大阪アウトロー物語~女囚の果て~ -4ページ目

息子にブロックされました〜。それは間違いなくサイゼリヤやないか。

こんばんは。

 

今日不思議な感情になった。

 

今日っていうか、さっきなんやけど。

 

ツイッターのアカウント5個ぐらいあるんやけど、その中のママアカウントで

 

前にツイッターで見つけた、息子が鍵垢になってるため

 

 

そういえば、フォロー申請してたんやったー。と思い出して

見に言ったら

 

 

びっくり仰天、ブロックされてるじゃないの。

 

 

もうね、鍵アカやから今はツイート見れなくなってしまってるけど

 

見れないんやから、ブロックする意味なくない?

 

 

と思った瞬間私の中で、感情がふつふつと湧いてきた。

 

 

 

 

あかん・・・私なんか腹たってる。

 

 

 

 

なんでやろう?昔は会いたくて忘れられなくて

たまらなかった人やったのに

 

 

 

なぜか

いつのまにか

会いたくないかも。になって

 

 

なんとなく

もう親子には戻れないほど

息子が成長してしまってる気がして

 

 

でもどこかで

私は許されてないんやろうなって自信があって。

 

 

 

 

そこにきて、私ってわかってもいいアカウントでフォロー申請してるから

本人はどこかで私だと

自分を産んだ母親だと気がついたんだろう。

 

 

 

そこにきてブロックされた瞬間

 

 

 

なんでやろう。寂しいとかじゃなくて

強い怒りしかなかった。

 

 

 

何に腹が立ったのかわからない。

 

 

ブロックされてます。の画面を見たときに

息子が小学1年生の時に

コマのない自転車に乗るために

一緒に行った公園で

私が自転車の後ろを持って

息子のコマなし自転車の練習を一緒にやっていた記憶が鮮明に蘇ってきた。

 

 

 

 

ずっとそんなこと忘れていた。

 

そもそも息子との記憶だけがショック性健忘症のせいで

ほとんど思い出せなくなっていたのにも関わらず

 

 

 

 

あのひ、一緒に自転車に乗る練習をしていた光景だけが鮮明に思い出された。

 

 

 

 

 

血反吐を吐きながら、16歳から25歳まで一人で育てた息子。

 

 

 

親権が奪われてからは人には自慢できないような最低な人生を歩んできた私が

今更、母を名乗る勇気などはなかったけど

 

 

 

もしかしたら、息子の今の幸せを少しでもそばで見守れたら。

 

 

 

そんな甘い考えだった自分の軽率さにも

 

 

 

 

私は腹が立ったんだと思う。

 

 

 

 

フォロー申請なんてするんじゃなかった。

 

 

そっと鍵垢の鍵が開くのを見守ってればよかった。

 

 

 

息子本人にも、嫌な思いをさせたのかもしれない。

 

 

そう思う反面。

 

 

 

あのひ、自転車で『ママ絶対手を離さんとってや!約束やで!』

 

 

 

そう言われてたのに、簡単に手を離してしまって

 

案の定、息子はそのまま倒れてしまって泣いてしまった。

 

 

 

「手を離さへんって約束したやんか!!嘘つきやんか!」

 

 

 

 

めっちゃご立腹だった息子に対して

ごめん。ごめんな。もう次は離さへんから。もう一回やろう。

 

 

 

っていうたら、もういい。帰る。って怒って先に帰った瞬間

私は小学一年生になったばかりの息子に怒りを覚えた。

 

 

 

仕事から疲れて帰ってきて、晩御飯の準備もせんとあかんのに

夕方の薄暗い公園で、私なんでこんな頑張らんとあかんねんやろう。

息子にも怒られて、私にこれ以上父親役まで務めるんは無理やん・・。

 

 

 

わがまま言うなよ。自転車ぐらい自分で自分で乗れるようになってくれよ・・。

 

 

 

 

その怒りを今日、ブロックされた瞬間に思い出した。

 

 

 

そうか

 

 

私は心のどこかで

僕もママに会いたい。くらいの甘い考えでいてくれたら・・。

そう思ってたに違いない。

 

 

 

だから色々な怒りの感情が私を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな母で悪かった。

 

 

 

 

 

でも、あなたを産んだのは私であって

病気がちのあなたを毎週のように病院に連れて行って

 

入院した時もフラフラしながら仕事に行って

会社の人からは

欠勤が多すぎるから辞めてくれと言われて

 

必死で働いても、働いても

自分の下着さえも買えなくて

 

 

いきなり4年生の時に連れて行かれてから

血反吐を吐きながら一人で育ててきた10年は

旦那の両親にきっと

うまいこと消されて

 

ただの、産んだだけの母親になってるだろう。

 

 

もう忘れたままにしといたらよかった。

 

 

 

 

息子にも私にも

あまりにも残酷すぎる出来事だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達じゃないのに上から物言う人、だいたい嘘つき問題

こんばんは。

 

 

何でもかんでも、書きなぐってた頃が懐かしいな思いましてね。

 

 

 

 

 

漫才の始まりのような、話し方をしてみましたが

ほんまにそう。

 

 

 

思ったこと、感じたことを

自由に書きなぐっていた自分が懐かしいな

思いましてね。

 

 

 

この頃モヤモヤして腹たってることあるんやけど。

 

 

 

 

そんな事も

自分の腹にしまっておけるようになったって言うか。

 

 

 

 

旦那には思ってる事結構言うんやけど

 

 

 

近所のおばちゃんが、

友達じゃないけど知り合いが、

保育園で今日こんなことが。

 

 

 

結構、なんでも話すんやけど

 

 

 

この頃は、あまり言わなくなった。

 

 

 

聞かされる方もしんどいんちゃうんかなって。

 

 

 

 

 

ただ、自分の中で思うことは一つ。

 

 

 

 

 

ポン中って嘘つき多くない?

