(『中央公論』2012年5月号、148-151頁)
橋爪さんは我々の世代より少し先輩で「憧れの人」でもあります。
ただ、彼の「言語派社会学」については未だによく分かりません。
橋爪さんは、吉本さんの遺業を6つの分野または主要作に分けて簡潔にまとめたあと、マルクスまたはマルクス主義に対する対決という面からその意義を述べます。
「マルクス主義は、・・・包括的で合理的な知の体系と信じられていた。・・・吉本氏は専門的な訓練を受けた科学者だったから、合理的な知の体系が思考を統御することをよく理解していた。それを逃れるには、知の体系を内側から破砕する以外にない。」(150頁)
反ソ反スタのマルクス主義者たちはマルクスに内在してソ連や日共を批判しようとしました。(「原マルクス」「真マルクス」?)「内側」といっても、吉本さんのスタンスは違いました。橋爪さんの言い方では「マルクスよりも以前にずらした」論拠から出発します。「言語」「権力」「幻想」・・・吉本さんは(マルクスもそうであったように)「文学的感性と科学的精神を兼ね備えた知性」のゆえに、マルクスから自由になれたのです。
橋爪さんは、吉本さんを「無教会派の祭司」になぞらえます。
橋爪さんは、さらに、意外にもホッブズを引きながら吉本さんの「無教会」ぶりを説明してくれます。
ホッブズは「普遍的教会」を否定し、地上の権力を肯定します。
冷戦時代、マルクス主義は、まるでキリスト教のカトリック教会のように絶対の権威または真理として自己主張しました。吉本さんは「普遍的教会」のドグマに抗して「ふつうの人々の人間性」を守ろうとしました。
吉本さんはそうした「人間性」について科学的な探究を求めました。しかし、それは未完成に終わりました。また、内部に葛藤(橋爪さんによれば両義性)を抱えています。それは、市場と国家の葛藤です。
橋爪さんによれば、ホッブズは、自然状態は良くない状態なので権力を要請しました。
吉本さんは、権力のない状態が自然状態で、それは良い状態です。
しかし、現代の自由主義にとって、市場と国家は不可分に結びついています。
そうした認識から、橋爪さんは吉本さんに一種の葛藤を感じ取っています。
私も、吉本さんの内にまさに一種の自然状態に対する希求があり、テクノロジーに対する態度にそれが表れていると思います。技術者だったことがその背景にあるのかもしれません。(原発を含む)テクノロジーは権力から自由になれるのでしょうか。
橋爪さんは、将来(今の高校生や小学生?)の吉本隆明評価を待つと言いますが、待つ必要はないでしょう。
橋爪さん一流の謙遜かな。彼の吉本論を詳しく知りたくなりました。
(そして、テクノロジーと文学の関係も…。三木清は、どう言ってたっけ(^_^;)。)
南浦和の駅前。紫のチューリップ? 花々が美しいo(^▽^)o
過去の記事
吉本隆明さん追悼、そして原発について
市民と科学(科学リテラシー)
- 永遠の吉本隆明 (新書y)/橋爪 大三郎

- ¥756
- Amazon.co.jp



