「左翼活動家」永田洋子(1) | 中島旻保の大人の絵日記

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中島旻保の大人の絵日記-「左翼活動家」永田洋子(1)_1110


全学連時代

 1971~72年「連合赤軍事件」で日本中を震撼させた元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚が東京・小菅の東京拘置所で多臓器不全のため65歳の生涯を終えた。永田洋子といえば「連合赤軍」では鬼畜と恐れられた女性である。
 
群馬県の榛名山や妙義山などで12人の同志を「総括」と称して殺害した「山岳アジト事件」で逮捕された。当時27歳であった。それから38年と長く拘置所で過ごし、1993年から死刑囚として生きた。
永田は薬科大学時代に共産主義者同盟マルクス・レーニン主義に心酔し、全学連の社学同ML派に参加し、その後「警鐘」、革命左派(京浜安保共闘)、連合赤軍と渡り歩いた。
最後には連合赤軍ではナンバー2となった。
 
永田が属していたセクトはフエミニズム(男女同権主義)を活動のひとつの柱としていた。
そのため指導者として権威を維持するために権力をもつ男が必要であった。
ナンバー1の森恒夫同様に共産主義社会を作り上げるためには、革命戦士による共産主義化が絶対命令であるという思いが戦士を叱咤した。
以後イデオローグとして進んだが、性格が自己顕示欲が強く、感情的で嫉妬心や猜疑心を持ったことで、女性特有の底意地悪さや冷酷さに執拗さが加わって、山岳アジトでの12人の同志殺しに繋がっていったようだ。
参考文献:産経新聞 産経ニュース より


Dr.中島の四方山日記(1110)