 

 

 

 

 

 

私もそうやったけどね。

 

 

 

 

あれなんで、あんなんなるんかな?ってこの頃よ〜考えるわ。

 

 

 

まず、最初は誠心誠意、心から好意を持って

人と仲良くなるんやけど

 

 

 

薬物やってることを隠したいがために

まず、最初の嘘から始まるやん。

 

 

 

そこからが

もう。怒涛の嘘つきに変身するやん。

 

 

 

 

 

1個の嘘を隠したいがために

どんどん、嘘やその場しのぎ増えていくやん。

 

 

 

 

だからポン中は嘘つきやって言われていくねんな。

 

 

 

 

しかも悲しいことに、どう考えても

おかしいし、辻褄合わへんのに

当の本人は全く気がついてないって言うね。

 

 

 

 

都合のいい時ばかり連絡してきて

都合悪い時期に入ると

ピタッと静かになるのも特徴で。

 

 

 

 

わかる〜。

自分見てるようで、わかるで〜。

 

 

 

思いながらも

自分の中では、だんだんフェードアウトしていこうとしてる。

 

 

 

 

 

 

出所して6年目になるけど

その間に、都合よく近づいてきて

都合悪なったら、おかしなっていって

 

 

私の方からフェードアウトしていく人たち何人おったかな。

 

 

 

 

 

まぁ。ええか。

 

 

 

なんでもかんでも書きなぐってた時代と

今も私は変わってないか(笑)

 

 

 

 

 

ちょっと、言い方優しくなったぐらいで。

 

 

 

 

本読んで寝よっと。

 

 

 

 

 

明日は旦那休み。

 

 

 

 

納品したら、ケーキでも食べに行きたいの〜。

 

 

 

 

 

 

おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近買って美味しかった、明太マヨおかき。

 

 

料理が超絶ダメな私。旦那の味を目指して。

おはようございます。

 

朝、ギリギリに起きて目も半分しか開いてないのに

キャベツとしめじの味噌汁を作っていたら

 

 

長男が起きてきて

 

 

 

『今日はホーク園(保育園)やすみ?』

 

 

と聞いてくるので

 

 

今日行ったら明日から保育園休みやで。と答えると

 

 

『そうか。きょう、がんばったら、ホークえん、やしゅみか』

 

 

4歳なりに今日頑張ったら、楽しい休日が待ってると頭で

何やら考えてるようで。

 

 

朝から、可愛いラブラブラブ

 

 

そして続いて、長男に言われた。

 

 

「おみしょしる、(お味噌汁)ちゅくってるん?(作ってるん)」

 

 

そうやで。キャベツときのこさんの。

 

 

 

「パパみたいに、あまくしてな。」

 

 

 

びっくりびっくりびっくり!!!!

 

 

 

朝ごはんを除いては、我が家の料理担当は旦那なんやけど

 

 

 

これがめちゃくちゃ料理がうまい。

 

 

味噌汁一つ作らせても、子供たちから歓声が挙がるほど。

 

 

 

私は味噌汁一つ作るのにも

一苦労しながら、毎朝寝ぼけながら作ってるんやけど

どうやら

長男は味が好みじゃないらしい。

 

 

 

 

ご希望通りに、ミソとダシと少しの砂糖を入れてみたら

 

 

 

「パパのとはちょっと違うけど、まぁまぁおいしいな」

 

 

 

と言われたぁ・・。

 

 

 

 

続いて、急いでハイハイで起きてきた1歳次男。

 

 

 

 

起きたら、横に私も長男もおらんって分かったら

いつも焦ってるんが伝わる高速ハイハイで

リビングにくる。

 

 

 

 

朝ごはん用に出してる机と椅子に向かって

高速ハイハイで来て

 

 

 

無言で、椅子に座り

 

 

 

手を合わせて、いただきますのスタイルで

ご飯が来るのを待っていた。

 

 

 

 

この次男

 

 

 

長男と違って

まぁよく食べること。

 

 

 

 

自分の食べたら

お兄ちゃんの分まで手を出す食いしん坊。

 

 

 

 

しかし次男。

 

 

 

起きてから1分も経ってないのに

よくいきなりご飯が食べられるなと感心してしまう。

 

 

 

 

 

 

そんな感じの今朝も

幸せを感じながら、息子たちを保育園に送って

今日もブログを書きます。ちゅー

 

 

 

 

アメブロじゃない方ね。

ワードプレスの方ね。

 

 

 

 

 

また更新します。

 

 

 

 

お願いお願い

 

 

 

 

 

 

 

 

セブン限定で最近めっちゃ美味しいと感じた

『ニンニクバター味噌マシマシ篇(うどん)』

 

劣悪な環境の基準がわからないまま育った私。

今日は大学病院の精神科に行ってんけど

 

 

精神科とかメンタルクリニックって初診、めっちゃ長いねん。

 

 

行ったことある人ならわかると思うんですが

 

 

生い立ちくらいまでさかのぼって、聞かれたり。

 

まぁ答えたくなかったら、答えんでええねんけど。

 

 

でも、私の場合は子供の頃からちょっと変わった子やったから

一応、生い立ちから話すねん。

 

 

もちろん薬物のことも、刑務所のことも。

 

 

薬物を現在進行形で使用してた時は、そんな話一切触れえへんかったんやけど。

 

 

そしたら、医師に言われる言葉は大体同じで。

 

 

 

劣悪な環境で育ってきてしまったことと、薬物の使用や毒物(シンナー等)が

現在の精神状態を引き起こしてる可能性が高いって。

 

 

 

ほうほう。もうそれ聞き飽きた。ってなるんやけど一応聞いとくねん。

 

