星をめぐるニーチェの3
孤独を愛するという見かけの相貌とは対照的に、ニーチェは友を求める人だったように思われる。彼は「隣人」と「友人」を、また「愛」と「友情」を頻繁に対照させる。それは、あたかもキリスト教の「隣人愛」を拒否する身振りに見える。
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3)隣人
隣人が近くにいるのは気に食わない:
高くて遠いところにいてほしいものだ!
さもなくば、どうして彼が私の星になれるだろうか。
「喜ばしき知識」<戯れと悪知恵と意趣返し>ドイツ語の韻を踏む序曲、30番
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4)孤独者
指導したりされたりするのは嫌いだよ。
服従しろって? まっぴらだね。でも、支配するのもいやなんだ。
自分を怖がらないような者は、誰も怖がらせるなんてできない。
それに、恐怖を与える者しか他人を指導できないんだ。
自分を指導することが、もうすでに僕はぞっとするんだよ。
僕が好きなのはね、森や海の獣たちのように、
ほんのしばらく自分を忘れること、
愛しい惑いのなかで、あれこれ悩んでうずくまること、
ついには、遠くから自分を故郷に誘うように、
自分を自分自身へと誘惑することさ。
「喜ばしき知識」<戯れと悪知恵と意趣返し>ドイツ語の韻を踏む序曲、33番
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5)ミストラール(北西風)に寄せて:ひとつの舞踏歌
ミストラールよ、君よ北西の風よ、君は雲を狩り、
憂鬱を滅ぼし、天を清らかにし、
ごうごうと吼えたてる。僕はどれほど君を愛していることか。
僕ら二人は永遠に、同じ一つの枝、一人の儲け子、定められたひとつの運命ではないのか。
(中略)
僕らでこんな者どもは追い払おうじゃないか、空を濁らせる者、世界を暗くする者、雲を押しつける者を。僕らは天国を明るくするのだ。僕らはいっしょにごうごうと吼える。---ああ、どんな自由な精神よりも自由な精神よ。君といっしょに僕の幸運が嵐のようにとどろくのだ。
そして、この幸いの記憶が永遠になるように、その記憶の贈り物を受け取ってほしい、ここにある花輪を受け取りたまえ。高く遠くはるかにそれを投げ上げて、天の梯子を駆け上り、星々にまで花輪をかけたまえ。
「喜ばしき知識」<プリンツェン・フォーゲルフライの歌>、最終曲。
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星はニーチェにとって良き友人の象徴であるように見える。愛は実は欲望の異名であり、支配の異名であるという調子がニーチェの文言のあちこちに出てくる。では、友情は? 次回で、もう少し読み進んでみよう。