脱力感
引越しが終わった。。。
そうです(*゚ー゚)
寮をやっと出ましてん
でも すっごい脱力感におまけに熱っぽい。
仕事行かないとーって なってるのに
身体が 火照ってだるい
なぜ?
一気に動きすぎたな私
身体が筋肉痛みたいになってるし
硬直したりする
住民票の移動や 机とか買ったりセナあかんのに もう 動けんぞー
焦ったらイかん!
といつも言い聞かせて行動してたのに
引越しは油断してた。。。
仕事も一気に入れたから
又 追い詰めてしまった自分を。
で このマンション。。。
インターネットの回線がいっぱいで空きまちとな、、、
テレビがないから 目が覚めた時
自由!!
っていうより
正直チョットさみしいですわ
今まで いっぱいの声と人に囲まれとったからな。
男 仕事 お金 生活
結構今は うまくいってませーんが
それも ボチボチw
出来るんかな、、

そうです(*゚ー゚)
寮をやっと出ましてん
でも すっごい脱力感におまけに熱っぽい。
仕事行かないとーって なってるのに
身体が 火照ってだるい
なぜ?
一気に動きすぎたな私
身体が筋肉痛みたいになってるし
硬直したりする
住民票の移動や 机とか買ったりセナあかんのに もう 動けんぞー
焦ったらイかん!
といつも言い聞かせて行動してたのに
引越しは油断してた。。。
仕事も一気に入れたから
又 追い詰めてしまった自分を。
で このマンション。。。
インターネットの回線がいっぱいで空きまちとな、、、
テレビがないから 目が覚めた時
自由!!
っていうより
正直チョットさみしいですわ
今まで いっぱいの声と人に囲まれとったからな。
男 仕事 お金 生活
結構今は うまくいってませーんが
それも ボチボチw
出来るんかな、、

大阪アウトロー物語 【第3章】~本当に必要だったもの~ [1]親父の死 子供の心の寂しさ
私は、お金にも友達にも子育てにも、環境にも
その場にあるもの全てに正直恵まれてたと思う。
今思うと「それら」に
は、素直に気が付けるけれど、あの頃は
そんな恵まれた環境にさえ不満を抱えていたんだと思う。
結局、私の「欲」を満たすための犠牲になっていたのは、一番大切だったはずの我が子だったんだと・・・
仕事は風俗では満足いかなくなれば、簡単にブチッて
はじめちゃんが残していった少しの蓄えとパチンコやギャンブルで勝った少しの
金で食いつないで、やりたい仕事を お金に関係なく片っ端からやっていく。
派遣コンパニオン。
パチンコ屋。車屋。
デートクラブ。どれも1ヶ月と持たなかった。金のためにやっていたんじゃない。
自分の存在価値を確かめるためだの、「風俗以外にだってわたしは、出来るんだ」と
わざと今までと違った環境に身を置く事で「私はその辺の平凡な母子家庭なんかでおわるわけない」だの。
わけのわからない言い訳を並べては好き勝手に生活していた。
金がなければ適当に客を使っては10万20万と援助させていた最低な生活は変わることも無かった。
「ママは若いね、きれいねっていわれたよ」
子供がそういって私の機嫌を取る。
別に私の機嫌が悪いわけではないのに、何かと私に気を使う子になっていた。
そんなめちゃくちゃな生活をしていても、心のどこかで「旦那」に対する「馬鹿になんかさせない」という
汚い敵対心は、いっつもむき出しだった。
家事は、完璧にこなし子供が学校から帰っても寂しくないように家に帰るのは 絶対に15時まで。 とか
パチンコをしていようが男と遊んでいようが、時間には帰り、「おかえり」っていえるようにして、
掃除も自炊も
私の中身のない表面だけの無駄な自己満足は続いた。
一緒に買い物や公園に行ったり、普通の母親をしていたつもりだったのに、それは
文字通りの
「つもり」でしかなかった。
母親の温かさとか、優しさとかを きっと知らなかったんだと思う
どうやって、接したらいいのか
どうやって、抱きしめたらいいのか
どうやったら、私は本当の育児ができるのか
いま、ちゃんと子供の目を見て 私は笑えてるんやろうか?