 

 

 

劣悪な環境って言うのは

私の母親が生後6ヶ月くらいの時に居なくなって

 

 

父親が再婚した継母に3年くらい育てられたわけなんやけど。

 

 

その継母の虐待がすごかったってこと、大人になってから知った私。

 

 

 

当時の私は4歳くらいでほとんど記憶がないけど

 

 

いつもつねられたり、廊下に長いこと立たされたり

なんか知らんけどトイレが汚れるからトイレさせてもらえんかったり。

 

 

 

でも、他のお母さんが優しそうには見えていたけど

私は継母が自分の母親やってずっと思って生活してたから。

 

 

 

継母には連れ子がいて、確か私の3つくらい上の男の子やったと思うけど

 

「〇〇君、オレンジジュース飲むか?」って継母が聞いて

 

 

当然〇〇君は  『うん!飲む〜』ってなるんやけど

 

 

 

私が『私も飲む〜!』ってニコニコして走って行ったらいきなり蹴飛ばされて

 

うずくまってる私に

 

 

『あんたのんはない!!あっちいけ!』

 

 

そんなんが日常茶飯事やった。

 

〇〇君だけ、いつも公園やプールや遊園地にお母さんと出かけるんやけど

私たち血の繋がった兄弟3人は

いつも、家で留守番やったし

 

ご飯も全く違うものを食べていた。

 

 

でも、それは自分たちが悪い子であって

〇〇くんがいい子だから。

それだけのことで

いい子になろうなろうと子供ながらに考えてたけど

 

 

 

継母が喜びそうなお手伝いや自分の身の回りのことを

自分で頑張ってすればするほど

 

 

暴力はひどくなっていく。

 

 

 

それが6歳くらいまで続いて、おとんは継母と離婚して

その後私が15歳になるまでに合計で4人母親が変わってる。

 

 

 

 

そこも不思議なもんで、小さい頃から

そう言った環境で育ってると、別にそれが当たり前になっていて

 

 

母親は定期的に変わるもんやと本気で思ってたし

 

 

母親は怖くて、優しくされたことがないから

そんなもんやと感じていて

 

 

自分はどうやったらお母さんに手を繋いでもらえるんやろう?

どうやったら、一緒に寝てくれるんやろう。

 

 

どうやったら笑ってくれるんやろう

〇〇くんみたいな温かそうなご飯も食べてみたいし

 

 

 

幼稚園のお弁当はパン一個と玉ねぎ炒めただけとかじゃなくて

あの子みたいな『紫色のおにぎり(ゆかりおにぎり)』が食べたい。

 

 

 

なんかそんな感じのことばかり考えてる子供やった。

 

 

 

15歳くらいになって、あれは再婚した母親で

私には本当の母親がいてた。って知った時に

 

 

 

『あぁ・・だからあの人はずっと私のことが嫌いやったんか』

 

 

 

そう思うだけで

何か特別な感情は出てこなかった。

 

 

継母に日常的にされていたことが

虐待だったと知ったのもこのころやったけど

 

 

 

特別な感情は湧かなかった。

 

 

 

 

 

それが世間でいう、「劣悪な環境」だったのかどうかは今の私にもわからない。

 

 

それが普通だと。

我慢して、泣きながらも

愛されようと考えてばかりいる子供やっただけで。

 

 

 

 

 

 

だけど今回結婚して、二人の子供に恵まれたことで

私はこの子たちに何がしてあげれるんやろうと考えるようになった。

 

 

 

次男に『ジュース飲むか?ジューちゅ!!』と聞くと

 

 

どうしても、幼少期のことが頭をかすめ

 

 

慌てて、長男にも

 

『ジュースいらん?一緒に飲まへん?』と声をかけてしまう。

 

 

別に長男はジュースいらんから何も言わへんかっただけやのに

妙に気を使ってしまう。

 

 

 

家事でバタバタして、急いでる時に

 

『ママ〜ちょっとこれみて!じょうずにできたでしょ〜?』

 

 

そう言われると正直、今見に行けないからちょっとまっとって!って言いたい衝動に駆られてしまうと同時に

 

 

幼少期の時に

 

一切継母が私の声掛けに見向きもしてくれなかったことが脳裏をかすめる。

 

 

 

長男と一緒に布団で眠るときも

必ず手をつながないと眠れない長男の顔を見てる時に

 

 

 

小さかった4歳の頃の私を思い出すことも多い。

 

 

 

そうか・・。

 

 

 

私は、小さかったあの頃の私に・・。

 

 

 

暗い部屋の隅っこで

恨めしそうに

風呂にも入ってないドロドロの顔の私に

寂しそうに見つめられている感覚になっていたのだ。

 

 

 

だから

 

あの頃の私が母親にしてもらいたかった普通の母親の愛情を

この子たちに倍にして注ごうとしているんだ。

 

 

 

 

寂しかったね。

寒かったね。

暑かったね。

お腹空いてたよね。

お菓子やジュース飲みたかったね。

手を繋いで欲しかったよね、一緒に眠りたかったよね。

 

 

 

 

今そばにいる二人の子供たちに

何かをしてあげるたびに

お世話をするたびに

笑いかけるたびに

抱きしめるたびに

 

 

 

過去の幼かった自分が

なぜか

浄化されていく感覚になっていく。

 

 

 

 

この子たちに会えなかったら

私の幼い寂しかった気持ちは癒されなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

そうなのかもしれない・・。

 

 

 

 

 

子供たちに過去の私の子供時代が

少しずつ癒されていく感覚は

自己満足なのかもしれない

 

 

子供たちからしたら

押し付けがましいうるさいママなのかもしれない。

 

 

 

そして10歳で引き裂かれた子供にもしてやなかった事も

この子たちに、してやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか長くなったけど

そんなことを『劣悪な環境だったんや・・そうなんや』

くらいにしか未だに受け入れられない

1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、明日で保育園1週間終わり!

頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

いつもこんなつまらんブログを見に来てくれて

いいねまでつけて下さる皆さん

 

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

誰がつけてくれたんかなぁ〜とブログを見にいくのが楽しみです。

 

 

書いてない方も多いけど

嬉しいです。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

最近やったガチャガチャ『公衆電話ガチャ』

 

 

 

 

”女囚トイレ回数” 4年前の今日に私が書いた記事らしい。

40歳で6回目の懲役。1回行くとエスカレーターのように早い

仕事を途中まで終え、1時になったので寝ます。

 

 

寝る前にアメブロを軽く更新・・

 

 

と思ったんですが、なぜか携帯から更新できないことに

不憫を感じてます。

 

 

明日は私の精神科の受診のために大学病院に行くんですが

大学病院なんで

ほぼ1日が潰れるため

 

 

 

仕事ができないのでワイファイとパソコン持って

病院で仕事します。

 

 

 

私が懲役に行ってた1年10ヶ月と

 

2回目の3年半。

 

 

2回の懲役のことを寒い冬になると思い出します。

 

 

 

腹たつことも多く。

汚い。

臭い。

我慢。

社会に出てからの不安。

絶望。

 

 

 

 

なんか色々感じながらも

出所が近ずいてくると

 

 

 

 

薬物をやめる決意よりも

どうやってこの先一人で生きていこうかと

そればっかり考えていました。

 

 

 

まさかもう一度、結婚して子供を産んで育児するなんて

一ミリも考えてえいなかったので

 

 

 

2回目に出所した時、更生保護施設での生活の中で

早く自由になりたい。

そればかり考えてえた。

 

 

 

そんな時に私より一足早く更生保護施設を退所した

クミって女がいた

 

 

 

クミとは私が出所してえ更生保護施設に送り込まれた時から

ずっと同じ部屋で

お菓子を分け合ったり

一緒に風呂に入ったりと

それなりにうまくやっていたんやけど

 

 

『早く好きなことやりたい』

そんな理由で満期になる少し前に

施設を出ていってしまった。

 

 

 

好きなこととは、つまりのところ

また薬物を好き放題やりたくてたまらなかったようだ。

 

 

 

私が施設には働いてることにして毎日漫画喫茶で時間を潰している時に

クミから電話が鳴った。

 

 

 

『ごめん。今どこにおる?』

 

 

「いつもの満喫におるで」

 

 

 

『いっていい?困ってるんよ』

 

 

 

「金はないで」

 

 

うんわかった。とりあえず行くわ。

 

 

 

 

 

5分もしないうちにクミは到着した。

 

 

 

クミの格好を見て私はびっくりした。

 

 

 

15年くらい前に流行ったようなチビティーをきて

夏やったのにムートンのブーツ履いて

 

 

 

目の下は真っ黒にクマ作って

顔は青白く

目の終点もあってない。

 

 

デブ気味だったクミは若干痩せえていた。

 

 

1週間くらいあってない間に

完全なポン中に逆戻りしていた。

 

 

 

「ごめん。血管にどうしてえも入らへんで切れ目で倒れそうやねん」

 

 

 

知らんがな。自分の都合ばっかり言ってくるやつは私は昔から大嫌いやった。

 

 

 

『それはそれは大変やったな。あいにくやけど私看護婦さん今はやってないねん(ポン中の)』

 

 

 

「頼むわ〜お願い」

 

 

 

『無理やな。ごめんやけど他に当たってくれる?』

 

 

「そうか〜。そうやんな。まだ恋ちゃん仮釈中やもんな」

 

 

 

 

そうや。虫沸いたら困るしw

自己中大嫌いやし。

自分でできへんのやったらやめえてまえ。

 

 

 

 

そう思っていた。

 

 

 

クミは仮釈放で出所してまだ1ヶ月。残り1ヶ月半ほど残っていたのにこの有様。

 

 

2週間に一回、保護観察所で行われてる薬物検査はどうしてるんかと私は聞いた。

 

 

 

 

「行ってない。行けるわけないとよ」

 

 

 

あぁ・・この人捕まるんも時間の問題やな

次捕まったら40歳で6回目の懲役やのに。

 

 

 

 

そんな話をしてその日は別れた。

 

 

 

 

2日くらい経って、クミから何回も電話が鳴った。

 

 

 

私は眠っていたので、3回目くらいの電話で目が覚めた。

 

 

「もしもし・・・」

 

 

私が話し終わる前にクミが大声で何か叫んでる。

 

 

 

なに?声がでかすぎて聞こえへえんねんけど!

 

 

 

『今、警察官に職質にあってるねん!助けに来て』

 

 

 

 

そんな電話は今まで嫌という程受けてきたが私にはあいにく助けに行って何かできるほどの力はない。

 

 

 

 

落ち着いて。強制採尿受ける前に素直に従って刑事のゆう通りにせな

応援呼ばれて運ばれるだけやで

 

 

 

 

そうや、あの格好

容姿

目つき

 

 

フラフラ感

 

 

 

 

職質も受け得てもおかしくないわなと私は冷たいかもしれんけど

呆れた。

 

 

 

こんな時、もう諦めや。職質はほぼ力ある人間たちが大勢かけつけてくれることで

万に一つ助かることもある。

 

 

でも今のクミには無理やと悟った。

 

 

 

 

40歳で6回目。

 

 

この子は何歳までこれを繰り返すんやろう。やるせ得ない気持ちにもなった。

 

 

 

 

 

その後クミの携帯は繋がることはなかった。

 

 

 

うまく行ってれば、去年くらいには出所してるだろう。

 

 

 

 

