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マウントされる女やめる大学

どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 「こうあるべきだ、強め」から

「そんな自分をゆるしてお金持ち*」

 

 

優雅な星へ導く

お手伝い心理カウンセラー・

マリチャンヌです。

 

 

わたしは現在、

心理カウンセリングを通じて

 

いつかの心のボタンのかけ違いを

ゆるめるお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

こんな気持ち

みなさんの中にもありませんか?

 

 

 

長引く嫌な気持ちが

ずっと自分の中にある。

 

 

何かで打ち消したい・・

 

 

どこかへ行って欲しいなぁ・・

 

 

 

 

とても多いご相談の一つです。

 

 

 

 

子供の頃、わたしは

手っ取り早く気分を変えるため

一番多くやっていたのは

 

 

「面白いことを考える、探す」ことでした。

 

 

子供なりに、心の安全を守ろうと

編み出したやりかたですが

 

 

ごく最近まで、これは、

「わたしは何もない人間という意識があって

仕方がないから、何かで埋めよう」から

来ているものだろうと思っていました。

 

 

確かにそれも、一理はあるのですが・・・・・

そればかりでもなかったようで!

 

 

視点を変えてみると

この癖の中には

わたしの素晴らしき長所も混じっていたのです。

 

 

 

そこで今日は

 

「まさかの長所は

逃げてる先で拾い上げたものだった」

 

について書いてみようと思います。

 

 

よろしければ最後までお付き合いください。

 

 

 

 

わたしが通っていた小学校の

はす向かいには

ガソリンスタンドがありました。

 

 

雨上がりの水たまりには、よく

ガソリンの油が浮いていました。

 

 

晴れた夕方には、光の角度で

そこに虹の色が見えることがありました。

 

うつくしいなぁ

空にかかる虹と大差ないなぁと

プリズムを眺めていたものです。

 

 

単純に、ロマンチストなだけだろうと

当時のわたしは思っていました。

 

 

 

不登校以来、

他人と関わることを怖がってはいたけれど

 

 

「楽しい気分は欲しい」。

 

 

「人間以外の何か」から

暖かいものを探す癖が

加速していた時期でもあります。

 

 

一人暮らしになってからも

そこはあまり変わらず、

 

 

枝の上に積もった雪の影が

人面犬のように見えて、写真を撮ってみたり

 

 

ラブホテルのネオンの美しさを

何分も立ち尽くしてみていたこともありました。

 

 

試食販売のバイトに行く途中の

寂しい町並みのなか

 

目に留まった雑居ビルの

窓の配置がかわいすぎて

うっとり眺めて堪能したり、と

 

 

今思えば無意識ながら

ユーモアや、美しいと思えるものを

探したくなる癖を使ってでも

 

わたしがわたしを支えてあげようと

してあげようとしていたのかもしれません。

 

 

群れの中にいることが叶わなくなり

初めは不本意な

ひとりぼっちの時間との付き合い方でしたが

 

 

ひとり=つまらないもの、という決めつけは

自然となくなっていきました。

 

 

だけど、

他者を恐れるわたしは、

ついて回っていたので

 

「そこが克服できていない限り、

ただの偏った人のすること」

という、厳しい意識もありました。

 

 

 

心理講座に通う少し前

 

派遣バイトに出てみたり

本を読んでやってみたりと

 

もがきながらですが

わたしなりに、心の変化がありました。

 

 

今という時間は今しかない。

 

生き物である以上、お互い、いつどの瞬間で

別れがくるか?はわからない。

 

 

できるだけ、ありがとう、と思えば、今いう。

 

ごめん!と思えば、今伝える。

 

 

最初は自分以外の人に

「好き」「ありがとう」なんて

言い慣れていないので

 

心で思うことと、口に出した

自分の声の違和感に

戸惑うこともありましたが

 

それでも勇気を出して伝えるようにしていきました。

 

 

美点が見える、

だから言う。

 

それだけ。

 

 

その後わたしは、心理講座の同期も含め、

出会った人たちに

 

「ありがとう」という

言葉の花束をもらうことが

たくさんありました。

 

 

当時は何について

ありがとうと言われているのか

さっぱりわかりませんでしたが

 

 

わたしのやっていたことは

受け取る側から見ると、

「相手を褒めている行為」なのだそうです。

 

 

今ならそれは

 

『誰もが持っているのに、

本人は気がつけない角度にある豊かさに

気づけて、ひとに手渡していたんだよ』

 

とも言ってあげられます。

 

 

誉めることは空々しいから

絶対にやらない!と

公言しながらやっていたので

めちゃくちゃな話ですね。

 

 

 

 長い間、

「完成されたわたし」とまで言わなくても

 

「他人から文句言われないラインを超えたわたし」だけが、

「普通』と名乗ってもいい、

 

 

その時初めて

『他人に対して『こう思う』をいう権利がある。

 

という思い込みがありました。

 

 

長い時間はかかりましたが

『自分には何もない』のメガネで世界を見ていると

 

 

せっかく長所もあるのに、

あって当たり前と、軽く扱ったり

 

よさも目に入らなかったのだなぁ・・と

気づけるようになりました。

 

 

 

『どんな自分でもすでに完成されている』

 

と、心の底から気づけたとき

 

 

わたしがわたしのために

力づけていたものを

誰かに差し出したとき

 

 

回り回って

誰かをそっと喜ばせていたり

希望に通じる暖かい気持ちを

共に共有できる

 

『素晴らしいなにか』に

変わっていることがあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

苦手な気持ちだけど

自分で向き合ってみることで

気がついたこと

 

さらに掘り下げた

ゆるんでよかったなぁ〜の話も

 

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