
昨年8月に行った北海道旅行の「成果」を残しておきたかったのですが、大した文章にはなりませんでした。
でもまあ、なんとか原稿は脱稿しました。担当の先生にはご迷惑をおかけしました。
年末年始は塾などの書き入れ時なので、時間と体力の消耗戦。

お世話になった方のご厚意を無駄にはできません。
また今年も北海道に行きたいです。
行った先で今回の論文をお見せできるといいのですが。

それにしても、調査や実証研究はお金と時間がかかります。
自腹はきついですね。
今回大学の紀要に投稿するにあたって、複数の後輩から貴重な話を聞けました。
ひとつは「査読」について。
学術雑誌として、「査読」という制度はその雑誌の学問的価値を測るのに重大な意味を持っています。
掲載前の審査として責任ある(多くの場合複数の)審査員に読んでもらうことを「査読」と言います。
掲載前に専門的な評価を受け、場合によっては修正を指示されたりして、掲載の可否をゆだねる形で投稿することが実は学術論文としては望ましいのです。
関係者ならだれでも掲載・公刊できる紀要雑誌は、私にとってたいへんありがたい存在です。
しかし、それに甘えてはいけません。自己満足になりがちな私は、もっと他人の批判にさらされるべきなのでしょう。
そして、もうひとつは、業績評価の規準について
査読のある専門雑誌でも、それらの間には権威に差があります。
国内で最も権威ある全国学会誌の査読に通って掲載された論文は、1.0点の「点」が付けられます。
それより多少「下位」の雑誌に査読が通って載った場合は、0.5点と言われています。
査読のない紀要論文(私の場合、多くがこれ)に載った場合は、0.1~0.2点にしかなりません。
私の場合、これまで査読(0.5点相当の雑誌)を経て載った論文は2つ。
紀要論文は20本を超えていますので、仮にひとつ0.1として、2.0点。
足しても、わずか3.0点?
(権威ある全国学会誌に載ったことはありますが、書評文なので点数はわかりません。)
或る後輩研究者がいわく。
「1年で1本の紀要論文として、その10年分が全国雑誌の査読論文1つ分と同じですから、査読論文を投稿し続ける方が効率の良いチャレンジでしょうね。」
確かにその通りですね。目からうろこが落ちるとはこのことです。
実は分かりきったことなのですが、自分で自分に目隠しをしてきたのでしょう。
今回投稿した某大学の紀要も、最近になって査読制度を導入したそうです。
それがどのくらいの「点数」になるのかわかりません。
しかし、この査読制度の導入は別の意義もあるような気がします。
「査読」をしたりされたりすることで、否応なく他人の業績に触れ、一定の刺激を与え合う可能性が出てきます。
狭い専門分野の学術論文で、地方大学の紀要に載ったものなど、読む人は稀です。
よく冗談(ていうか自嘲)めかして、「この文章の読者は1.5人」なんて言われます。
つまり、書いた本人と、運が良ければあと1人いるか、いないか・・・。
でも、書かないよりはましです。
アメリカの大学では「Publish or perish」なんて言葉がよく聞かれます。
「論文を書け、さもなくば消えろ」
競争社会アメリカらしい標語(?)ですね。
でも、「自分主義者」の私はこの言葉が好きです。
お金も暇もなく、研究費も研究室もなく、権威も地位もない私ですが、熱意と学位だけはあります。
Not to perish I'll fight!