7回目に行ってないことを願うばかり。

 

 

 

出所してわずか2ヶ月でまた懲役。

 

 

 

そんな人たちがウジャウジャいるのが刑務所。

 

 

 

寒い冬を終えて期待と不安の中、今日も誰かが出所して社会に戻ってる。

 

 

 

明日は我が身かもしれない。

 

 

 

油断せずに慎重に生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アディオス

 

16歳で出産した息子を偶然ツイッターで見かけた話

というタイトルの記事を昨日携帯から投稿したら

 

 

 

文字化けすごくて一旦記事消してから、コピーして

再度、投稿します。

 

 

 

ーーーーーここからーーーーーー

 

 

 

 



昔、携帯からメールみたいにしてアメブロ に投稿していたのを思い出した。




病院の待合室、歯医者
電車、ゲーム屋、車の中
トイレ




そして
今、パソコンではなく
携帯からこれを書いてるが



果たして
無事に投稿できるんやろか。



昔話をするようになったら
オバハンなった証拠やと
よく旦那に言われてるけど




そうなんかも知れない。




昔はあれが好きやった
昔はこんなん言われてた
昔は誰に似てた【今はアブちゃんに似てる】
昔はアレが流行ってたのに。



自分がオバハンなってる事を
なかなか受け入れられないので
タピオカにも平気で並ぶやんか。
JKと一緒に並ぶやんか
全然平気やん。






私が16で出産した息子
10歳の時に親権を元旦那の親に
取られたわけやけど



1年前にツイッターで
息子を見つけてしまった。




私の中では
息子は最後に別れた10歳のままで。


そこで止まったまま
1度も会ったことも見たことも
無かったけど


ツイッターで見つけた息子は
もう

パパになってた。



可愛い嫁さん貰って


うちの長男と1歳しか変わらない
男の子のパパになって
笑ってた。





その顔がびっくりするくらい
私に似過ぎて
ちょっとホッコリした。




名乗る勇気はもうないけど



幸せに暮らしていた事が分かり
長いこと腹に抱えてた
闇のような部分が晴れた気がした。








その息子が
私がタピオカに並んでるん見たら
なんて言うやろうとか
この頃考える



息子が20歳くらいの時に
私が36歳で


チャリを二人乗りして
コンビニとか行って


いや。あれお母さんなん?
若いー!彼女かと思った!





とかなんとか。



言われてみたかったね。









今も幸せに元気で暮らしてくれていて
私も頑張らんとなって思う。





大切な人


2度と失うことの無いように。







タピオカおばさんは
明日もタピオカに並ぶ。















アディダス。










アディオス。

 

 

 

 

 

最近やったガチャガチャ。ダンゴムシ。

 

 







 

私が内偵に気がついた瞬間(完結編)

6〜7人くらいの刑事が家に上がり込んで

 

 

いきなり私の家の引き出しや台所をひっくり返す。

 

 

人生で、ガサ入れの経験は4回あるが

 

 

このガサ入れ(家宅捜索)は私の人生初のガサだった。

 

 

 

 

【あかん。そこにはさっき風呂入るときに脱いだばっかりのパンティーが・・】

 

 

 

 

 

 

【そこは開けんといて。大人のおもちゃが・・・】

 

 

 

 

 

 

 

あぁ・・・あぁぁ!!!  やめて〜!!

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしいとか、遠慮とか全くないガサいれに

私は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

昨日、嫌な予感がしたから、

自宅に帰ってくる手前で一回引き戻し

 

 

 

念の為に客用の携帯電話2台と、

仕事道具一式を駅のコインロッカーに入れてきていたから

 

 

私に関するものは一切見つけることはできないはず。

 

 

 

 

 

 

コインロッカーの鍵も念の為に、

近所に住む一番信頼の置けるポン中に預けてきている。

 

 

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

 

 

刑事の目的は雄二の強盗に使った道具や、

証拠品を見つける以外に

 

 

 

私を署に引っ張っていくことも

大きな目的であった。

 

 

 

私は、この時自分の執行猶予が切れる1ヶ月前。

 

 

 

 

前科もあり、内偵中の私の顔つきや、行動で絶対尿検査で引っ張れると

刑事も確信していたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ある程度、ガサが済み

 

 

何も出てこなかったところで

 

 

 

 

 

 

 

『どうぞどうぞ、もうええやろ。帰ってくれ』

 

 

 

 

 

シレーと言う私に対して、顔だけやる気満々の新米刑事が私に言った。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、吉田さんもちょっときてくれるか。協力してくれよ」

 

 

 

 

出たで。出た出た。協力と名のつく強制。

 

 

 

 

 

 

 

『イヤや。行かへん。なんの協力やねん』

 

 

 

 

 

 

「雄二のこと聞きたいだけや。吉田さんには関係ない事件なんは、わかってるさかいに」

 

 

 

 

 

 

【騙す気満々やん。天下の東成署やで?極悪非道の刑事の集まりやんけ】

 

 

 

 

 

 

『行かへんな。協力はせぇへんから帰って。鍵も開けたしガサの立会いにも応じたんやから十分協力したで私』

 

 

 

 

 

でも、絶対私をなんとしてでも引っ張りたい刑事と。

 

 

 

ついていったが最後。

長い懲役にいくか行かへんか瀬戸際の私。

 

 

 

 

 

交渉劇は2時間近く及んで、だんだん切れ目の私の方が根負け。疲れてきた。

 

 

 

 

 

 

『犬連れてくで?すぐに帰らしてくれるんやろうな?』

 

 

 

 

 

「おう!約束する。雄二のこと聞くだけやがな。吉田さんを困らせることはセーへんから。約束したるわ」

 

 

 

『犬連れていくで』(何回言うねん)

 

 

 

 

 

