読み歩き、食べ歩き、一人歩き(18)書くために読む | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

今日はいつものコロラド南浦和店で、読み散らしてます。

この季節になると必ず頼むのが「抹茶シャーベット」

グラスに入った抹茶のシャーベットの上にバニラアイスが浮かんでいて、底に小倉が沈んでいます。かなり冷たいですし、おいしいです。

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つらつら考えるに、私は何のために本なぞを読むのか。それは、自分の文章を、つまり専門論文を書くためではないか!いやはやこの数箇月、サボりにサボってきました。確かに、震災などいろいろありました。しかし、お前の本業は「書くこと」だろうが!自分に喝を入れて、次回何を書くか、考えて準備しないと。


しかし、今日のところは、最近買った本を読み散らしておきます。


小田裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)は、タイムリーな本です。筆者は京都大学の原子炉実験所の助教(かつては助手と呼ばれていました)。福島の現状については、本書の刊行当時よりも深刻になってきたのかもしれません。それにしても、東電と政府の情報隠蔽には呆れる限りです。放射性物質も放射線も目に見えません。その実態(実体)は、テクニカルな数字の向こうにぼんやりとうかがえるだけです。「ただちに健康に影響なし」という「官僚言説」は、要注意です。「ただちには・・・なし」とは、「後であるかもしれないけど、わからないから言わない」という意味になります。「急性障害」はないけど、「確率的」なリスクはあるはずです。ただ、当局にその確率が出せないのです。

もう一冊は、吉見俊哉、テッサ・モーリス・スズキ『天皇とアメリカ』(集英社新書)です。これは昨年出た本ですが、買ってからしばらく放置していました。帯び(表紙に付ける販売用のおまけ)に、「天皇は近代でありアメリカは宗教である」とありました。本書は、20世紀の日米論でもあります。戦前の国家神道に特化した天皇論ではなく、近代日本の総合的な評価という文脈で天皇を論じることは、そろそろ必要ではないでしょうか。

一方、アメリカにとっての天皇とは何だったのか、また今は何なのか。その鍵は、宗教にあります。各国の「近代」の個性は、宗教性をいかにして取り込んでいるかによって違ってきます。<アメリカと天皇>、その関係を解明する鍵は、おそらく(私の感触では)「市民宗教(civil religion)」にあります。

今年初めてホタルを見ました。近くの里山の木々が半分伐採されてしまいました。宅地造成なのかな?それで、ホタルは諦めていたのですが、乏しい水流のあちこちに光るものが見えました。ホタルも頑張っている。私も生きている限り、駄文を創造していきましょう。

京都で遊びすぎたので、本日は反省の巻でした。