おちこぼれジャズマンの悔い無き人生(矢口幸信物語)
文責 板東弘道
当時はまだ芸能プロダクションというものはなく、たいていバンドリーダーがマネージャー役を勤め、ブッキング等しており、中には非常に悪い条件でプレイすることも(ピンハネとかも良くあったらしい)ざらだったそうだ。
矢口青年も風の便りに(銀座で演奏の仕事があるゾ)という噂を耳にしていた中で、銀座に進出する直接のきっかけとなったのは…。
まずビディコンデ(フィリピン人のリーダー)とザ・コンチネンタルというビッグバンドが(譜面が読めるベース弾きを探している)と言う事で紹介されたのだが、何とわずか1週間でクビになってしまった。
矢口先生が”ビッグバンド嫌い”になったのはそのせいかどうか定かではないが、何しろ…、「英語で『次は何々の曲!』とかいうもんだからこちとらサッパリ分かんない訳ヨ。
もう演奏始まってる内にパニックんなっちゃって、譜面台蹴飛ばして床に譜面バラ撒くは、それを拾おうとしてポケットに入ってた小銭はジャラジャラ撒き散らすではで…、そりゃクビになるわナ」
つづく・・・