やっと・・・春が来ました | みのり先生の診察室

みのり先生の診察室

5万人以上の「オシリ」を診察してきた
肛門科専門医の女医がつづる
お尻で悩める人へのメッセージ

診療所の患者さんへのお知らせ?
ご報告?ですえへへ…


愚息が大学に合格しました☆

 

すいている外来の時に
おなじみの患者さんと
雑談をすることがあるのですが、

 

その時に同年代の患者さんと
子育ての話で盛り上がることも多く

 

あるある!
分かる分かる!

 

と盛り上がることもしばしば汗


特に受験期は親の方も
色々と悩みがあるわけで・・・
(自分が受験するわけじゃないけど)

 

色々な患者さんから
どれだけ励まされたり
救ってもらったか・・・

 

本当にありがとうございました土下座

 

我が息子。

 

進学校に通っていたものの
中学受験が終わってから
サッカーばっかりして
 

全く勉強せず、塾にも通わず

 

制服も校則もない
ゆる〜い学校だったので

 

6年間、誰よりも
本当に楽しい学生生活を送りましたん~・・・。


親が朝起きないから
遅刻回数は学校始まって以来の
大記録を更新!
 

(この記録は下の学年の生徒に
破られたそうです)

 

三者面談の時に
生徒指導部の先生に呼び出され
校長室でしこたま叱られて
親子うなだれて家に帰ったことも・・・フラフラ・・・


それ以来
三者面談は祖母が出席。

 

親は全く顔を出さず
 

本当に子供曰く

「放置プレー」

でした笑


周りの友人からは

 

「佐々木、え〜な〜。
親がうるさくなくて。
うち、母さん、むっちゃコワイ!
親、勉強にうるさい。」

 

と羨ましがられていたそうです苦笑い

 

でも息子は

 

「お前ら、放置されることが
どれだけ厳しい環境か分かるか?
 

全部、自己責任や。
 

親は当てにならんから
全部、自分でやらなあかんし、
 

構ってくれるだけでも
ありがたいと思え。」

 

って言っていたそうです汗


高校3年になっても

 

「医者にはならん。
医学部には行かん。」

 

と言っていた息子。


「医学部を受験するかどうかで
受験の厳しさが
全然違ったものになる。

 

医学部でさえ無ければ
普通に勉強すれば
そこそこの大学に行けるから。

 

そこまでしんどい思いをしてまで
医学部に行きたいかって言われると
決心がつかない。

 

自分に向いているかどうかも
分からない。

 

だから
安易な気持ちでは受験出来ない。」


と正直な気持ちを話してくれました。


だから
私たちも本人の意思に
任せることにしたんです。


ところが

高3の秋になってから
やっぱり医学部を受けると・・・

 

えーっ!ムンクの叫び 紫
間に合うのか?!

全然、勉強してないのに・・・>w<


授業中もろくに
授業を聞いてなかったため
白紙の単元がたくさんあるとのこと・・・ハァ


まじか?!うひゃあー

 

1時限目から寝始めて
起きたら5時限目ということも
あった息子・・・


なんやそれ?!
昼休みに誰か起こしてくれへんの?


あまりにも気持ちよさそうに
爆睡してたから
起こすのも悪いと思って
放置されたようです。


 

そんな学校生活だったため
 

本当に・・・
 

悲惨な状況での浪人生活が
スタートしました。ガーン


1年浪人したら
どっかには行けるやろ

 

と安易に考えていたようです。
(私たちもそうでした)


でも・・・

スタート地点が低すぎたため
成績は劇的に伸びましたが

 

まさかの不合格・・・

 

さすがにショックでした。
結構、成績もそれなりに届いてたので・・・


2浪目は予備校をやめて
家で勉強しました。

 

高校の卒業生の先輩がやっている
個別塾に時々行って勉強させてもらい
出来てない部分の穴埋めをしました。


息子曰く

 

「予備校で講義を受けることは
本当の勉強じゃない。
自分でどれだけやったかだけが
勉強やから」

 

と、宅浪を選びました。


親としては本当に不安でしたが
一番つらかったのは本人です。

 

仕事にかまけて
親らしいことを
何もしてやれなかった私。

 

それでも
友だちのように接してくれる子供たち。

子供たちに感謝です。4


おかげさまで
第一志望だった国公立大学に
合格することが出来ました。

 

あれほど

 

「家を出る。下宿したい!」

 

と言っていたのに、

 

下宿している友人宅に
泊まりに行って

 

下宿生活が

 

いかに寂しいか
食事が大変か
生活が大変かを

 

目の辺りにし

突然、進路変更・・・

 

「自宅から通える大学にする。
下宿はしたくない。」

 

と言い出し、そこから猛勉強。


秋以降に圧倒的に成績が伸びました。

 

2浪目で
こんなに成績が伸びる生徒は
本当に珍しい・・

 

と言われましたが

 

今まで
どんだけやってなかってん!!
反省

 

って思いましたね・・・。


学校に合格の報告をした時には
職員室で
どよめきが起こったことでしょう。

 

「えっ?!あいつが・・・?!」
 

って驚かれたと思います。


だって
学校の成績、悲惨でしたから・・・やる気なし


まさか地元の
国公立大学医学部に進学するなんて
誰も思ってなかったと思います汗


担任の先生も
すごーく心配なさっていたようで

「2浪して良かったな。」
としみじみ言われました。


診療所の館内をウロウロしている時に
入院患者さんとエレベーターで
一緒になることも多かった息子。


入院患者さんから

 

「頑張ってええお医者さんになってな!」

 

「これで私ら、安泰や!
ちゃんと跡継ぎ、おるわ〜」

 

って言われていましたが、

本人なりに悩んだようです。


大学の志望校を決めることは、
職業を選択すること
同じだったので、

 

医者になるかならないか

 

を深く自分に問うたのだと
思います。


医者になったからって
肛門科を選ぶかどうか

分かりませんが、

 

医師という職業を
選んでくれたことは、

 

親としては
自分の仕事を肯定されたようで
とても嬉しいですね。


家の中まで仕事を持ち込んで
毎日のように
討論している私たちに

 

(子供から見たらケンカしてるように見えるらしいですが・・・苦笑

 

ウンザリした顔をしていることも
多々ありましたが、

 

私たちはこの仕事が大好き心

 

本当にこの仕事が出来て良かった
これぞ自分の天職

 

と思っているので、

 

一喜一憂している親を見て
何か感じ取ってくれたのだと
思います。

 

長かった3年間。
本当にしんどかった3年間。
つらくて暗かった3年間。

 

初めての挫折を味わった息子は
人の心の痛みが分かる医者に
なってくれることでしょうしあわせ~

 

診療所のセラピードッグ「ラブ」らぶ
ラブと会えなくなることが
寂しいと言っていた息子ほろり
ラブもお兄ちゃんが
ずっと家に居ることになって良かったねハァト
 
クリックお願いします!

 にほんブログ村 病気ブログ 痔(ぢ)へ

大阪肛門科診療所オフィシャルブログはコチラ↓

痔の治療専門に100年以上続く肛門科の専門医が教える