通訳の<位置>といっても社会的地位だとかそんな大きな問題を講じるつもりはない。私がここで書きたいのは通訳するときの席の問題である。
通訳学校の授業で、私はこの1年半ほどの間ずっと、だいたい先生のすぐ近くの前の席に座ってきたが、ここ2回ほどは少し離れた席に座るようにしている。というのは今期から音声がデジタル化されて以来、なぜか音声がぜんぜんうまく聞き取れないからなのだ。
4月当初、最初の授業では、春休み、練習が足りなかったかな、と思っていた。その次の週から、いつもしてきたようにしっかりと準備して授業に臨んでも、なぜか聞こえない!身体を少し傾けて、集中力を自分の限界以上に振り絞るようにして聞いてみると、少し改善がみられた。その状態で発表したとき、先生に言われた言葉が「・・・(少し間)・・・頑張ってくださいよ!」だった。頑張っているつもりなのに、つらい・・・。こう肩の力が入りっぱなしではさすがにつらくなってきて、身体をもとにもどすと、また全くうまく聞こえない。また傾ける。いい加減聞こえなくてうまく訳出できないと、周囲からおそらく愛想を尽かされて、少し私が反応が遅いと、先生が訳を言い始めてしまったり、簡単で短いところしか当ててもらえなくなってきたりして、また自分がそう感じてしまって周囲にコンプレックスを持ってしまうのがもっとつらかった。自然と意欲も下がっていく。
やり方が悪いのだと思って、自分のすべての習慣を否定してしまいたくなり、単語帳を一から作り直してみたり、原稿を読むことに何時間も費やしてみたり、聞いていくテープをすべてディクテーションしたのはいいが、その授業に出られなかったり、遠まわりに思われることをたくさんした。そのうち、単語帳を作るのがいやになってきた。そこで単語を紙にまとめるが、ばらばらするのがいやで結局、まとめたところとまとめていないところのあるノートに戻って、すっきりしない状況で単語帳にまとめたりまとめなかったりしていったい何をやっているのかよくわからなくもなってきていた。形にこだわりすぎる変な意味での完璧主義に陥っていたのだと思う。
つい最近になって、このままではいけないと思った。通訳は本当に実力を磨くしかないのだから、まず、周囲のことは気にしなくてよい。それに席に問題があると少なくとも自分が感じるのなら、そんなことに忍耐力を発揮しなくても席を代わってみればいいじゃないか、と7月末頃になってようやく考えたのだ。席を代わってみると、全然違う!なによりものすごく聞こえるし、気分も良くなって反応もスムーズになる!今までの苦しみはなんだったんだろうか!と思う。
もっと気持ちに柔軟性を持って、この席じゃ私には聞こえにくいからと別の席に座っていれば良かった。そうすれば今期の過ごし方がどれほど違っていただろうか。これを絶対に今後の教訓にしなくてはならない。授業も今期はあと一回。徹底的に準備・練習をして、しっかりと頑張りたいと思う。