「犬連れていこ。ほんで散歩しながら帰ってきたらええがな」

 

 

 

 

 

 

『ほんまかいな。おしっこも出さへんで。関係ないんやから』

 

 

 

(ここだけはちゃんと言っとかなあかん気分やった)

 

 

 

 

「おうおう分かってる。約束するやんか。ほな行こか」

 

 

 

 

(それだけが目的の刑事)

 

 

 

 

 

まるで、ラブホに何もせえへんからと言う親父にノコノコついていくアホ丸出しのポン中のように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとなく・・・・。

 

 

 

 

 

もう

 

 

 

 

戻ってこれない気がしてた。

 

 

 

 

だから。

 

 

 

 

家の鍵は開けていった。

 

 

 

 

そしてずっとずっと一緒にいてた。愛犬を涙いっぱいに抱きしめながら刑事の車に乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東成署について、取調室に入るなりガタイのいい刑事の開口一番は

 

 

 

 

 

 

「なんで、昨日内偵に気がついたんや?」

 

 

 

だった。

 

 

 

『カメラ出てたやんか。いつも空き家やった部屋に目張りしてたんやから雄二みたいにボーッとしくさってへん限りだいたい気がつくやろ。あんな間抜けな内偵』

 

 

 

「おうおう。カメラにも気がついてたもんな。

 

 

 

ほんまは、あの前から吉田さんの家は内偵に入ってたんやが、向かいがカメラしっかりつけれる家があったから

 

それじゃあ住み込んで内偵入ろかって大家さんに交渉するんが大変やったんやで」

 

 

 

 

 

 

 

【そんな話はどうでもええねん。今聞きたないねん。はよ帰りたいし若干おしっこ行きたいねん】

 

 

 

 

 

 

 

刑事:「それやのに内偵入ったその日に、吉田さんはすごいなぁ。すぐ気がついたな。慌ててカメラ引っ込めたんやけど雄二が逃げへんかそれだけが心配やったんやわ」

 

 

 

 

 

【まだ喋るか。多弁やの〜。パクる気満々の会話やんか】

 

 

 

 

 

『だから、緊急で逮捕状とガサ状持って次の日に来たんやろ』

 

 

 

 

 

「そうや。そう言うことや。協力してくれてほんまありがとうな、吉田さん」

 

 

 

 

 

 

 

あかん・・・この感じ。

 

 

 

 

 

 

調子ええことばっかり言うてベラベラ刑事がなんでも話す・・この感じ。絶対あかんやつ。

 

 

 

 

 

 

相手の心開いてから確信に迫ってくる気や。

 

 

 

 

 

 

『ほんでな、雄二のことはもうええねん。吉田さん、分かってるやろ。おしっこ取って帰ってくれるやろ』

 

 

 

 

 

ほら。

 

 

 

き・た・で。

 

 

極悪東成署

 

 

ここからおしっこ、出す出さへんの押し問答が2時間以上続く。

 

 

 

 

諦めないで。私。(真矢みき)

 

 

 

 

と自分を励ましてきたが、強制採尿の札を取ってくるか

 

 

 

さっさとおしっこ出して帰るか。どっちがええねん。と来たもんだ。

 

 

 

 

それよりか、これはもう

 

 

 

ほんま雄二のとばっちりでしかない。ついで。ついでにおしっこ取られて懲役4年弱。

 

 

 

行ってたまるか。って思う反面

 

 

 

 

これは、絶対逃げられへん。前科がある限り強制採尿の札はすぐに取られるし刑事も私を引っ張る気満々。

 

 

 

 

 

それならあんな痛くて恥ずかしいだけの管通されて強制されるくらいなら出すしかないやないか・・。

 

 

 

 

 

私は刑事がどんどん持ってくるお茶で、おしっこ漏れかけ寸前だった。

 

 

 

 

【お茶や・・・これは、もうお茶しかない】

 

 

 

 

 

 

喋れる程度にお茶を口に含んで、私は刑事に言った。

 

 

 

「ほにゃ、自分で出しゅわ」

 

 

 

口にお茶を含んだままだったので、若干喋り方がおかしいが刑事には気づかれてないようだ。

 

 

気づくやろ今の。

 

 

ほな。を、ホニャ言うてもうてるねんで。

 

 

 

 

 

 

 

女子トイレについて、いろいろな角度から紙コップを指差した写真を撮られ

 

 

 

便器に墨汁をかけられ、しゃがんでるスタイルで後ろに女の刑事がたった

 

 

 

とりあえず、しゃがんだ瞬間にずっとずっと我慢しまくっていたおしっこが勢いよく出るがコップはまだ、かまさない。

 

 

 

 

 

最後らへんになって、チョロチョロ〜っとなった時に私は、コップに口の中のお茶を吐き出した。

 

 

 

 

 

できることならティッシュに含ませて持参したかったところだが、あいにくティッシュはなかった。

 

 

 

そこで気になったのが、唾液も混じってるんやけど大丈夫かいな?と言った素朴な疑問。

 

 

 

まぁ簡易検査さえパスしたら科捜研に回されてる間に

しばらく地方に飛んだらええわ。

このまま逮捕だけは絶対避けたい。

身辺整理がしたいんじゃぁ!

 

 

 

 

 

そんな思いの賭けだった。

 

 

 

しかし・・あいにくジョロジョロジョロ〜と言った10秒間くらいのおしっこの音を女の刑事に聞かせたにも関わらず

 

 

コップに入った口から出した尿は、1cmの高さもなかった。

 

 

 

そりゃそうやろ。人間、口に水いれてうまいこと喋ろう思ったら

 

いっこく堂くらいのテクニックがいるで。

 

 

腹話術なんてしたことない。

 

 

 

練習しといたらよかった・・と後悔しながら女の刑事に渡す。

 

 

 

 

 

刑事がおしっこの量を見て、外で待ってる男の刑事に渡して長いこと私はトイレで待たされた。

 

 

 

 

「これな吉田さん。もう一回出してくれへんか。量が足りへんねん」

 

 

 

 

お茶とはバレてないんか?いけるんか?ほなゴネたら帰れるんちゃうんか?

