「こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」
優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。
わたしは現在、
心理カウンセリングのお仕事を通し
心のボタンのかけ違いを
ゆるしてゆるめて
未来を思い出すお手伝いを
させていただいています。
さてさて・・・・・
『どこにでもある言葉』
『よく使う単語』
だけど、そこに
自分という人を掛け合わせたとき
口がモゴモゴ・・
言えなくなる
後ずさりしてしまう言葉 ってありませんか?
わたしは、
・マンションに住んでいます。
・美容院に行ってきました。
これがさらっと言えませんでした。
→マンションだけど、築30年なんだよね
→散髪に行ってきた!
と、言葉を言い換えて伝える癖がありました。
「わたしのようなものが、おこがましい・・」
があったからです。
でもね、もう豊かさを
受け取ってもいいんです。
そこには 資格や権利はなど
いらなかったのです。
そこで今日は
「言えなかった言葉の奥に、
手を取ってあげられなかった
わたしがいた頃」
のお話しを書きます。
よろしければ最後までお付き合いください。
わたしは一人暮らしを始めた20代の頃、
とても人には言えないような
自暴自棄な暮らし方をしていました。
掃除機もかけず
洗濯物も2ヶ月は放置していることもザラ
それに慣れてしまうと、何も思わなくなっていきました。
今でいう自己臭恐怖という状態で
学校生活が立ち行かなくなり
自分を汚いものだ、と命名し
それに沿うものをあてがっていたのです。
今なら正直、共感しがたいことをやっていました。
物欲もなく、何しろ生きる気力がまるでないので
自分の面倒を見るために
体が動かすということが苦痛でたまりません。
いわゆる
「きつくて辛くて苦しい」こころの3K状態でした。
料理だけは、
一人なのに、人に見せるための
わたしを意識していて
「きちんとした女性でなければならない」があり
一汁三菜、短時間で作るわたし死守。
自分の中の、自分ではない人に
やらされているような苦しい気持ちを持ちながら
やりつづけていました。
生きていてはいけない。
豊かさを感じるものを
堂々と受け取る権利はない。
長く逃げ回る人生は
同時に、自分を貶めてきた人生でもありました。
抑うつ症を経て、
森田療法の本を読み
土に触れることから
生き物として生きなおすことに
再び手をつけていきました。
自分の面倒を、意識的に自分で見るように
行動を変えていきました。
家の周りの雑草を抜き
ゴミはゴミの日に捨てにいくようになり
洗濯物もゆっくりでいいからと
スピードを意識せず干すなど
小さいことでも出来るたび、
たくさん誉めてあげる暮らしに
シフトしていきました。
心が動くものだけ、手にとって買う生活を心がけ
「今」ハートが鳴らないものは
心を鬼にして捨てていきました。
部屋は、心そのものでした。
数年後、心理学を勉強するようになり
それまでのわたしの「当たり前」を
振り返ることが増えました。
罪があると思うから、罰を与える。
それは、態度(行動)と言葉に
癖が出るんだなぁ・・
あの頃は、堂々としていることが
等身大だと思い込んでいました。
おそらく、自分のひずみや、わだかまりを
どこに置いていいのかが
わからなかったのだと思います。
そして、わたしがわたしに
「そのままでいてね」という思いと、
「寄り添ってあげたいという、いたわり
思いやりを放棄していたこと」が
わたしの「ごめんね」の中身だったと知りました。
『素晴らしいわたし』
そのわたしに、
時々いろんなことがある。
ただ、それだけのこと。
遅くなったけど気づけてよかったです。
豊かさを真正面から受け取っていこう。
その姿が
知らないところで、誰かの希望になっていることもある。
わたしもいろんな人からバトンをいただいています。
今日も、生きててくれてありがとね。
今日もわたし、ありがとう。
苦手な気持ちだけど
自分で向き合ってみることで
気がついたこと
ゆるんでよかったなぁ・・
の話なども書いています。
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