1980年代末、平成の話。
大学院に進みましたが、心はまるで漂流しているようでした。
時代はまさにバブル。
後輩たちは金融関係に進んで我が世の春。
自分はというと、アルバイトに明け暮れて勉強は進まず。
というか、何を勉強してよいのやら・・・
幸い、今と違って塾ブームが来ていましたので、仕事はありました。
でも、あることがきっかけで塾が嫌になってしまい、肉体労働に。
現場に向かう車の中でドイツ語の本を読んでいました。
漸く修士論文を出し終わってほっとしたのか、ヴァイオリンを1年ぶりくらいに出して弾きはじめました。その後、博士課程の進学試験に落ちてしまった私は、一人でヴァイオリンを弾いて自分を慰めていました。
そうしたなか、学オケのエキストラの一人からダンスパーティーの伴奏楽団に誘われました。ワルツもサルサもやりましたが、一番多かったのはタンゴ。
世の若者たちはディスコ全盛。
でも、お金持ちのおじさま・おばさまたちはダンパ(懐かしい響き)が盛んでした。
下手なので、もっぱらバッキング。メロの裏で、ンタータ、ンタータラなんてシンコペーションばかり弾いてました。
「ラ・クンパルシータ」
最初に弾いたタンゴのナンバー。
本番ではバッキングばかりでしたが、こっそり練習してました。
オブリガート(裏メロ)とか勝手に作ってましたが、結局弾くチャンスなし。
でも、わずかのお金とは別に自分なりに収穫はありました。それは、ビブラート。上手な人の手元と音を真似して練習しました。
ですから、私のビブラートはまったくの自己流です。レッスンで教わったことはありません。左手の親指の形によってけっこう違う音色になったりします。
「ジェラシー」は、憧れの曲。
これをソロで弾くのが夢でした。
もちろん、叶うはずもなく、私のタンゴ経験は1年足らずで終わります。
それから数十年、元の孤独な自己満足の世界に戻りましたが、震災の年(2011年)になぜかジャズに興味を持ち始めました。
きっかけは、ある美しい女性ヴォーカリスト(MTさん)と出会い。
そして、吉祥寺の旧メグでの初心者セッションの存在。
渋谷のヤマハでジャズヴァイオリンのレッスンまで受けちゃいました(NS先生も美人です)。
以前の記事でも書きましたが、「デビュー」は「枯葉」
この人、表情が可愛らしいですね。
演奏もいいし。
大好きです。
「スターダスト」はセッションで幾度か挑戦しましたが、未だに成功せず。
やはり、ここはグラッペリですね。
テイク2もありますが、テイク1の方がヴァイオリン的で好きです。
漂流するオリンおやじ。
さあ、今日はどこに流れていくのでしょう。