「こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」
優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。
わたしは現在、心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いを
ゆるめてほぐし
未来を思い出すお手伝いという
お仕事をさせていただいています。
無意識の口癖って誰でもいくつかは
あるかもしれません。
例えば・・
誰かがそっと手伝ってくれたり、
手を差し伸べてくれたそんな時
とっさに「ごめんなさい!」と
言ってしまう。
ありがとう・・より申し訳ないが勝つ。
スッと、感謝を
伝えられるようになれたらなぁ・・・
そんなことってありませんか?
かくいうわたしも中2の頃、同級生に
「ありがとう」と言ってるつもりで
相当回数「ごめん!」と言っていたそう。
「まりちゃん、ごめんはやめたほうがいいよ」と言われ
その時、初めてそういう癖があったんだ!と
気づかせてもらった覚えがあります。
それからは手動で「ありがとう」と
言い換えてはきましたが
実は大人になっても
ぺろっと出る癖ではありました。
一見小さなことのようですが
その一言の中には、
当時のわたしの価値観が
しっかり含まれていたようです。
そこで今日は
「責めたくなるとごめんなさいが
出ていたのかも?」
のお話しを書きます。
よろしければ最後までお付き合いください。
「どうせわたしなんて」
ごめんなさいを突き詰めていくと、
わたしには
結構昔からその意識がありました。
特に不登校になって、
『集団の中でやっていけない自分は
世界のどこにも居場所はない』
・・というレッテルを
自分自身に貼るようになって
余計ひどくなっていったのかもしれません。
いつもわたしの真ん中には
常に「世間」というものが住んでいて
そこに奉仕することしか頭になくて
生きづらいと言いながら
逆に言えば
社会の枠という仲間に入れてもらうことでしか
生きる道がない、
という視点しか浮かばなかったのです。
自分なりに生きる場所を必死に探しての
ことだったので
仕方ない部分もありました。
その後、紆余曲折を経て
心の勉強をするようになり、
それは自動的に
自分の苦い部分に向き合うことにもなりました。
・欠けているわたしには何もない
・何もない人には
「誰かからのありがとうは身分不相応」
そんな意識が
当たり前のようにあることにも
気がつけるようにもなり
わたしは、自分をいたわるということが
何を示すのかが、
遅ばせながらであれ
体得できたことはうれしかったです。
自分の育て直しの意味も含め
男女性のワークをゆっくりやり続け
次第に、どんな自分でもオールオッケー!
ゴーサインを出せるようになった頃かな?。
誰かの「ありがとう」が
「何もないわたしに降る、ラッキー」という
受け取りかたから
「素敵なわたしに、だから
あの人はお花をあげたいんだな・・」
の解釈に変わっていたのです!
おうちルールの癖は確かに記憶にはあるけれど
「ない」の世界から物事を見るのと
「ある」の世界から見える世界は
こんなに景色が違うんだなぁ
そしてそれは、自分次第で終わらせることが
出来るんです。
別にがんばっていても/いなくても、
できていても/できなくても
人柄とは関係ない。
誉められることはうれしい!
ありがたく受け取りますよ❤と
今のわたしは思っています。
そんなさりげない日常の中にある
思い込みから
言葉の手垢をとって目から鱗!
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