最近、自分の思ったことをつぶやくのはXでもできると気づいてしまった。
...のだが、ノリでなく何度か読み返してから長文を投稿したいというところもあるので、
Xはブログのネタの備忘録として利用しようと思う。
わたしの信条は、
『人の評価は、自分の実体験で決める』
注)信条とは
:自分が「こうあるべきだ」「こう生きたい」と信じている、行動や判断のよりどころとなる考え方。
やはり人から聞いた話でその人の印象がついてしまうのものである。
その中でも、関わっていく中でその人との関係性が築きあげられていくと評価も移り行くものである。
そのことを受け入れていきたい。
かつ、自分の感じたことを自分の尺度として判断をしたいのである。
先日、世間的に考えると「クレーム」と思われるような意見をもらった。
意見主には”周囲から煙たがられている”という噂があるようで、誰に相談をしてもスタートラインがそこから始まった。
しかし、文体は少し強いようにも思うが、決して「老害」でも「クレーム」でもないと私は感じたのである。
自分がおせっかいで似たような部分があるからだろうか?
行動の契機がわたしも踏んだことのあるものであったからだろうか?
兎にも角にも、その人はきっと”善意”と”配慮”から連絡をくれたと最初に思ったのだ。
周囲の人と関わると、その意見に染められてしまって、次第に迷惑なようにも感じるようになってしまい、
それがなんとも悔しい。
自分への益という部分とは切り離して、客観的に見られたらどれだけ良いだろうか。
他人の評価は操ることのできないものであるが、
自分が受け取った優しさや善意は、他者の評価と関係なく、
ありがたいものとして受け取れる人間でありたいと思う、今日この頃である。