なんで、いつも 私を見る目が不安そうなの?
これ以上、どう「母親」をしたらいいんやろう?
私が母親にしてもらった 嬉しかったことや
求めていたことを思い出そうとするけれど
やっぱり、私は
それが出来ずにいた。。。
どんなに、一生懸命に子供を見ようとしても
どこか 不器用で不自然で
どうしても子供が私に気を使うのは、変わらなかった。
元旦那との電話での口論や
私がひとり夜中に声を殺して泣いていたり
子供に異様な依存心があったり、旦那の文句を友達に言ったりしているのを聞いて
聞いてないふり
聞こえてないふり
見ていないフリをしながらも、子供なりに一生懸命だったんだと思う
どうして?今なら分かるのにあの頃は自分しか見えていなかったんやろう。。。
そして・・・
そんな時
たった一人しかいない父が癌だと告知された。
当時
親父には嫁はいたが、生まれてまだ2カ月にもなっていない私を置いて居なくなった
実母を含め嫁と言われる女は、この時点で4人目になっていた。
つまり私は母親が 4回変わっていることになる
4人目の母親は 当時の私と10才くらいしか変わらんような女やった。
そんな母親を、おとんの嫁さんなんて認めることも理解することも心を開くことも何ひとつ
できなっかったし、4人目と親父が結婚するとなったとき
散々私ら3人兄弟全員が
うちの親父と結婚することに猛反対したにもかかわらず
ゴリ押しで結婚するような女、だれが理解できただろうか。
______________________________
借金、金使いの荒さ、仕事もろくにしない
ずっと四六時中ギャンブルをしてるような親父だった.
社会人になった私ら子供たちにまで,
有り金全てを踏んだ食って1文たりとも返さないような父親をいやと言うほど間近で見てきたから、新しい女が苦労するのは目に見えていたから 大反対をしたのに。。。
今までの女たちもそれが原因で離婚してきた。
今回も目に見えていたんだ。。
では、なぜそこまでして その女は結婚したのか。
それは簡単なことで。
三十路を超え
結婚前提に付き合っていたエリート商社マンの浮気が発覚し
そのエリート君は浮気相手を選んで結婚。
会社には寿退社をするという話までなっていた女は引っ込みがつかなくなった上にうちの親父に相談したついでに、親父の子を腹んだからと言うことだった。
不細工極まりない婚約解消をされた
あの女を今更、嫁にもらう男なんて女が結婚資金に貯めてきていた1000万近くの貯金だけが
目的の、カタの悪いうちの親父ぐらいしかいない。
勝手にすればいい。その代わり必ず後悔する。
私ら兄弟はそれだけ言い残して後は ほとんど連絡をする事がなくなっていった。
案の定
結婚式はおろか、一千万の貯金なんて金は
見事、親父に使い果たされ 女はぶちぶちと文句を言い出した。
「それじゃあ 離婚したらエーやんか」と言う私らの言葉には一切反応しなかった嫁に私は不信感でいっぱいだった。
計画妊娠。
あと何年生きれるか分からん 歳も取ってしまっていた親父にがんが発覚して
前から誰にも内緒で莫大な保険を父にかけていた事は
親父の葬式が終わった後に分かったことだった
私は 許せなかった。
癌発覚後の親父に対する邪険な扱い。
見舞いにも来ない。自宅療養したいという父に対して
「子供もまだ小さいし そんな姿は極力見せたくない」
と自宅に親父が帰るのを頑なに拒んだこと。
葬式代に1円たりとも無いと、危うく「無縁仏」扱いにされそうだったこと。
