ドイツ人の禅僧ネルケ無方さんの本を見つけました。それと、少し古いけど、鈴木大拙に関するユニークな研究書も。
ネルケさんの本は、面白くて高速バスのなかで読了しました。
- 迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)/ネルケ 無方
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ネルケさんの主張を勝手にまとめると、「修行そのものが悟り」であり、迷っている姿そのものが仏なのです。ただ、それは「自分を無にする」ということが条件になります。はたから見るとナンセンスで人権を無視したような「修行生活」も、そうした自分を捨て去るための便法ではないでしょうか。
それにても、ネルケさんが求めていた「本当の仏教」は日本にあったのでしょうか。おそらく、それはどこかにあるのではなくて、自分自身が仏教そのものになればいいのかもしれません。だとすれば、まさに禅宗らしい考え方です。
前半から続く筆者の半生(ホームレス座禅など)も面白いですが、最終章の「大人の修行」が私としては一番興味深かったです。それは、一種の日欧人間比較にもなっています。トマト型(依存型?)・キュウリ型(自立型?)・かぼちゃ型(自己中心型?)なんて分類もドイツ人らしくて面白いです。
結局、ネルケさんの修行方法論は、かなり合理的な臭いがします。彼は「居眠り」を敵視し、「自己管理能力」のなさを問題にするのですが、これが日蓮宗や浄土真宗あたりだったらどうなのかなあ。
私は、居眠りも女性に迷うことも(あくまで一般論ですよ、一般論)それ自体仏の姿だと思うようにしてます。一種、「破戒」活動ですね。
いわきのホテルで鈴木大拙論(星川啓慈『悟りの現象学』、法蔵館、1992年)を読みかけました。けど、今日は挫折[(^-^;)]。最初の方のジェームスとシュッツの「多元的リアリティ」や「レリヴァンス」の説明は分かりやすかったです。授業でも使えそう。
でも、ネルケさんはすごい。これほど日本語に堪能で漢文すら理解できるなんて尊敬します。逆に、私のドイツ語の貧しいことったら(;_;)。
いつかは、日本仏教の「機能分類」なんてやってみたいですね。宗教学や仏教学の先生方から袋叩きにあいそうですが、それも面白いかも。なんてMなんでしょうか。