もう、20年くらい前に聞いた話だし

 

 ちょっとうろ覚えなので、決して正確な話ではないんだけれど。

 

 

 

 私の母は、36歳の時に、私を産みました。

 



 私は長女で初めての子供。 

 

 母が父と結婚したのは26歳の時なので、

 

 

 10年間、子どもが出来なかったそうです。

 

 

 私が生まれたのは1985年。

 

 20代で子供を産むことが当たり前で、36歳で妊娠出産だなんて、当時で言えば「超高齢出産」。

 

 

 両親は、なかなか子供が授からなかったそうです。

 

 



 当時は、不妊治療なんて言葉もまだなかったような時代。

 

 産婦人科医に言われたアドバイスは、なんと

 

 

 

 

「転地療養」

 

 

 

 

 いわく

 

 いろんなところに旅行に行ってたら、子どもができるよ!

 

 

 

 

!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 とのこと。

 

 

 

 

 それ、医者の発言!?

 

 なんて思ってしまいますが、当時は、「それなら人工授精に」「体外受精にステップアップしますか?」なんて提案をする医者がいない時代。

 

 

 両親は言葉通り、本当にいろんなところに旅行に行ったようです。

(私が生まれる前の写真には、ヨーロッパ旅行などに行く両親の様子が写真で残されていました)

 

 しかしながら転地療養の効果はなく(当然ながら)

 

 

 もう、自分達には子供はできないと諦め、夫婦ふたりの人生を送っていこう、と、

 

 母の田舎に帰って、ともに医師である両親は、診療所を開業したそうです。

 

 

 そして、開業に伴って、大幅に生活スタイルの変わったことによるストレスでか

 

 なんと開業からほどなくして、私を妊娠(!!)

 

 そして、私が生まれた半年後には、第二子妊娠発覚。

 

 

 36歳で長女の私を、そして37歳で次女の妹を出産したというわけです。

 

 



 

 覚えているのは、

 

 小学校の時の同級生の母たちのうち、自分の母と同年代の人同士で、母は「ママ友」を作っていました。

 

 そりゃあそうですよね。。。周りのお母さんたちは、自分よりも10個以上年下のママたち。

 

 

 そして、母が仲良くしている、同級生のお母さんは、「上に年の離れたお兄さんお姉さんんがいる」同級生のお母さんたちでした。

 

 

 

 私の父は、当時では珍しい一人っ子でもあり

 

 結婚して10年も子供に恵まれず

 

 あげくに、母の実家の近くに引っ越して開業だなんて

 

 きっと、今の私には想像できないような、いろんな想いが、母にはあったんだろうな、って今なら思う。

 

 

 女性として、自分自身の「女性性」に悩んだかもしれないし

 

 今よりもずっと違っていた「結婚観」の、理想と現実のギャップや

 

 10年も、ふたりでラブラブの(きっと)生活をつづけた中で、妊娠して、不安だったこととか

 

 

 男性にはわからない悩みを、たくさんたくさん乗り越えて、母は、「母」になったんだろうな。

 

 

 

 

 私の祖父母は、もう他界していて、ひ孫を見ることはありませんでした。

 

 「女の子なんだから…」と、いつも小さな小言を付け加える父方の祖父母がずっと苦手でしたが

 

 たった一人だけ生まれた大切な大切な愛息子が

 

 嫁の実家近くにさっさと引っ越してしまい

 

 きっと昔の人で、「男の子の孫が生まれたら…」なんて思ったりもしているのに、孫誕生までには10年もの歳月がかかり

 

 

 本当は、初めてのひ孫に、男の子が生まれたことを、

 

 

 生きていたら、だれよりも喜んでくれたんだろうな

 

 

 なんて、今更ながら、そんなことを思ったりします。

 

 

 家族の絆って不思議。

 

 

 家族との時間は有限だし、いつ「終わり」の時が来るかだってわからない。

 

 

 だからこそ、家族の時間を、大切にしたいなと思うし

 

 家族の歴史を、たくさん息子にも、年末に生まれてくる娘か息子(まだ性別未定)にも話してあげたいな、って思います。