それが原因で葬式代を私が借金し
走り回ってかき集めた金。
死んでからは、嫁からはピタッと連絡なくなった。
地元で、私の連れが嫁を見かけたときには
驚くほどきれいな格好をして、毎日のように買い物ばかりをしていたらしい。
親父にかけられた保険金で 親父が生きてひもじい思いをして生活をしていた時とは
全く違う 逆転の生活をしていたこと。
最初から子供と保険金で結婚したんやと・・・気づくのも遅かった 私。
親父は、最期までかなり苦しんだ。
かなり、もがき苦しんだ。
でも嫁は来なかった。死ぬまで。
1度たりとも。
そして父が息を引き取った瞬間 嫁は涙ひとつこぼさず、
一言目に出た言葉は
「霊柩車お迎えが来るまでじかんあるんやってー!!子供たち公園につれってってくるわー」・・・・
許せないでいる。今も。
そして 振り返る。
あの壮絶だった
一瞬だったけど とてつもなく苦しかった
親父の最期を。。
あの 親父の頭がオカシクナッテ。
私が娘だと分からなくなって。
そこらへんで小便や
糞の垂れ流しをして。
全て私一人涙をかみ締め、処理し続けた日々を。
最後まで看病していた日々を。。。
【次回 大阪アウトロー物語 【第3章】 [2]狂う親父の看病そして仕事】
その場にあるもの全てに正直恵まれてたと思う。
今思うと「それら」に
は、素直に気が付けるけれど、あの頃は
そんな恵まれた環境にさえ不満を抱えていたんだと思う。
結局、私の「欲」を満たすための犠牲になっていたのは、一番大切だったはずの我が子だったんだと・・・
仕事は風俗では満足いかなくなれば、簡単にブチッて
はじめちゃんが残していった少しの蓄えとパチンコやギャンブルで勝った少しの
金で食いつないで、やりたい仕事を お金に関係なく片っ端からやっていく。
派遣コンパニオン。
パチンコ屋。車屋。
デートクラブ。どれも1ヶ月と持たなかった。金のためにやっていたんじゃない。
自分の存在価値を確かめるためだの、「風俗以外にだってわたしは、出来るんだ」と
わざと今までと違った環境に身を置く事で「私はその辺の平凡な母子家庭なんかでおわるわけない」だの。
わけのわからない言い訳を並べては好き勝手に生活していた。
金がなければ適当に客を使っては10万20万と援助させていた最低な生活は変わることも無かった。
「ママは若いね、きれいねっていわれたよ」
子供がそういって私の機嫌を取る。
別に私の機嫌が悪いわけではないのに、何かと私に気を使う子になっていた。
そんなめちゃくちゃな生活をしていても、心のどこかで「旦那」に対する「馬鹿になんかさせない」という
汚い敵対心は、いっつもむき出しだった。
家事は、完璧にこなし子供が学校から帰っても寂しくないように家に帰るのは 絶対に15時まで。 とか
パチンコをしていようが男と遊んでいようが、時間には帰り、「おかえり」っていえるようにして、
掃除も自炊も
私の中身のない表面だけの無駄な自己満足は続いた。
一緒に買い物や公園に行ったり、普通の母親をしていたつもりだったのに、それは
文字通りの
「つもり」でしかなかった。
母親の温かさとか、優しさとかを きっと知らなかったんだと思う
どうやって、接したらいいのか
どうやって、抱きしめたらいいのか
どうやったら、私は本当の育児ができるのか
いま、ちゃんと子供の目を見て 私は笑えてるんやろうか?
なんで、いつも 私を見る目が不安そうなの?
これ以上、どう「母親」をしたらいいんやろう?
