診療所の患者さんへお知らせです。
院長がブログで自身の病気について書いているので、既にご存知の方もおられるかもしれませんが、私のブログでも病人の家族の立場から、ご説明させて頂こうと思います。
ずっと通院されている患者さんには本当にご心配をおかけしました
院長の診察予約を取ろうとしても取れない、電話をかけたら「院長は事情によりしばらくの間お休みです」とだけ言われ、「どうしたんだろう?何があったんだろう?」と心配されていた方も多かったと思います。
院長の代診として私が院長の患者さんを診察させていただいて1年が経ちました。
「院長、どうされたんですか?大丈夫ですか?何があったんですか?」と尋ねてこられた患者さんには真実を包み隠さずお伝えしてきたのですが、聞きたいけれど聞けない、聞いたら悪いだろう・・・と変に遠慮されていた患者さんもおられたはず。
ホームページを見ても、私のブログを見ても、何も書いてないし、実際、どうなってるんだろう・・・?と心配されていた患者さんも多いです。
隠すつもりはなかったのですが、わざわざ「あのね、実は・・・」と話すことでもないし、タイミングを逃すと、どんどん言いにくくなってしまい、とうとう1年が経ってしまいました
病気になって初めて患者さんの気持ちが分かりました。
病気の事って人に言いにくいですね。
出来れば知られたくない・・・みたいな。
病気のことを知った人も、重大な秘密を知らされたかのように、黙って誰にも話さず「守秘義務」を貫いて下さいました。
プレッシャーかけてごめんなさい
「なんか、病気のこと隠してコソコソ生きてるのもなぁ。1年経ったら、俺、公表するわ。」
と院長が言っていたのですが、その通り、カミングアウトしました。
院長は自分の病気の経過についてブログで書いていますが、私は病人の立場ではなく、病人の家族の立場で、その時何が起こっていたのか、周りの人間はどうだったのかについて、書き記したいと思います。
記憶が色あせないうちに。
大切な記録として保存したいと思います。
現在、病気を抱えておられる方やご家族の方のお役に立てれば幸いです。
忘れもしない2019年9月14日(土)。
今でも昨日のことのように覚えています。
朝8時過ぎ、いつものようにバタバタと身支度をしていました。
トイレから出て来た主人(院長)が
「俺、なんか変じゃない?ろれつが回ってないねんけど。」
と尋ねてきました。
私は主人が話すのを聞いて、いつもと何も変わりないと感じました。
「え?そんなことないで。普通にしゃべってるけど・・・」
と答えました。
それよりも9時から始まる外来に、もたもたしてると間に合わないので時間のことが気になりました。
「いや、これ、なんかおかしいで。かんちゃんに電話する。」
と言って大学の同級生で脳神経内科の専門の医師に電話。
今から受診した方がいいと言われ、脳神経外科の後輩の居る医療センターに連絡を取ってくれました。
「俺、ちょっと行ってくるわ。俺の患者さん、みのり先生でもいいって言う人は診といて。俺じゃないとアカンって言う人は帰ってきてから診るから待ってもらってもいいけど、何時になるか分からんから、別の日に予約取り直してもらった方がいいかもしれん。」
と言われ、私は診察室に入りました。
職員にも伝え、受診するためにタクシーを手配しようとしていた矢先、麻痺が起こり倒れたようです。
その時、既に私は外来診療を始めていました。
土曜日の午前は予約がパンパンで非常に混み合います。
その日も大勢の患者さんが待合室におられました。
そんな中、院長はストレッチャーに乗せられ救急車で搬送されました。
私は診察中なので院長が救急車で運ばれたことを知りませんでした。
診察に入って来た患者さんが
「先生、院長先生どうされたんですか?救急車で運ばれたんですけど・・・。何があったんですか?院長先生に何かあったらどうしよう・・・。」
とパニックになって泣き出す始末・・・。
院長が倒れて救急車で運ばれたことを知らなかった私の方がショックだったのですが、患者さんが騒いでくれたおかげで、ある意味、救われました。
「えーっと・・・泣きたいのは私の方なんだけど(苦笑)私、救急車で搬送されたのも知らなくて、今、あなたから聞いて知りました・・・。」
と答えると患者さんがハッとして
「すっ、すみません!!取り乱してしまって・・・。」