 

 

 

 

 

『イヤや。1回だけ協力してくれ言うから出したんやろ。お前ら最初に言ってることと全く違うやんけ。私の事件ちゃうやろが!』

 

 

 

完全に熱くなっていたが、逆効果だ。

 

 

 

もう体に入ってるのは100パーセント刑事は分かってる。

 

 

 

 

だって。私、汗が止まらんやん。

 

 

 

そして必死になりすぎやん。

 

 

 

プルプル止まらへんやん。

 

 

 

3日寝てないねんで。

 

 

 

 

 

 

諦めるのか?4年の門はすぐそこやぞ?粘るんか?

 

 

 

 

 

 

『出さへん。帰るで。帰らしてや』

 

 

 

 

 

 

「もう一回でええねん。もう一回だけ出してくれな、刑事さんこれは(カップを持って)帰らすわけに行かへんねん」

 

 

 

 

 

 

 

 

お茶〜。

 

 

 

 

いっこく堂〜。

 

 

 

 

 

腹話術の練習〜。

 

 

 

 

何もかもに、裏切られた気分やった。

 

 

 

 

 

『強制採尿の札・・取ろか』

 

 

 

「もうええ。分かった。」

 

 

 

私は諦めた。

 

 

 

 

 

雄二みたいなんと付き合って、道中ともにしたんが間違いやった。勉強代にしては高い懲役だが

 

 

 

 

悪いことしてたら、いつかはこうなるってこと

 

 

 

この時、身にしみて思った。が

 

 

 

 

 

 

これが最初の懲役であり、初めてのガサであり

その後

もう一回懲役に行き、残り3回にわたるガサに立ち会った経験があるのは

また

 

 

 

 

別の話。

 

 

 

 

 

その話は

 

 

 

 

また機会があれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後弁護士を通して愛犬をすぐに身内に迎えに来てもらったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの家の前の住宅・・・・

 

 

 

 

 

 

 

目張りされている部屋はありませんか・・?

 

 

 

 

 

 

おぉこわ。

 

 

 

 

 

 

アディオス

 

 

 

 

アメブロに何を求めているのか。感情を隠さずさらけ出す勇気

この頃深夜に夜な夜な記事を公開して

 

 

朝になってから「いや、感情的になりすぎやし」って自分で自分が書いた記事を

消したくてたまらん衝動になる。

 

 

 

でも、それって何?って考えた。

 

 

アメブロで何を求めてる?

格好つけたい?

弱い部分を見せたくない?

恥かきたくない?

 

 

 

 

恥って何?

 

 

このブログで十分過去の恥さらしてきてるやん。

 

 

 

いいやん消さんで。

 

 

そう自問自答しながら、書き続けてかれこれ8年くらいになってる。

 

 

アメブロ側から消された記事の数は、数知れず。

 

 

で、今日は子供達にアンパンマン観させながら記事書いてるんですが

 

 

朝ごはん食べさせる時間を除いては、

基本2人から目が離せないから当然パソコンはサワレナイ。

 

 

 

4歳の遊んでるプラレールに1歳が突っ込んでいって邪魔するから

 

 

4歳が癇癪起こしておもちゃぶん投げたり、1歳を突き飛ばしたり

ぐーパンチしたりと

 

 

なかなかハード。

 

 

なぜ今パソコンさわれるかというと、アンパンマンDVDデビュー知ったんですねぇ。

下の子が。

 

 

4歳はおもちゃのこだわりがひどいので、テレビは一切見てくれず

ずっとプラレール。

 

 

小さい頃からテレビは見てくれへんかった(って言うてもまだ4歳)

 

 

 

ところが1歳はこの頃アンパンマンが好きで試しに昨日DVD借りてきたら

めっちゃ集中して観てる。

 

 

 

 

感動・・。

 

 

 

その横で4歳はウロウロしながらもちょっとアンパンマンに興味を示す。

 

 

 

しかしやはり集中力は続かず、2分でウロウロしだしておもちゃで遊びだすが・・・

 

 

 

1歳は集中して観てる。

 

 

 

兄弟でこの差って何。

 

 

 

そして4歳はYouTubeやったら2時間とか観てる。

 

 

 

テレビとYouTubeどう違うんやろう。

 

 

 

と言ってる間に4歳が癇癪を起こし、おもちゃを投げつけ1歳の顔すれすれに

おもちゃをぶん投げてびっくりしてパソコンを放り投げて

 

 

 

私は駆けつける。

 

 

この癇癪は本当になんとかならんのか・・。

 

 

今日は昨日の出来事がモヤモヤしていて、自分の生き方に疑問が湧いてきたり

自己嫌悪っぽくなったりしてるから

 

 

心の整理がつくまでに今回もかなりの時間が必要になりそう。

 

 

 

 

 

 

 

育児して普通に生きていっていいんよね・・?

 

 

 

子供の笑った顔見て、明日も普通に頑張ろうって思っていいんよね?

 

 

子供たちが生きがいで、もう過去には絶対戻らないって気持ちのままでいいんよね。

 

 

結婚して子供産んで5年目。

 

 

 

何度、こんな風に立ち止まってきたやろう。

 

 

世間に色んなこと隠して、ただ自分たちは自分たちの子育てやっていく中で

ただ慌ただしくすぎていく時間を丁寧に生きてくだけで精一杯で。

 

 

 

 

 

 

なんやまた暗いやん。

 

 

 

もうすぐ完結の2回目の逮捕劇の続きでも書こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

アディオス。

 

姉の言葉にムカついた。

今日、さっきかな?