私が母親にしてもらった 嬉しかったことや
求めていたことを思い出そうとするけれど
やっぱり、私は
それが出来ずにいた。。。
どんなに、一生懸命に子供を見ようとしても
どこか 不器用で不自然で
どうしても子供が私に気を使うのは、変わらなかった。
元旦那との電話での口論や
私がひとり夜中に声を殺して泣いていたり
子供に異様な依存心があったり、旦那の文句を友達に言ったりしているのを聞いて
聞いてないふり
聞こえてないふり
見ていないフリをしながらも、子供なりに一生懸命だったんだと思う
どうして?今なら分かるのにあの頃は自分しか見えていなかったんやろう。。。
そして・・・
そんな時
たった一人しかいない父が癌だと告知された。
当時
親父には嫁はいたが、生まれてまだ2カ月にもなっていない私を置いて居なくなった
実母を含め嫁と言われる女は、この時点で4人目になっていた。
つまり私は母親が 4回変わっていることになる
4人目の母親は 当時の私と10才くらいしか変わらんような女やった。
そんな母親を、おとんの嫁さんなんて認めることも理解することも心を開くことも何ひとつ
できなっかったし、4人目と親父が結婚するとなったとき
散々私ら3人兄弟全員が
うちの親父と結婚することに猛反対したにもかかわらず
ゴリ押しで結婚するような女、だれが理解できただろうか。
______________________________
借金、金使いの荒さ、仕事もろくにしない
ずっと四六時中ギャンブルをしてるような親父だった.
社会人になった私ら子供たちにまで,
有り金全てを踏んだ食って1文たりとも返さないような父親をいやと言うほど間近で見てきたから、新しい女が苦労するのは目に見えていたから 大反対をしたのに。。。
今までの女たちもそれが原因で離婚してきた。
今回も目に見えていたんだ。。
では、なぜそこまでして その女は結婚したのか。
それは簡単なことで。
三十路を超え
結婚前提に付き合っていたエリート商社マンの浮気が発覚し
そのエリート君は浮気相手を選んで結婚。
会社には寿退社をするという話までなっていた女は引っ込みがつかなくなった上にうちの親父に相談したついでに、親父の子を腹んだからと言うことだった。
不細工極まりない婚約解消をされた
あの女を今更、嫁にもらう男なんて女が結婚資金に貯めてきていた1000万近くの貯金だけが
目的の、カタの悪いうちの親父ぐらいしかいない。
勝手にすればいい。その代わり必ず後悔する。
私ら兄弟はそれだけ言い残して後は ほとんど連絡をする事がなくなっていった。
案の定
結婚式はおろか、一千万の貯金なんて金は
見事、親父に使い果たされ 女はぶちぶちと文句を言い出した。
「それじゃあ 離婚したらエーやんか」と言う私らの言葉には一切反応しなかった嫁に私は不信感でいっぱいだった。
計画妊娠。
あと何年生きれるか分からん 歳も取ってしまっていた親父にがんが発覚して
前から誰にも内緒で莫大な保険を父にかけていた事は
親父の葬式が終わった後に分かったことだった
私は 許せなかった。
癌発覚後の親父に対する邪険な扱い。
見舞いにも来ない。自宅療養したいという父に対して
「子供もまだ小さいし そんな姿は極力見せたくない」
と自宅に親父が帰るのを頑なに拒んだこと。
葬式代に1円たりとも無いと、危うく「無縁仏」扱いにされそうだったこと。
それが原因で葬式代を私が借金し
走り回ってかき集めた金。
死んでからは、嫁からはピタッと連絡なくなった。
地元で、私の連れが嫁を見かけたときには
驚くほどきれいな格好をして、毎日のように買い物ばかりをしていたらしい。
親父にかけられた保険金で 親父が生きてひもじい思いをして生活をしていた時とは
