■苦しい時、こうあるべきの奥にあるものに引っ張られていた | マウントされる女やめる大学

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どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 

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💖大人の不登校どんとこい!
『マウントされる女やめる大学』
マリチャンヌ学長こと、もりわきまりこです。💖

 

 

わたしは現在、

心理カウンセリングを通して

心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし

 

 

未来を思い出すお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

 

先日、母と電話で話していたときのこと。

 

二人とも同じような時期に

それぞれの家の部屋の中で

 

ポンと置いたものが紛失して数日経った・・と

いう出来事があったんです。

 

 

母は、腕時計、わたしはリップブラシを紛失!

 

 

数日後、ありえない場所にあった!と

嬉しそうに電話がかかってきました。

 

 

諦めて、手持ちの電池の切れた時計を

電池交換して使おう、と

決めた矢先のことだったそう。

 

 

以前は、見つかるまで

目を皿のようにして

くまなく探していた姿を知っているため

 

 

なんと丸くなったものだな〜・・と

不思議な気持ちで話を聞いていました。

 

 

 

今日は

「苦しい時、こうあるべきの奥に

あるものに引っ張られていた」

 

について書いてみようと思います。

 

 

よろしければ最後までお付き合いください。

 

 

 

 

小さい時からわたしは

ものをよく無くす子でした。

 

 

思い出せない回数、手袋は片方どころか

両方無くなり

見つからずじまいは茶飯事です。

 

 

小学一年生の時、どうしてもその日

提出しないといけない提出物が見つからず

 

授業の途中でしたが

 

泣きながら家に取りに帰りましたが

「見つからず」

 

 

最終的には

学校の机の引き出しの奥の奥に

 

潰れる形でしまいこまれていた、

ということもありました。

 

 

「あんたは始末(方言=だらしない)が悪い」

 

 

母に言われていた口癖のひとつでした。

 

 

わたしのことを

一番よく知っている人が言うのだから

「じゃあそうなんだろうな・・」

 

 

その頃はそんな感じのラベルが

わたしにはたくさん貼られていました。

 

 

「そういうもんだ」は、内側で

無気力という価値観を

作っていった面もあったのかも知れませんね。

 

 

 

イラストレーターの仕事につくようになり

それでは通らない、という出来事だらけに

遭遇するようになりました。

 

 

寝込んで立てず

廃業しようかと思い悩むくらい

体を壊したことがきっかけとなり

 

 

わたしは、小さいハードルをたくさん作り

 

今日はここまで、と

心身に負担がかからないやり方で

ゴールにたどり着く

 

ベビーステップというやり方を

採用することにしました。

 

 

根気というものと無縁だったわたしは

コツコツプラス、やりきるという達成感を

ここで初めて

身につけたのではないでしょうか?

 

 

なにかを持っている自分のことを

以前よりは好きでした。

 

 

「人格者になったものだ・・」くらい

思ってもいました。

 

 

*諦めグセから、ねばべきねばべき

 

*極端から極端へ

 

 

しかしそれは、意識的に

『根気に執着しだした』ということでもありました。

 

 

根気がつくようになったのは良いのですが

自分へのハードル設定が

とても高いことは健在なので

 

無意識で自分に圧をかけてもいたのです。


 

 

その頃、心理講座に通うきっかけになった

塾長のブログを良く読んでいました。

 

 

「手放す」という課題が

そこかしこにあったような気がします。

 

 

わたしがふわっとしてるのは

相変わらずなので

 

 

良かれと思って

「先回りしてこの場所に置いてみよう!」と

イレギュラーなことをやると

思い出せないことは多く

 

その時も何かを部屋の中で無くしていました。

 

 

探し切った末

「ない!ない!」と騒ぎ立てるのは仕方ない。

 

 

ただ、そこで『諦めてみよう・・』という

考えをやってみたくなりました。

 

 

用が足りればそれでよい。

 

 

急ぎの時は100円ショップで、

とりあえずしのいだり

家にある他のものを組み合わせたりして

代用品で賄えばいいや!

 

 

それはそれで、クリエイティブな

楽しみが含まれていることもあり

悪くありませんでした。

 

 

 

諦めるって、視点を変えるという

手放しかたなのかもしれませんね。

 

 

不思議なことに 気持ちを手放すと

時間差で、するっと出てくることも多いのです。

 

 

「見つかる」そのものは

ラッキーパンチと思っているので

純粋に「ありがとう!」しかありません。

 

 

そんなことが何回かあるうち

気がついたのです。

 

 

 

わたしは、ものをなくすわたしのことを

嫌っていたんだなぁ・・

 

 

うかつなわたしを、責めまくっていたんだなぁ・・

 

やさしくなかったんだなぁ。

 

 

ものを手に入れることについてくる

リスクという

ごく当たり前のことが、

スコンと抜けていたんですね。

 

 

 

今ならわかります。

 

 

「物をなくすわたし」、から

「根気のある自分」への執着に

スライドしただけのことだったんです。

 

 

思いやりの足らなさが

コントロールという状態を

引き起こしていた面は

大いにあったかもしれません。

 

 

 

わたしは、今日も自分の声に耳を傾けます。

 

 

聞いても応えてくれない時もあります。

 

 

それでも、そんな面も含めて

精一杯生きていてくれる。

 

 

十分です。

 

 

 

昨日、1ヶ月ぶりに

買い物カートの底を見たら

リップブラシが見つかりました。

 

 

普段、ここに入れていた

サブバックを引き上げたとき

飛び出して、置き去りになっていたよう。

 

 

 

 

そんなもんです*

 

 

暮らしのなかで誤解が解けた

気づけたちょっと深い話も書いています。

 

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