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僕が
訪問した
北京は
空気のきれいな、素朴な街だった

消費意欲をそそる何物も存在せず
金持ちも貧乏人も存在していなかった

正確には
すべての人が貧乏なので
貧乏意識が希薄なのだ

誰もが人民服を着て
化粧っけがなく
すべての人が平等だった

買うものがないのだから
金儲けに
関心がないのだ

北京に到着して

昼頃
天安門広場の記念碑の前で記念写真撮って
記念碑の前に旅行用ボストンバッグ忘れたまま
歓迎会に出掛けた

気がついたのは
夜9時
ボストンバッグの中には
現金やパスポートが入っている
青くなったよ

発展途上国で
習得物の
現金入りのバッグを届けてくれる確率は
限りなく低い

当時の北京の夜は
街灯もまばら

月明かりの天安門広場
僕のボストンバッグがぽつんと残っていた

当時、外国人から窃盗すれば
死刑だった

日の丸のワッペン貼ったバッグは
誰も
怖くて手が出なかったのかもしれない

ボストンバッグに入れてたのは
兌換紙幣の
人民円

輸入物資が買える
ドルや日本の円と交換できるが
一般人は
中国の物資しか買えない
人民元しか
手に入らない

中国製品はろくなものがないから
人民元は
人気がない

人民円で人民元を両替し
それで
市街の屋台で使うと
お釣りの小額紙幣で僕のポケットは
パンパンになり
あふれるほどになる

でも
インドみたいに
おねだりする人はいない

みな
純朴

そのかわりサービスもない
青島ビールは生ぬるく
コップは汚れていた

チップあげたら
追い掛けて来て、突っ返された
「正当な報酬以外はいらない」んだって

ホテルで、汚れた下着を、部屋のゴミ箱に捨てたら、きれいに洗濯して、次のホテルに届けてくれる。

貧しい中国人にはゴミも汚れ物も財産なのだろう

日本から持ち出したゴミは、中国から日本に持って帰ることになった

あれから
二十年
中国は
えらく変わってしまった


中国の後進性に呆れた
ピタンギー先生は
さっさと
帰ってしまったが

僕は
残った

高度成長期の日本の
高須家の変化を考えると

二十年後の
中国は
驚くほどの変貌を遂げるに違いない


予測は
大当りした