今回は『太陽の法』第6章12節「我を信じ、集い来よ」についてお話ししたいと思います。本節後半では特に、幸福の科学のターニング・ポイントとなる1991年〜1994年を中心とした幸福の科学教団の歴史が述べられています。


 1. 1991年の大転換とエル・カンターレの使命

 大川隆法総裁先生は、1991年を戦後日本の大きなターニングポイントと位置づけています。この年、東京ドームで5万人の幹部信者が集い、「御生誕祭」が挙行され、幸福の科学が日本最大規模の宗教団体になりました。大川隆法総裁先生はエル・カンターレ宣言をし、大乗の仏陀としての使命を明らかにされました。この出来事はマスコミによって全世界に伝えられ、日本に真の宗教の時代が訪れたことを示しました。
 また、1991年9月に始まった「希望の革命」は、日本のマスコミ界に漂う暗雲を払い、精神的公害を一掃する正義の戦いとされました。これらの出来事は、日本が仏国土建設へと向かうための重要なステップとなりました。

 2. 信者数の増加と教義の基礎固め
大川隆法 東京ドーム 信仰の勝利
  1991年12月の「エル・カンターレ祭」では、信者数が560万人を突破し、大川隆法総裁先生は、幸福の科学は事実上、日本一の宗教団体になったと宣言されました。1992年から1993年にかけては、仏教路線での教義の基礎固めが行われ、衛星放送を通じて全国で講演会が開催されました。この時期、幸福の科学は「ミラクル計画」において大きな勝利を収め、エル・カンターレを中心とする信仰団体としての確立期を迎えました。

 3. 「ビッグ・バン計画」の始動
大川隆法 東京ドーム

 1994年には、「ビッグ・バン計画」が始動しました。この計画は、信仰から伝道への転換を意味しており、幸福の科学が世界宗教へと飛躍する大きな一歩とされています。この計画のもと、全世界の人々に、主エル・カンターレの出現とその使命を知らせることが求められています。大川隆法総裁先生によれば、地球の歴史上最高の仏陀、最大の救世主が降臨したとされ、世界は浄化されつつあります。
 人類は、エル・カンターレを信じることによって、最終的かつ最高の救いを得ることができるとされています。「我を信じ、集い来よ」——この強くて深いメッセージは、全世界の人々に伝えられるべきだと、大川隆法総裁先生は述べています。そして、彼は私たちの永遠の師とされています。
 

 以上で、ザックリ『太陽の法』解説シリーズを終了致します。私たちは、本書を通じて、私たち自身の信仰や価値観を深く見つめ直す機会を得ることができるでしょう。それぞれの部分から何を感じ、どのような気づきを得るのか、それはそれぞれの心の中にある真実によって異なるはずです。大川隆法総裁先生の深いメッセージに触れ、自身の心と向き合ってみてはいかがでしょうか。

 今回は『太陽の法』第6章12節「我を信じ、集い来よ」より、幸福の科学の始まり、幸福の科学の草創期の発展について、お伝えしていきたいと思います。

1. 幸福の科学の始まり
幸福の科学 大川隆法総裁 講演会

 1987年3月8日、東京の牛込公会堂で開催された第一回の幸福の科学講演会は、大川隆法総裁先生の歴史の中でも特別な一日でした。聴衆は約400人でしたが、その日、大川隆法総裁先生は『幸福の原理』という演題で、幸福の科学の基本となる『愛の原理』、『知の原理』、『反省の原理』、『発展の原理』の四原理をご説明されました。これらの原理は、私たちが幸せな人生を歩むための指針となります。
 幸福の科学の初期の方針として、最初の三年間は学習団体として法の基礎作り、講師の養成、運営方法の確立に専念することが発表されました。この戦略は、その後の大発展への基盤となりました。
 同年4月からは月刊誌の発行が始まり、論文や講演会の内容が会の発展に大きく貢献しました。さらに、研修会やセミナーを通じて質の高い会員が多数輩出され、幸福の科学の職員や講師陣の母体となりました。

2. 講演会の成功と宗教法人認可
幸福の科学 大川隆法総裁 講演会
 大川隆法総裁先生の獅子吼に心を揺さぶられた多くの人々が、講演会に足を運び、毎回その参加者は増加の一途をたどりました。1988年には、日比谷公会堂、1989年には、両国国技館が満杯となり、1990年には千葉・幕張メッセ展示場が毎回満員になりました。そして、第一回講演会から満4年が経った1991年3月7日、幸福の科学は宗教法人として正式に認可され、新たなステップへと進んでいきました。本尊は、釈迦大如来、すなわちエル・カンターレとして尊ばれ、九次元最高大霊であると同時に、高級諸霊を指導する立場の再誕・最尊の仏陀です。
 このようにして、幸福の科学はその始まりから、大川隆法総裁先生の深い洞察と強いリーダーシップのもと、多くの人々の心に影響を与え、成長を遂げてきました。私たちも日々、これらの教えを胸に刻み、より良い人生を目指していきたいですね。

 今回は『太陽の法』第6章11節に基づいて、大川隆法総裁先生の商社時代について、詳しくお話ししたいと思います。皆さんにとって、大川隆法総裁先生の人生の旅は、きっと多くの示唆に富んだものとなるはずです。

1. 大川隆法総裁先生の商社時代:ニューヨークでご活躍
大川隆法 商社時代
   大川隆法総裁先生は、1982年から1983年にかけて、ニューヨーク本社の研修生として派遣されました。この時期は、霊的な使命と現実世界の間での内面的な葛藤があった時期です。大川隆法総裁先生は、ベルリッツの会話学校で英会話を学び、ニューヨーク大学の教授の面接試験を「パーフェクト・イングリッシュ」と評価されるほどの実力を身につけ、国際金融のゼミに参加しました。しかし、心の中では、人間社会的現実と宗教的現実の間に広がる溝を感じていました。

 また、マンハッタンのワールド・トレード・センターの超高層ビルを見上げながら、大川隆法総裁先生は、自己認識と信仰心を深く問い直していました。そして、研修期間を終えた後、ニューヨーク駐在員への昇格の打診を受けますが、これを辞退し、帰国の道を選ばれました。この決断は、商社マンとしては異例の無私無欲の行動であり、宗教家としての一歩を着実に進める選択でありました。

2. 霊言集の刊行と宗教家への道
大川隆法『日蓮の霊言』潮文社 

 帰国後、大川隆法総裁先生は、『日蓮聖人の霊言』、『空海の霊言』、『キリストの霊言』、『天照大神の霊言』、『ソクラテスの霊言』など、次々と霊言集を刊行されました。これらの作品は、当時まだ会社勤務を続けていたため、父のペンネームを使い、大川隆法総裁先生の名は共著として掲載されました。
  そして1986年、イエス・キリストや釈迦などからの霊示を受け、大川隆法総裁先生は、ついに立つべき時が来たと感じ、退社しました。その後、『太陽の法』(旧版)の執筆に取りかかり、続いて『黄金の法』の執筆を行いました。これらの著作は、翌年に出版され、「幸福の科学」の出発の原動力となったのです。