煙たがられてるのに「言ってることは正しいんだけどねー」なんて言われている人を時々見かける。
何で言っていることが正しいとは理解されているのにも拘らず、煙たがられるという結果になるのだろう。
この論理がどういうことなのか、20代の頃までは、長らく上手く整理ができずにいた。
でもある時期こんな結論に達した。
「世間は必ずしも正しいことなんて望んでいない」
理不尽とも思えるこの理屈だが、残念ながら所詮「人」とはそんな動物だと思う他無い。
TVドラマや漫画では、周囲に煙たがられても真に正しい言葉を発する主人公が登場し、いつも近くにいる偉い誰かが唯一の理解者としてその主人公をヒーローにしてくれる。
しかし現実にはそういった理解者が現れれることは稀だ。
実際には仮に正しいとわかっていても納得感がなければ「受け入れたくない!」という想いを持つ人が大半で、正しいことを述べているその人が少数派になってしまい、その意見が却下されるだけだ。
世の中を動かすには権力がある人か大多数の人間に受け入れさせなければならない。大袈裟に言ってしまえば、その際に手段としてに述べる言葉が正しいか正しくないかは関係ないことなのである。言葉とは手段に過ぎない。より大事なのは、相手を納得させるという結果だ。
冒頭に出てくるような言われ方をする人は、言葉の正しさに拘って相手を「納得」から遠ざけてしまう。手段に拘って結果を求められていない、本末転倒な行為をしてしまっている人だというわけだ。
「正しい言葉」と「納得」に必ずしも因果関係がない証拠として、言葉を言っのが誰なのかで納得感が変わってしまうということがある。
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ1つの道」
これはプロ野球選手のイチローの言葉だが、長年の努力ととてつもない実績がある彼の言葉だから納得感があるのであって、何の努力もせず結果も残していないそこら辺の人に言われても何の納得感も得られない。