全く違う 逆転の生活をしていたこと。
最初から子供と保険金で結婚したんやと・・・気づくのも遅かった 私。
親父は、最期までかなり苦しんだ。
かなり、もがき苦しんだ。
でも嫁は来なかった。死ぬまで。
1度たりとも。
そして父が息を引き取った瞬間 嫁は涙ひとつこぼさず、
一言目に出た言葉は
「霊柩車お迎えが来るまでじかんあるんやってー!!子供たち公園につれってってくるわー」・・・・
許せないでいる。今も。
そして 振り返る。
あの壮絶だった
一瞬だったけど とてつもなく苦しかった
親父の最期を。。
あの 親父の頭がオカシクナッテ。
私が娘だと分からなくなって。
そこらへんで小便や
糞の垂れ流しをして。
全て私一人涙をかみ締め、処理し続けた日々を。
最後まで看病していた日々を。。。
【次回 大阪アウトロー物語 【第3章】 [2]狂う親父の看病そして仕事】
大阪アウトロー物語 【第2章】~離婚と理想~ [05]私が傷つけた 小さな心
気がつけば私は一人になってたけど
周りの友達はみんな
「好きでやってやってたあいつが悪いやん? 借金はアンタのせいやないでな」
そういってたけど、ハジメチャンからしたら
たまったもんじゃない。
ほぼ2か月。
SEXはさせたことないし
深夜にいきなり呼び出しては「本屋まで行くからつれてって」とか言ったり
本心から喜んで子供の面倒を見てるのに
そんな日に 私が違う男と会ってたことを書いてる手帳を見てしまったんやから。
私への嫌がらせは直接はなかったものの、電話で「君の息子はまだ元気?」とか
「今 やっとマンションの 電気がついたな
帰ってきたんですね。
今日も、あの人とデート?ってとこでしょうか」など、気味の悪い留守電が2ヶ月びっちりと続いた。
買ってもらったブランドの鞄に時計 高級な洋服 車
子供のおもちゃ。。
毎日の外食・・いつしか私は楽なことばかりを選んでた。
毎晩必ず作っていた食事も、いつの間にか
買ってきたり 買ってこさせたり 外食
買ったはいいけど、手に負えない凶暴で可愛げのない犬も。。
55万もする犬は、たったの3日ではじめちゃんに世話をさせることになり引きとってもらっり。。
「お前も俺と同じやなー
すてられたんやなぁ。。」
きっとそんなことを思いながら想像を超える
悔しさと恨みがあったはず。
「なぁーままーー。。。?
ママはさみしいん?
ぼくがおってもあかんの? 一ちゃんも来なくなったし。。
僕な
僕は。。。ずっとママのそばにいたいねん・・・」
「どないしたんいきなり?」
「えっとな・・・ママは僕ががんばって世話するってゆーたワンコもはじめちゃんとこやってしまったしな、一ちゃんにもこの前大きな声で もうこんとって!!って電話でゆーてたやろ??」
「僕も バーちゃんちいかなあかんくなんのん?」
ボロボロ涙がこぼれた。
そうか・・・
この子は 自分もすてられるんやないかと、不安で不安でしかたなかったんや。
そんなこと気づきもせずに、一体私の本当に欲しかったものって何?
一番失いたくないものを 一番忘れてたんとちゃうん。。。?
結局 お金を使って
ほしかったもの
本当に大切やったものなんて
きっと何一つなかった。
絶対 失ったら いけないもの
絶対傷つけては イケなかったものを考えることさえ 出来てなかった
子供には会わせないとか
ご飯はちゃんと作るとか
しっかり 働くとか それすらも できてなかったけど
それ以前に もっともっと 考えるべきことがあったのに
なにも、まったく 出来ていなかったことに対して もはや、取り返せない小さな心に負わせた傷の深さに 絶望している自分がいた
「取り戻そう、、、取り戻せるん?
本当にたいせつなものを。欲しいものはこんなブランドや車なんかやなかったはずやろう?
