同じ意味を持つ漢字ってあったりする。
自分はいくつかについて、拘りを持って使い分けていたりする。
例えば「歌」と「唄」。
単純に「うた」そのものを指す時には「歌」を、
動作としての「うたうこと」を指す時には「唄」を使うようにしている。
従って「歌う」という使い方をすることはなく、「唄う」である。
それからたくさんあるという意味での「じゅうぶん」。
表記には「十分」と「充分」があるが、
「十分」だと「10分」と勘違いしやすいということに加え
「10分がじゅうぶんとか限らない」という想いもあり
必ず「充分」を使うようにしている。
「思う」と「想う」も違う。
ただ心に浮かべただけなら「思う」だが、
積極的に想像する意味で使うのであれば「想う」である。
他にも諸々ある気はするがひとまず普段から強く意識しているのはこんなところか。
まだ使い分け切れていない「悲しい」と「哀しい」などもあるものの
どうにもこうした細かい拘りがあるのは自分の癖のよう。