社会科学基礎論研究会の今年第一回目の定例研究会でした。
大正大学は地下鉄三田線・西巣鴨駅からごく近いところにあります。
主催のH先生のご都合で、長い間中断していたのが、昨年復活し、私にも案内が届くようになりました。
今日は、H先生の復活講演がありました。
この研究会は、もうはるか昔(10年前?)、ニクラス・ルーマンの自主的な研究サークルとのつながりで知りました。
主催者だったH先生の関係で、現象学的な立場に立った研究報告が多いです。
H先生のお話は、例によってアルフレート・シュッツの新解釈についてでした(難しい(*-*;))。
そんな難しい話をブログ用に書くなんて芸当(ウルトラC?D?E?)はとても不可能ですので、もう一人の報告について。
一人お弟子さんの報告もあって、こちらの方はまだ未完成ながら、面白い視点がありました。
それは、近頃はやりの「個人化」について。
近代社会は個人の自由と平等を目指してきました。
しかし、それはむしろ社会があってこそです。
個人が社会を構成し、社会が個人に影響する・・・これが個人と社会の関係でした。
「でした」というか本来そうなんですが、現代社会では、社会の規範とかルールとか常識とかから個人が極端に自由になっています。
個人と社会の結びつきが極端に薄くなり、互いに「切れている」ような状態が生まれつつあります。
個人は様々な事柄(職業も家族も国籍も)を「選ぶ」ことができます。
社会は社会で、まるで機械のように「それ自体」で存在し動いています。
こうした事態をウルリヒ・ベックは「個人化」と言います。
ただ、今回の報告者はむしろスコット・ラッシュという社会学者の「情報性」というアイデアに注目しています。
現代社会では、「社会の原理」が「情報の原理」に置き換わりつつあるそうです。
「社会の原理」とは、社会が長期的に規範によって維持されることです。身近な人々との長期的な連帯です。
それに対して、「情報の原理」または「情報性」とは、遠隔または隔離された人々の短期的な結びつきです。
普通に考えれば遠隔・短期の関係で社会が成り立つとは思えないのですが、ITや社会制度が発達した現代は、可能です。
むしろ、人々の関係はますます「情報性」を帯びてきています。
ただ、ラッシュの議論によれば、そうした「互いに離れた個人」にも主体性はあるようです。
現代の「情報社会」では、人々は情報の単なる「受け手」ではなく、ソフトウエアの「ユーザ」に似ています。
自分または自分たちでネトゲのルールを変えるような、またソフトをカスタマイズするようなイメージです。
でも、社会はどこまで「カスタマイズ」できるんでしょうか。
フロアからは、「それって、結局、近代化そのものではないの?どこが新しいの?」という声も聞かれました。
私はエミール・デュルケムの「アノミー」との関係を質問しました。
いまや、古典的なアノミー論が適用しにくい時代になってしまったのかもしれません。
その後、いつものように(?)近くの中華料理店で「打ち上げ」へ。
話も盛り上がって、新しい知り合いもできて、大変有意義でした。
久しぶりに日本酒を飲みすぎました。
でも、ちゃんと帰ってきましたよ。(頭が痛い・・・)
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