納得して死ねる生き方とはどんな死に方だろうか?
母親が昨日90で逝きました。納得して死ねたかな?
苦しまずに最後を迎えたらしいのでそれだけは救いか?
昭和一桁生まれとしては超高学歴な母だった。
船で渡米し、汽車に乗りカンサス州のど田舎にある大学で大学院修了。マスターオブサイエンスです。異国の地で過ごした若き日々はどう感じたのだろうか。
そんな学歴も施設に入れば何の意味もなし。
何を思って過ごしたのだろうか施設での3年ほど。
お金もったいないと、ケチった爺さんのおかげで血栓で倒れてから一気に認知症が進み、一緒に施設に入れ、財産残さなくて良いからといい続けたが、家土地に固執して入らず、結局金使わず、爺さん腑抜けになってしまった。
かけるところにはお金をかけないとね、と思う。
東工大を誇りにして、子供を教育と勝手に皆しての実際は虐待し続けた爺さんも淋しい老後になる。でもこれも自業自得?手続きとかしているだけでありがたいとどこまで思うかな。
どんなにいい大学をでても死ねば学歴なんぞ意味はない。それは自分も同じ運命かも。博士課程出た、海外で研究員していた、老後には意味ないな。
ということで、今は学歴とは関係があまりないボランティアを週末にしている。こっちで必要とされる方が実は人間としても価値があるにではと思います。