(505)西洋医学と中国医学はどう違う? | 大阪肛門科診療所 院長 佐々木いわおブログ──『過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君』

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「切りすぎた肛門は元には戻せないんだよ・・」故隅越幸男先生の言葉をいつも心の真ん中に置いて「切りすぎない手術」「切らない肛門診療」を追求する肛門科専門医が、手術のこと、治療のこと、日常のことを、綴ります。

今回、ご縁があって
中国医学の触りを
再び勉強する機会に恵まれました。

”再び”と書いたのは
昔から漢方は少しだけ興味がありましたが、
いろいろな理由で挫折したからです。



厳密に言うと、漢方と中国医学は

少し違うものなのですが

ここでは細かい事はおいておきます。

お勉強の内容を私なりの解釈で

シェアしたいと思います。



今回のお題(?)は、「基礎の基礎」。

中国医学とはどういう医学で、
西洋医学とどう違うのか、と言う話でした。


中国医学と西洋医学
それぞれどういう立場なのでしょうか?

一言で言うと、
西洋医学はモノを中心に置き
中国医学はコトを中心に置く
と言います。

これだけでは何のことか、
さっぱりわかりませんが
わからないことがあったときに
それぞれの医学の取る態度から
両者の違いを考えてみましょう。


例えば、
西洋医学で治せない患者を
代替医療が治してしまったとき
どう説明するのでしょうか?


現在の西洋医学の取る立場は以下の通りです。
1 その現象はない、たまたま起きたのだ
2 原因となる物質はまだわかっていない
3 その物質は見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない
4 それは神秘である


それぞれの態度について
もう少し解説すると次のようになります。

1 たまたま起きたと言う態度は
気に入らない現象は
存在を否定できてしまいますので
科学的態度とは言えません。

2 原因となる物質はまだわかっていない
一見、科学的に見える態度ですが
そもそも物質で何もかも説明可能であると
根拠なく決めている点が非科学的と言えます。

3 物質の問題として考えると
様々に説明は可能かもしれないが、
本当のところはわからない
とする態度で、これが真に科学的な態度です。
先端の物理学や宇宙論の科学者は
こういう態度の方が多いといいます。

4
神秘はキリスト教会が
提唱したものとされています。
教会は聖書を絶対視していたため
説明ができない現象は
神が行ったこと=神秘と決めました。
神秘とは、例えば
神は天地の森羅万象を7日間で創造した
と言ったことです。
もちろん現在では、
聖書の天地創造説は否定されていますが
わからないこと=神が行ったことと
説明したようです。

以上、モノを中心としていることが
お分かりいただけたでしょうか?


中国医学の説明は根本的に異なります。
中国医学は
認識できる現象の中から
似たような法則性を探し出して
説明しようとします。

西洋医学が、
ミクロに、 もっとミクロに
と言う方向で視点を変えていくとき、
中国医学は
視点をマクロにシフトします。

1歩下がって、
全体を俯瞰すると、
病気と(代替)治療の関係の中に
自然現象と共通の要素が見つかります。

これらの要素の集合体が
中国医学の理論となります。

これがコト(出来事)を中心としている
と言うことの意味です。



ただ、
現代の西洋医学を学んだ私たちにとって
中国医学は
医学と言うよりも哲学に近く
難しい
または
なじみが薄いので、
学習が困難なのです。 



… という感じです。
(多分合ってると思う。)


 

大自然と私たちには、共通点がある…

これが中国医学の視点。