
出品されて

恥かくのが
恐怖



暴走族の本道は
バイクだ

次回は

バイクについて

語る