古文の助動詞
古文の助動詞を学んだのははるか昔であります。 今思うのは、あるいは自分で自学して克服というかなんとか共通一次に対応できるようにしたことであるが、いかに高校とかの授業はポイントを押さえていないか、ということである。 助動詞の接続は覚えてね〜とか意味は覚えてね〜が多くて、きちっとした説明がなかったと思うのである。 その点では予備校の授業ではまだまともだったな、この助動詞は「〜」の「なんちゃら型である」とか言ってくれる。 自分はどうしたら覚えられるか?とかどうしたら意味を理解できるか?で悩んだが、最終的にとっかかりとして百人一首を利用した。中学時代からそこそこ覚えていたので、つまりなんとなく意味を知っていたからその意味からこの助動詞は詠嘆だとか推測して覚えていった。 代表的なものは「じ」である。いうまでもなく「世をこめて〜」で打ち消し推量の助動詞「じ」という感じで。そのほかにも「にけり」もここからである。「ぬ」の連用形「に」に連用形接続の「けり」がついたもので、という感じである。「しのぶれど〜」からである。 結局数学でも物理でも化学でも桐蔭の授業で習ったことはあまり役立たず、自分なりに理解して納得して身につけたものが入試では1番役に立ったということである。まあ、桐蔭では剣道の醍醐味を学んだと思えばいいのだが。 子供に教えている時にも思うことである。最後は自分なりに納得できる理解方法が忘れないということ。公式に当てはめて〜ではなぜその公式か?どの公式か?がわからないと意味ないし。 加法定理を導き出せれば(自分は行列から導く方法を理解した)ニ倍角、三倍角の公式も導き出せるから覚えないで良い、ということなんだが、覚えるから忘れるのであって、間違ってしまうこともあるので導き出せれば良い、自分なりの結論であったが、結局信用できるのは自分だけ、ということなんだろうな。 世の受験生よ、学校に、予備校に、世間の風潮に惑わされずに自らで大学はつかめ!ということ。