フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)です。
彼女は、かなりの長命でした。
(ウィキペディアより)
フローラ(花の精、ナイチンゲールの愛称)は、徹底して目標を完遂する情熱的な運動家であると同時に、冷徹な戦略家でもありました。綺麗なバラには刺があるのです。
そして、何より彼女は「統計学者」でした。アドルフ・ケトレーに私淑し、国際統計学会の立ち上げに貢献しました。
フローラは、家族がイタリア旅行中滞在していたフィレンツェで生まれたことからつけられた名前です。
一家はイギリスでも有数の大富豪でした。
しかし、フローラは華やかな社交から離れて、貧しい人々の暮らしに思いを馳せる少女でした。また、子供時代から数字と記録が好きで、物事を論理的に整理することに長けていました。
伝えられるところでは、17歳のときに神の召命を感じ、24歳で本格的に看護師として働く決意をします。
当時の看護師(看護婦)も病院も、現在とはかなり感じが違っていました。看護などは「身持ちの悪い」女性がしかたなくやる仕事だと思われ、病院も通常の病人だけでなく家のない貧困者や犯罪者すら寄宿する場所でした。
イギリスがロシアとの間で始めたクリミア戦争に看護師として赴きました。基本的に自費での旅行です。
陸軍のスクタリ病院で見た兵士の衛生環境は悲惨でした。戦闘よりも疾病で死ぬ兵士の方がはるかに多く、入院している兵士は大半が負傷者ではなく病人か栄養失調者でした。
彼女は改善策を本国に提案すると同時に、自らの私費で備品などを調えました。昼夜を分かたず看護に努めました。
帰国後も、フローラは陸軍の衛生体制の改善を女王に進言しました。
クリミヤでの無理がたたって看護の現場に立つことが困難になりましたが、彼女は恋人(?)シドニー・ハーバート大臣の「けつを叩き」、上流社会に対する自らの影響力全てを使って、国民衛生と統計の整備に努めました。ハーバートは若くして死にますが、彼女が与えた激務のせいだという噂まで立ちました。
その後、看護学校を創設し、看護学と看護教育の普及に努めました。
今と違ってコンピュータはもちろんなく、統計数学も未整備な時代でしたが、ナイチンゲールのデータ整理とプレゼンテーションは、今日でも貴重な示唆を与えてくれます。それは、実用的なのです。
もう10年くらい前に「ナイチンゲールの思想と統計学」と題した小論をある看護学校の紀要に載せたことがあります。紀要そのものはもう手に入らないのですが、骨子は以下のHPに保存してあります。
http://www7.ocn.ne.jp/~ooguro/nightingale.htm
そこで引用したナイチンゲール作成のグラフです。
視覚に訴える方法を様々に工夫しています。
いかに「過密」な環境なのか。
<陸軍主計長官の野営計画のデータより作成した人口密度とイースト・ロンドンの人口密度との比較>
[多尾 2001:58-59]
多尾による解説の訳:「・・・各六角形の中の1個の・点は、1人の人間を示し、六角形は1人の人間が占有できる面積を、また、線は人と人との距離を示している。点の数は人口密度を表している。
主計長官の計画で密度が低いものでも首都ロンドン(一番右側の図)の面積の1/20、ロンドンで最も稠密な地域、すなわちイースト・ロンドンと比べると1/2である。さらに、野営陣地のテント占有面積(中央の図)に対する人口はロンドンの50倍以上も密集している。このことで、野営陣地の過密状態が健康に与える影響がいかに重大であるか分かるだろう。都市における疾病率と死亡率は、人口密度の影響力に大きく係わってくる。換気孔のないテントやバラック兵舎、さらにこのような極端な過密状態の陣地では、病気を蔓延させることを疑う余地がない。・・・」
多尾清子さんの『統計学者としてのナイチンゲール』は、慣れない統計分野の論文を書くきっかけを与えてくれた本です。
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その学校ではナイチンゲールの『看護覚書』をまさに聖書のように大切に学んでいました。
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「白衣の天使」とはまた違ったナイチンゲールがいたんですね。
彼女も、真に尊敬に値する女性です。
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