■分け与えられるのではなく、自分の意思で選びたかった | マウントされる女やめる大学

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どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 

「こうあるべきだ、強め」から

「そんな自分をゆるしてお金持ち*」

 

 

優雅な星へ導く

お手伝い心理カウンセラー・

マリチャンヌです。

 

 

 

 

わたしは現在、心理カウンセリングを通して

心のボタンの掛け違いを

ゆるめてほぐし

 

未来を思い出すお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

 

 

日常の中ふとした瞬間

みんなでいるとき

 

ふと気づく。

 

 

「あの人だけ、もらってないなぁ」

 

 

「あのひとばかりたくさん手にしているよ?」

 

 

それ、おかしいんじゃない?

 

よくないことのような気がする

 

 

妙に平等にこだわる気持ち・・・

 

モヤモヤざわざわ

 

 

 

そんな気持ちになったことはありますか?

 

 

 

 

わたしは、といえば

 

いつのころからでしょうか・・・

 

 

 

小学校高学年になる頃には

平等命!が定着していました。

 

 

ひとが5人、お菓子が3つあれば

なんとか全員の手元に届くよう

細かく調整する、

 

 

それがやさしさであり、思いやり。

 

 

「そうするものだ」と思って生きていました。

 

 

 

現在のわたしから見ると

思いやり、の定義があの頃とはずいぶん違い

 

 

平等・・という態度は、実は建前で

 

 

本音は

「こういうときには、そうふるまうものだ」

があっただけ。

 

 

 

しかし、そんなわたしにも

「その一連があったからこそ!」

 

気づけることがあったんですよ。

 

 

 

 

 

今日は

 

「分け与えられるのではなく、

自分の意思で選びたかった」

 

について書きます。

 

最後までお付き合い頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

「小学生のころ、

花いちもんめという遊びが怖い、

 

嫌だと思っていた」

という友達がいました。

 

 

理由を聞くと、

あれは人気順にどんどん選ばれていく

ドラフトのようなもの。

 

 

自分はいつも最後のほうになることが多く

とてもつらかったのだそう。

 

 

 

わたしは、不登校経験をするまでは

そういう経験がなく

 

 

相手の立場に立って物事を見ることが

苦手な子供でした。

 

 

 

無意識では

 

もし彼女に起こった出来事が

自分に降りかかってきたら

 

ずっと地元で小さくなって

生きていかなければならないのでは?と

思っていたのかもしれませんね。

 

 

それくらい、

ムラ社会の掟にこだわっていました。

 

 

誰にも嫌われないで

集団のなかでうまく泳げるようになる反面

 

 

反動でしょうか?

少しでも自分のことを誰かに悪く言われると

 

傷つきかたも半端ではなく

腹いせに裏で悪口をいうこともありました。

 

 

 

理想の自分とはずいぶんかけ離れている

器の小さい自分を排除したい思いが

ありました。

 

 

 

生きづらさは

歳を追うごとにひどくなり

32歳のとき抑うつ症と診断され

 

 

わたしは本気で生き方を変えていこうと、

やっと動き始めました。

 

 

 

暗中摸索の日々ながら、

 

 

とにかく日和見ぐせからは、脱出したい!

という思いはあり

 

 

人を避けているから癖がなおらないのでは?と

イラストの仕事を控え

通販オペレーターのバイトに行きました。

 

 

わたしはそこで

ある実験をすることにしました。

 

 

『嫌なこと、違和感あることやめてみよう!』

 

 

手始めに、空気を読んで動くことと

 

平等ぶるのをやめてみることにしました。

 

 

 

昼休み、休憩室に行くと、

お菓子がたくさんあり、

 

ご自由にお取りくださいと書いてありました。

 

 

(ほんとにやりたいことをやってみよう!)

 

 

遠慮するひとが意外に多かったのですが

 

わたしは机のど真ん中においてある

一番美味しそうなお菓子に

手を伸ばしました。

 

 

食べたかったのです・・・・・・!!!

 

 

 

馴れないことをやりだしたので

腕を伸ばしたとき

一瞬恐怖で体温が下がりましたが

黙って食べました。

 

 

すごく怖かったけど

もうやってしまったし、

あとはもう知らないもーーん、と

 

もぐついていたら

 

 

 

声には出ていませんでしたが

 

 

「ああ、いいんだ・・」と

思ったのでしょうか?

 

複数の人の目の表情に変化がありました。

 

 

誰かが手を出すと、安心したのか

われもわれもです。

 

 

「あ、本音を出しても大丈夫かもしれない」

 

 

周りの反応を気にする自分もいましたが

 

何よりわたしが自分の本音を、

行動で叶えてあげられたことが

心底うれしかった記憶があります。

 

 

自分が自分とつながり始めた❗

 

 

わたしの中の

平等崩しが始まりました。

 

 

この平等崩しは、わたしにとっては

常識崩しでもあったようで

 

やっていくうち

どんどん自分の本当の望みが

浮き彫りになっていきました。

 

 

 

 

わたしだけもらえない

 

わたしだけ置いていかれる

 

 

わたしだけ大事にされない

 

悲しい

悲しい

悲しい

 

そんな思いが出てきました。

 

 

自分がもらえなくなるのが怖いから、

必死でいい人のふりをしていたのです。

 

 

あの頃気づいてあげられなかった思いを

やっとわかってあげられました。

 

 

 

それは同時に

『欲しいものは誰かに施してもらうもの』

という、

おうちルールからの卒業かもしれません。

 

 

 

今は誰かの差し入れ、ケーキの箱があれば

 

食いしん坊のわたしは一目散に

いま、一番食べたいケーキを選びます 。

 

 

欲しくないときは手は出しません。

 

 

「自分の心の声に忠実でいたい」

 

 

それでいいかな?と思ってくらしています。

 

 

 

そんなさりげない日常の中にある

思い込みから

 

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