空も飛べるはず
いつもの帰り道。
自転車で日比谷公園の門の前に着く。何かのイベントがやっているようだ。門の前に沢山の人が集まって、ザワザワとしている。
いつもは公園の中を通って、緑の木々の静けさの中に、リラックスした気持ちを貰いに行くのだが、私は何よりも人混みが嫌いだ。
今日は公園に入らず、外周を回り帰路についた。
初夏の夕晴れの中、急に空から歌が降ってきた。
ほんの1秒聴いただけで脳の中で、その声を確信した。
その声は金管楽器のように高音がストレートに飛んでいく。
どちらかと言えば細く、渓流の水のように澄んでいる声は、しかし遠くまで響く声量と両立している。
スピッツだ?!
日比谷公園の野音では時々、いろいろなアーティストが野外ライブをやっている。
しかし、ほとんどの場合僕が知らないアーティストばかりなのだろう。
知っているうたを聴いた記憶がない。
そっくりさんがカバー曲を歌っているのかな?
しかし、今流れているのは間違いなくスピッツの楓だ!
彼らのライブに行ったことはないがこの声は特別過ぎる
すぐにスマホで日比谷公園 スピッツと検索した。
日比谷音楽祭 スピッツ 6/8
間違いない!本物。
すぐに公園の中に自転車を乗り入れた。
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
楓が聞こえる。
しばらく音漏れに預かることにした。
昔、秋元康さんのことばで、歌は思い出のしおりというのを聴いてあの頃はあまりよくわからなかったけれど今になってしみじみと本当にそうだなぁと思う。
流れるうたが、あの頃に連れて行ってくれる気がする。
今考えると恥ずかしい小さな事や、悲しかった思い出が鮮やかに。
中学生になると親に貰ったギターでスピッツのチェリーを練習したことがあったなあ。
あの頃は自分が何者にでもなれる気がした。何もできないくせに。空を自由に飛べると思っていた。
あれから長い時間が夢のように過ぎていった。
挫折と妥協の堕落の浪人時代を過ごし、
期待に満ちた大学生活。
実際にはそこでも隠キャ全開でうまく周りに溶け込むのが難しかった。
楽しいこともあったけど辛いこともあった長いモラトリアム期間の学生時代が終わりを告げると、
世間知らずで何もできない自分は、研修病院で毎日夜まで駆けずり回り社会の厳しさを知る。
いつまで経っても覚える必要のあることは尽きなかった。
美容の世界はとても厳しい競争の世界だった。
良い結果もあれば、忘れたいくらい悔しい思いをしたこともあった。
手術がうまくいかなかった夜は、全身の芯が冷たく冷え切ったよう。心臓は動悸が鳴り、手足はずっと血の気が引いて鈍く痺れるような感覚が続くのだった。
いくつもの悪いシナリオが頭を駆け巡り、眠れない夜が続いた。
それでも周りの人々に助けられ、嗜められて、自分なりにやってきた。
ずっと走り続けられたわけじゃない。休みながらなんとか気持ちを奮い立たせて、みんなに自分の速さでついていこうと思っていた。
まわりの安易に手に入る楽しさに流されがちでも、譲れないものは守り続けた。
いくつかの夢は叶った気がする。
あの頃思い描いた夢とはかけ離れてはいるけれど。
どこへでも飛べると思っていた中学生のころスピッツを聴いていた。
あれからいくつもの年月が過ぎて、髪には白髪が混じり、気を抜いて飲み歩く日が続くと、細く見えても隠しきれないぽっこりお腹がすぐ目立つようになった。
空を高くを目指し飛び回る時がおわり、地上に降り立つ場所を探す時が来たのだ。
今でもあの頃の曲を聴いている。
何処にでも飛んでいけるわけではないことはわかっている。
きっとまた流されて生きていくのだろう。
そして、何年も月日が経って、ふとした瞬間にスピッツをまた聴いた時、何を思うのだろう。