 

 

実姉とラインで喧嘩した。

 

 

育児についての悩みを相談する人がいなくて、何気なくたまにしか連絡取ってない姉にラインしたんやけど

 

 

私:『育児って難しいな。せめて子どもにはせめて生きづらくない人生を歩んでほしいと願うあまり悩みが大きくなりすぎて。』

 

 

姉:「今は誰だって生きづらい世の中やわ。そうやって自分の精神的な問題を理由に働かへんのが頑張って働いてる私からしたら考えられへん」

 

 

おいおい喧嘩腰やんけ。働かれへん理由は今の話に関係ないんとちゃうんかい。

 

 

 

 

私:「私がいつ病気理由に働かれへんっていうた」

 

 

 

 

『そうやんか。昔っから精神病んで。ほないつになったらその精神病は治るん。もう治らへんやろ。いつまで働かへんつもり。子供が可哀想やわ』

 

 

 

 

「いいすぎやろ。子供の発達について悩んでる話からなんで私が働かへん話になんねん。各家庭にみんな事情はあるんやで?子供が可哀想っていいすぎちゃうんか」

 

 

 

 

『一生懸命働いてる私からしたら、その今のあんたの生活が考えられへん言うてんねん。病気理由にしていつまで働かへんつもりや』

 

 

 

 

「いつ誰が病気で働かれへんって言うた?いつも自分は頑張ってる、一生懸命働いてる頑張ってないやつが腹たってしょうがない。その自分基準の考えどうにかならんのか」

 

 

『そんなんじゃこの先子供育てていかれへんの目に見えてんねん』

 

 

 

完全にぶちギレた。

 

 

 

・・・こいつに何がわかるねん。

 

 

社会に何も持たず服も家もなかったマイナスからのスタートの刑務所帰りの夫婦は家庭を築いたらあかんのかいな。

 

 

病気理由にして怠けてる。

 

 

この部分が一番腹が立った。

 

 

怠けてなんかない。子供が可哀想って発達面で悩んでることを相談しただけやのにこの始末。

 

 

なんやねん、酔っ払ってるんか。

 

 

なんで子供の育児の相談でここまでバカにされなあかんねん。

 

 

 

物忘れや失敗が多い私は毎日しなければならないことを付箋に書き出しできたら付箋を剥がしていく。

 

 

時間にもルーズになりがちやから、家の時計は10分はやめてる。

 

 

言われたことや考えたことはすぐにメモしてる。お金の管理も苦手やからここだけはどうしようかと悩んでるけど

 

 

 

確かに掃除やかたずけは苦手やし、料理は得意な旦那に任せてるけどその間に私は洗濯物畳んだり喧嘩する兄弟の仲裁に入ったり

 

 

 

癇癪起こしだした長男の話を聞いたり抱きしめたり

 

 

 

療育行くまでは、長男が癇癪起こした時の対処法がわからず叩かれたり暴れたり蹴ってきたり涙ながらに訴える長男に対して涙をこらえながら抱きしめることしかできないでいる。

 

 

この子が、この先生きづらさをできるだけ感じないように早く親としての対処法を学びたい。

 

 

 

そこにきて姉から『怠けすぎて病気を理由に働かへんのは考えられへん。はっきり言ってムカつくねん』

 

 

 

 

そう言われた時、なかなか長年の精神病って理解されにくい世の中なんだと思った。

 

 

 

保育園の行事を忘れる。提出物を忘れる。約束を忘れる。答えを求められる質問をされるとパニックになって頭が真っ白になる。

 

 

 

私の病気は治らないのかもしれない。でも姉の放った言葉は私に取ってマイナスでしかなかった。

 

 

こんな言われ方したから悔しいから働こう。なんて逆効果だってことがなぜ姉には伝わらなかったんだろう。

 

 

 

一生懸命働いて社会で頑張ってる姉からしたら、私は怠けてるのかもしれない。

 

 

 

 

でも、ずっと社会で頑張ってきてそれなりに地位も財産も家も何もかも手に入れてる状態と

 

 

 

社会に出て5年やそこらで、下着も住む家も何もなかった夫婦二人が社会に馴染み信頼を得るのには相当な努力がいることを姉は全くわかろうとしなかった。

 

 

 

今日もすいません。落ち込んでいて悔しくて涙が止まらなかった。

 

 

 

そんな親に育てられて、子供が可哀想。

 

 

そんな親。

 

 

そんな親。

 

 

 

そんな親で子供が可哀想。

 

 

 

このままじゃ育てていかれへんのは目に見えてる。

 

 

 

じゃあ姉は私になんかしてくれたんか。相談したらめちゃくちゃに言われ。

 

 

 

心の拠り所さえも与えてくれんと、この言葉たち。

 

 

 

 

悔しくて涙が止まらなかった。

 

 

 

 

刑務所帰りの夫婦って社会では確かに歓迎されるわけもなく白い目で見られるに決まってる。そんなことは重々承知だった。

 

 

 

 

でもこの子供たちがいたからこそ、私たちは立ち直ろうと日々懸命に生きていこうとしてる。

 

 

 

 

 

兄弟の縁切ってでも、関わりたくないそんな姉も・・・

 

 

 

 

実はADHDである。

 

 

 

だからこそ私はそれでも頑張ってるアピールをし、うだうだ悩んでる私に腹がったたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

この頃こんな内容のブログでごめんなさい。

 

 

 

何か感じるものがあれば遠慮なくコメントください。

 

 

 

今の私にはコメントが大きな支えになっています。

 

 

 

愚痴ってごめんなさい

 

 

 

 

 

アディオス