読み歩き、食べ歩き、一人歩き(238) 江戸と東京 | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

英会話のレッスンで出た宿題・・・
江戸はどうして東京になって、首都になったか?
地理と政治の両面から説明せよ。

これって、完全に大学級のレポート課題ですよね。
しかも、英語で述べよとのことです(^-^;)。

photo:01


江戸が東京に改称されたのは1868年(慶應4年)7月でした。
明治への改元は9月。
2度の東京巡幸を経て、明治天皇が旧江戸城に入ったのは1869年3月でした。
Emperor Meiji was moved from Kyoto to the former shogun's   place of rule, in Edo, renamed Tokyo -- Eastern Capital.

江戸は、徳川幕府開設以来、実質上は政治権力の中心だったのですから、明治維新以後でも「首都」としてすぐに「遷都」が行われたと思っていました。
しかし、事はそんなに簡単な話ではなかったようです。

徳川家康は、(後)北条氏が秀吉に屈服した後、江戸を与えられます。
太田道灌が開発したとはいえ、隅田川周辺はまだ寒村でした。
幕府開設後、江戸は急速に都市化が進みます。
文化・文政の時代になると、文化の中心にすらなってきます。

江=Water side, river, inlet, etc.
戸=door, entrance
南の江戸湾(東京湾)は大きな半島に囲まれて深く入り込んでいます。
北は山地と段丘が囲んでいます。
おそらく、家康からすれば、防衛に都合よい地形だったのでは?

しかし、幕末にいたって、京都を中心に国を二分する政争が繰り広げられます。
将軍慶喜の大政奉還も京都で奏上しました。
上野戦争を経て、戊辰戦争が東日本で起こっているなか、帝都をどこにするか新政府内部で論争が起きます。
江戸城開城の前には、大久保利通などは一時「大阪遷都」を言います。
日本が「東西分裂」状態になる可能性もあったわけです。

結局、江戸時代から実質上の首都だった東京に天皇をお移しし、内外の認知を受けなければいけないという結論に達したようです。
しかし、京都の市民の気持ちはおさまらないでしょう。
政府は、一度も正式の「遷都」宣言をしないまま、明治天皇の旧江戸城入場と太政官府の東京移動を行います。
形としては、天皇は東京へと「長い行幸」に出ていらっしゃる。日本の「みやこ」は、京都と東京という形で、東西に2つあるのだ。・・・京都市民に対する意味付けとしてはこんなところでしょうか。

普通、都が変わることを遷都といますが、「奠都(てんと)」という言葉もあるそうです。

「奠(てん)」には、「(神などを)まつる」「(神前に)そなえる」「おく」「さだめる」という意味があります。
戦前には、東京「遷都」という言葉を避けて東京「奠都」という表現をする文献もあるようです。
日本的な政治配慮でしょうかね。

英語で維新について解説したVideoがありました。



東京都は、学校の副読本として、『江戸から東京へ』を公刊しています。
東京都教育員会のサイト
教科書のダウンロードができますが、かなり大きなPDFファイルですのご注意を。
ファイルは保護されていて、表示はできますが、編集と印刷はできません。

江戸から東京へ・・・
そんなに変わっているんでしょうか。
中央権力はともかくとして、日本社会の仕組み(system)は、明治維新をはさんでもそれほど変わっていないという意見もあります。

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江戸の文化って大好きです。
今の東京もいいですけどね。