30回目を記念(?)して、思い出話を少々。
ヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏に出会った最初は、コンサートでもレコードでもありません。それは、「映画」でした。中学生のころです。
公立の中学校のくせに音楽学校なみに厳しい授業をするY先生は、器楽合奏部の顧問を務めていました。よりによって、私はその部に入ってしまいました。母親の意向だったように記憶しています。
男どもの入部動機は単純です。女子が多いのと、練習が楽そうなのと。
実際、部員は圧倒的多数が女子。ほぼ全員がアコーディオンパート。
この中学の「器楽合奏」は、弦楽器の代わりにアコーディオンを使うちょっと変わったオーケストラなのです。
男子は、ほとんどが管楽器か打楽器にまわされます。
女子と男子は、互いに全く別の世界に生きているかのようでした。
ほぼ全員がピアノ経験者であるアコーディオンパートの技術水準はとても高く、練習も厳しいものでした。
それに比べて、男子はまったくのんびりしたものです。ほとんどの曲はアコーディオンが活躍し、管と打は、ときどき「プワーン」だか「ズドーン」だかやってればよかった。
ただ、そのせいかどうかわかりませんが、入ってくる男子は意外に「ガリ勉」タイプの秀才が多かったという記憶があります。
秀才でもガリ勉でもない私は、音楽が好きで入りました。その頃の私と友人Sは、いっぱしの音楽学生を気取り、理想に燃えていました。ただ、Sには優れた才能があったのに対して、私の方は「下手の横好き」にすぎませんでした。
当時、ヴァイオリンを習っていた私は、この楽団には違和感がありました。自分は何を弾けばいいのか。バリトンユーフォ、メロフォン、フルート、クラリネット、シンバル、トロンボーンなど、一通り練習させらされました。男子は人数が少ないので、曲のなかで必要があれば管も打も複数担当させられます。ただ、フルートはなかなか音が出ず、クラリネットは最後まで「リードミス」が直らず、挫折しました。
結局、弦バス(コントラバス)に落ち着きました。さぞ暇なパートだろうと思ったら、甘かった。ろくに聞こえないような音量なのに、やたら動きが速い曲ばかり。
オッフェンバックのオペレッタ『天国と地獄』序曲。
ベースがやたら動く曲で、ソロ楽器のバックも務めねばなりませんでした。
私たちの楽団では、前半のヴァイオリンのソロの部分はアコーディオンのソロで代用されました。腕の面で弾けもしないくせに、複雑な思いで聴いていました。
それにしても、ヴァイオリンに比べてベースはやはり「地味」でした。そのうちに、私は次第に指揮に興味が湧いてきました。
我が中学校には合唱部がありませんでした。理由は簡単で、器楽合奏部がそのまま合唱団にもなるからです。つまり、私たちは「なんでも屋」だったのです。ただ、ひどく「男声」が手薄でしたけど。
私が初めて指揮というものをやらされたのは、部員たちが校歌の合唱を担当したときのことでした。Y先生は、何が気に入ったのか、それ以後も私に度々指揮を任せてくれました。
そうしたなかで、私はカラヤンに出会いました。
カラヤンは、当時としては画期的な「コンサート・ムーヴィー」という分野を開拓し、日本にも配信を始めていました。
先生に見て来いと言われて「映画」を見ました。
「帝王」と言われるこの大指揮者の姿は、最高にかっこよかったです。
彼のバトンテクニックは独特でした。目をつぶったままであることも印象的でした。胸の前で交差させる動作に見られように、拍を明確に打つよりは流れをイメージさせる方法をとっています。
無骨で打楽器を打つようなスタイルのY先生とは対照的でした。(先生、ごめんなさい。)
それから、すっかり私は指揮の魅力と快感にとりつかれました。ただ、指揮はメトロノームの代用ではないし、単なる号令係でもありません。指揮もやはり「演奏」なのです。ただ、それは自前の楽器を持たない演奏です。そこでの「楽器」は、人間たちなのです。
今は亡きカラヤンに対する証言集を見つけました。
中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』
音楽家どうしも、いろいろあるのですね。
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