と落ちつかれましたが、自分が騒いだり泣いたり出来ない分、患者さんが泣いてくれたおかげで自分自身は冷静でいられました。
ありがとうございます。
そのあとも必死で診察しました。
土曜日の午前中は予約がパンパンな上に、院長の患者さんも診察しなければならなくなったため、本当にバタバタでした。
待ち時間もかなり発生してしまったと記憶しています。
それでも午後1時には診察を終えることが出来、30分だけ休憩を取ることができました。
お昼ご飯をかきこんで、すぐに徳島県のホウエツ病院、林院長にFBのメッセージで連絡。
なぜなら翌日の日曜日から家族4人で先生のお宅にお邪魔することになっていたからです。
ホウエツ病院については以前、ブログでも記事にしました
先生はすぐに返信をくださり、そのあとも心配をされて、何度も連絡をくださいました。
救急が専門の先生だったので、病気についても色々と教えていただき、何よりも医師としてとても心強かったです。
本当に感謝です。
「先生が倒れたらあとがないので、無理しないで。」
と気遣っていただきました。
ゆっくり休む時間もないまま、当然、搬送された主人がどうなったのかも分からないまま午後1時半から午後診スタート。
午後も予約がパンパン。
忙しかったです。
土曜日は平日の倍の人数の患者さんが来られるため、本当に忙しいんです
午前・午後と1日外来診療をやったあとは、いつも体がクタクタになりますが、とても充実感がある瞬間でもある。
今日も遠くからたくさんの患者さんが来てくれて、喜んで帰って行かれたなぁと嬉しい気持ちで一日を終える。
ハードだけれど私にとっても仕事で幸せになれる曜日でもあります。
仕事があって良かった。
たくさん患者さんが来てくれて良かった。
でないと私、取り乱して冷静で居られなかったと思います。
仕事があったからこそ自分を保つことが出来た。
仕事に支えられた1日でした。
診療が終わって、夜になって初めて主人が入院している病院へ子供たちと一緒に行くことが出来ました。
主人はCCUに入っていました。
倒れた・・・とは言え、一度も意識は無くしてないとのこと。
運動麻痺で立っていられなくなり転倒したそうで、救急車で運ばれる時も、運ばれてからも、ずっと意識はしっかりしており、何が起こっているのか全て分かっていました。
ただ右半身が自分の意思で動きません。
寝返りも打てず、ろれつがちょっと回りにくく、言語が不明瞭でした。
救急車で運ばれたと聞いたときは、私は死を覚悟していたので「命が助かって良かった」と心の底から思いました。
ただただホッとしました。
なぜなら主人の父親が大学5年生の時にくも膜下出血で倒れて亡くなったからです。
「脳卒中家系だから自分も長く生きられない」と主人はよく言っていたので、日頃から食べものをはじめとして健康には気を付けてきましたし、ある程度、覚悟もしていたのですが、それにしても40代で脳卒中って、ちょっと早すぎるやろ・・・って思いましたね。
でも気付いたのが早かったのと、搬送先の先生が待ち構えていて下さったのもあり、手術もせず保存治療ですみました。
不幸中の幸いだったと思います。
主人はたくさんの管につながれて、寝返りすらできない状態でした。
右半身は全く動かない。
だらーんとして麻痺しているのが分かる。
どこまで機能が保たれているのか
これから改善していくのか
全く分からず。
診療が終わって慌てて病院に駆けつけたので食事をするのも忘れていました。
看護師さんたちの処置の間、退室しなければならなかったので、病院内のカフェで夕食を取り、夜10時頃まで病院にいました。
主治医の先生からの説明を聞いて自宅に戻り、就寝したのは深夜1時半を過ぎていました。
娘が下宿から戻ってきていたのもラッキーでした。
家族4人揃って同じ寝室で寝る習慣があったのですが、息子が自分の部屋で寝ると言って出て行き、娘は大学に入学してから下宿住まいになり出て行き、夫婦2人と犬一匹の寂しい寝室になっていたのですが、娘が帰ってきてくれたおかげで一緒に寝る人が居て救われました。
長くなりそうなので今日はこのへんで・・・。
まだまだ続きます。
痔や便秘の話とは全く関係がありませんので、興味の無い方はスルーして下さい。
脳卒中の方や、その方を支えるご家族のお役に立てれば幸いです。
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