間に合うか分からないけれど
この子との間にいつの間にか作ってしまった、溝を埋めよう。あの、お金に困って苦しかったけど笑顔が絶えなかった、あの頃からもう一回やりなおそう。この手で。
自分のこの手で
風俗以外は出来ないかもしれないけれど
まずは もう一回 もどってみよう?。
まじめにもう一度働いてみよう?。
又 風俗の仕事に戻ることにした私は、しばらくは狂ってしまった金銭感覚を戻すのは容易ではなかったが
「男」 「金」
この2つに縛られることのない、ゆっくりとした時間が流れ出した・・・・
しかしそれは、本当に一瞬だったように思う。
又 少しずつ「歪んだ女」が、私の中から這い出してきていたんです。
【次回 大阪アウトロー物語 【第3章】~本当に必要だったもの~
[1]親父の死 子供の心の寂しさ】
周りの友達はみんな
「好きでやってやってたあいつが悪いやん? 借金はアンタのせいやないでな」
そういってたけど、ハジメチャンからしたら
たまったもんじゃない。
ほぼ2か月。
SEXはさせたことないし
深夜にいきなり呼び出しては「本屋まで行くからつれてって」とか言ったり
本心から喜んで子供の面倒を見てるのに
そんな日に 私が違う男と会ってたことを書いてる手帳を見てしまったんやから。
私への嫌がらせは直接はなかったものの、電話で「君の息子はまだ元気?」とか
「今 やっとマンションの 電気がついたな
帰ってきたんですね。
今日も、あの人とデート?ってとこでしょうか」など、気味の悪い留守電が2ヶ月びっちりと続いた。
買ってもらったブランドの鞄に時計 高級な洋服 車
子供のおもちゃ。。
毎日の外食・・いつしか私は楽なことばかりを選んでた。
毎晩必ず作っていた食事も、いつの間にか
買ってきたり 買ってこさせたり 外食
買ったはいいけど、手に負えない凶暴で可愛げのない犬も。。
55万もする犬は、たったの3日ではじめちゃんに世話をさせることになり引きとってもらっり。。
「お前も俺と同じやなー
すてられたんやなぁ。。」
きっとそんなことを思いながら想像を超える
悔しさと恨みがあったはず。
「なぁーままーー。。。?
ママはさみしいん?
ぼくがおってもあかんの? 一ちゃんも来なくなったし。。
僕な
僕は。。。ずっとママのそばにいたいねん・・・」
「どないしたんいきなり?」
「えっとな・・・ママは僕ががんばって世話するってゆーたワンコもはじめちゃんとこやってしまったしな、一ちゃんにもこの前大きな声で もうこんとって!!って電話でゆーてたやろ??」
「僕も バーちゃんちいかなあかんくなんのん?」
ボロボロ涙がこぼれた。
そうか・・・
この子は 自分もすてられるんやないかと、不安で不安でしかたなかったんや。
そんなこと気づきもせずに、一体私の本当に欲しかったものって何?
一番失いたくないものを 一番忘れてたんとちゃうん。。。?
結局 お金を使って
ほしかったもの
本当に大切やったものなんて
きっと何一つなかった。
絶対 失ったら いけないもの
絶対傷つけては イケなかったものを考えることさえ 出来てなかった
子供には会わせないとか
ご飯はちゃんと作るとか
しっかり 働くとか それすらも できてなかったけど
それ以前に もっともっと 考えるべきことがあったのに
なにも、まったく 出来ていなかったことに対して もはや、取り返せない小さな心に負わせた傷の深さに 絶望している自分がいた
「取り戻そう、、、取り戻せるん?
本当にたいせつなものを。欲しいものはこんなブランドや車なんかやなかったはずやろう?
間に合うか分からないけれど
この子との間にいつの間にか作ってしまった、溝を埋めよう。あの、お金に困って苦しかったけど笑顔が絶えなかった、あの頃からもう一回やりなおそう。この手で。
自分のこの手で
風俗以外は出来ないかもしれないけれど
まずは もう一回 もどってみよう?。
まじめにもう一度働いてみよう?。
又 風俗の仕事に戻ることにした私は、しばらくは狂ってしまった金銭感覚を戻すのは容易ではなかったが
「男」 「金」
この2つに縛られることのない、ゆっくりとした時間が流れ出した・・・・
しかしそれは、本当に一瞬だったように思う。
又 少しずつ「歪んだ女」が、私の中から這い出してきていたんです。
【次回 大阪アウトロー物語 【第3章】~本当に必要だったもの~
[1]親父の死 子供の心の寂しさ】