『熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする』
お手伝い心理カウンセラー*
マリチャンヌです。
さて・・こんな経験はありませんか?
ああ、生きづらいなぁ・・と
行き詰まったこともあるが
カウンセリングなり、自分と向き合うなりで
出口が見えてきた
よし!今までとは違うやり方で
やってみようとトライしてみた!
なんどもやっているうち
好転してきたなぁと手応えを感じ始めた時
なぜだか知らないけれど
以前自分が苦手だなと感じたタイプの人が
まーたやってきたり
生きづらいなぁと思っていた頃に
起きていたことと
よく似た出来事が起こることがある。
心が耐えられない・・
「せっかくわたし、いい感じだったのに・・
また、元どおりなの・・?」
心がポッキリ折れかけています
または、折れてます・・
・・・そんなご相談を受けることが
意外とあるのです。
わたしもあえて自分の可能性の器を
広げてみたい思いから
少し背伸びをしてトライしてみよう!と
動きだし、
いい手応えを感じかけたとき
ほぼほぼ毎回
そのようなことが起きています。
一見ネガティブなこれらの中には
実は、こころのステップアップに
欠かせない
とても大事な意味が隠れていたのです!
今日は
『もう違う未来にいる時、鏡が教えてくれる』
について書いてみようと思います。
最後までお読みいただけたら幸いです。
なぜかはわかりませんが
わたしが自分がしたくて
何かを楽しんで取り組んでいると
猛ダッシュで
競争心の混じった反応をされることが
あるのです。
「わたしの方がもっとできる!もっとすごい」と
わざわざ目の前に来て
アピールをされるのです。
謎でした。
それにより、
パッと、ねずみ花火が着火した時のような
爆ぜる感情と、ゾッとする気持ちが出るのです。
自分の世界からこの出来事を排除したい
または、自分から関わらないよう遠のく
ということをよくやっていました。
心理講座を出ても、この癖は着地点が見えず
以降も同じような場面に遭遇すると
体と感情に、拒絶反応が出て
そのたび、物理的に距離を取り
ワークで自分の本音を探す、ということを
繰り返していました。
さすがに尋常ではない回数
同じことばかりやっているため
このワンパターンの中には
自分が思っているより
めんどくさい見たくない
大きな課題が隠れている気はしていました。
そんなある日、
また同じ感情がよぎりました。
「あ。これ、好転反応だ!・・」
やっとカラクリを思い出したのです。
心理講座を卒業後
単発で通っていた講座で
講師さんが説明してくれた
あの図があたまに浮かびました。
「心はもう
本来の自分に気づいたからこそ起こること
頭が体を使って
元の場所(考え方)に戻れ〜〜戻れ〜と
引っ張ろうとして見せている現実なんだよ」
そういえば、講師さんも含め
諸先輩がたも
その人なりの言い回しではあったけど
同じことを言ってたぞ!
ああたしかにこれだー
意識のどこかではそれ違うなーって
わかっているのに
目の前の出来事を使っているので
臨場感のある
過去の自分の映画を見せられているような
飲み込まれているような
太刀打ちできない感覚・・
これだったんだーーー。
正体に気がつけた、安心とともに
『わたしがうまくいくのが気に入らないから
阻止しようとしている
わたしのやり方をすぐパクろうとしている
ドロボーみたいに奪いに来る人だらけ』
「わたしは奪われる人」という
思い込みが
非常にドロドロとしたイヤ〜な感情と共に
芋づる式に出て来ました。
逃げたいという思いは、そこから来ていたのです。
裏を返せば
「わたしは、奪いたくなるほど多才な人間」
というなかなかの思い込みがある
ということです。
奪うという言い方は
さらに別の言い回しをすれば
「わたしの機嫌をあなたが取るのよ」
でもあります。
元は、おうちルールありきですが
現実にこれと同じルールで
生きている人の方が
わたしのいる世界では圧倒的に多く
お互いがお互いの機嫌を取り合うことが
『平和』を導くよいやり方
だと思い込んでいたのです。
おうちで得られないものを
外で得たかった、当時のわたしなりの
心の満たし方だったのでしょう。
切ない気持ちもありますが
思い返せば、そういう意味では
わたしも自分が不機嫌になると
「あの人のせいでわたしの日常はつまらない」などと頻繁に他人にかぶせていました。
以前わたしの卒業した心理講座の
大師匠が、
毎月の心理のお話会で言ってました。
自分という人をさらけ出すことは
世界に向けて、今までより
大きく網を広げるということ
小さくこっそり生きていた時は
広げる網の幅も小さいぶん
リスクも小さいが、得るものも小さい。
本当に欲しいものは入ってくるのは難しい。
しかし勇気を出して自分を隠さず広げれば、
鯛やヒラメも入って来る!
しかし、広げているぶん、
折れた釣り竿や、バケツや軍手も入って来ることもある。
それは必要悪、
好きにならなくてもいいが、排除するのはまた違うこと。
(スルー耐性をつけることでもあるかも?)
自分を生きるということは
リスクもええい!と受け入れるということ。
そして、そんなあなただから好きだよ、と
言ってくれる人が
ちゃんと味方でいてくれる。
今のわたしは
「わたしはすごい!」の人が現れると
「あ、わたし、いま、イケイケの波に乗っている時期なんだな・・」と
解釈するようになりました。
仲良くはしなくていいのです。
スルーでok!
ただ、サインをありがとう、という感じです。
そして、誰も誰からも
なにも奪えないし
奪わなくても
ひとは、誰もが
しあわせを持って生まれてきてもいるので
大丈夫!といえば
みーんな、大丈夫なんですよ。

