今年で阪神淡路大震災から早22年になります。

 

あの日から、もうそんなに時間が過ぎたのかと思ってしまいますが、

その時の光景は鮮明に覚えています。

 

当校も少なからず被害を受けましたが、私は震災から数日後に、

北神急行で新神戸駅まで行き、そこから徒歩で東灘区へ

救援に出向きました。

 

新神戸駅から東灘区までの光景は、テレビで見ていた印象と違って、

家屋やビルの倒壊、阪神高速高架橋の倒壊を目の当たりにし、

大きな衝撃を受けました。

 

地元の新聞社も、当時のことを語り続けていますが、

毎年、記事を読むたび、被害に遭われ大変な思いをされた方が、

たくさんおられる大災害であったことを、改めて思うばかりです。

 

あの震災を教訓に備えに対する意識を風化させずに、

持ち続けなければなりません。

 

そんな折、部屋の中を整理していると

震災当時の、JR加古川線臨時時刻表が出てきました。

 

震災によりJR神戸線が不通となり

大阪方面への移動がままならず、

う回路としてJR加古川線が活用されました。

 

加古川駅(加古川線)→谷川駅(福知山線)→大阪駅

 

時間はかかりますが、当時はこれが最短ルートだったようです。

 

JR加古川線の加古川駅―谷川駅を直通する列車は、

わずか9本だったものが、最大45本にまで増発されました。

そして、谷川駅の一日平均260人だった乗り換え客が、

8500人に膨れ上がったそうです。

 

廃線もささやかれていた路線が一気に脚光を浴び、

電化されるに至りました。

(当時は非電化で、電車ではなくディーゼルカーで運行されていました)

 

この先、このようなことで活用されることは当然望みませんが、

緊急時の備えとしてJR加古川線を残していくことは必要ですし、

兵庫県の南北の大動脈として活躍してくれることを期待します。